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予定のない終末

水曜日の夜辺りから意識を始める。
金曜日の夜になると、結局何も思い浮かばなかったと失望する。
結局、週末にやることが思いつかなかった。

社会人になってしばらくは、むしろ週末をずっと待ち望んでいた覚えがある。
平日は忙しすぎて、プライベートで何かするなんて考えられなかった。
とにかく週末だけを渇望して、なんとか1週間を乗り切っていた。

とはいえ、大変な平日を終えた後はヘトヘトで結局だらだらと時間を過ごしてしまう。
日曜日の夜になると、そうした自堕落な自分に嫌気が指して、月曜日を迎える。
そしてまた、週末になれば全部良くなるなんて嘘をついて何とか乗り切っていた。

忙しいというのは心を亡くすと言われるが、実の所、それはそれで幸せなんじゃないだろうか。
今の僕は暇だ。そして、思い悩んでいる。
あれだけ待ち望んだ週末が来ても何もすることが思い浮かばないような現実に。

それなりに仕事はしているものの、もうまったく未知の仕事なんて存在しなくなった。
週末に必死に勉強しなければ、ついていけなかった平日の仕事は、もうない。
何かイレギュラーな事が起きても、なんとなくの経験でなんとなく済んでしまう日々。
そうなるように必死にあくせくしてきたのに、実際のその状態になったら暇に覆いかぶされている。

といって、何か新しいモノに挑戦するような対象も意欲もない。
自分のあがりが見えてきた。
3,4年前くらいは、まだ自分には何かできると思っていたような気がする。
でも、自分に見切りをつけてしまった。

自分に過度な期待をするのに飽きたとも言える。
悲しいことに、そうすることで物凄く大きな肩の荷がおりたのだ。
一度休憩してしまうと、改めて立ち上がって山を登るのはしんどい。
ずっと、休憩したままでいたくなる。

もっと言えば、やる気があるからと言って良い方向に転がるとは限らない。
一人でこなせる仕事であれば、それもあるのかもしれないが、もはや大人数でやれるような仕事しか目の前になくなってきた。
そうなると、一人の努力なんてものは相対的に小さくなってしまう。
じゃぁ、全員のベースアップしようと考えた時期もあるが、それにも挫折した。
こちらのやる気があっても、そもそもやる気なんてさらさらない人間は世の中に存在する。
奇しくも、今の自分がそうなってしまったように。

仕事に給料以外のモノを求めていない人なんて、世の中にはいっぱいいるのだ。
というか、むしろ、そうした人の方が多いんじゃないだろうか。
今となっては、そう思えるようになってしまった。
過去の自分がなぜあんなに歯を食いしばって頑張っていたのか分からない。

仕事なんて程々でプライベートを優先する人生の方が幸せだと今は思う。
僕はプライベートをずっと蔑ろにしてきたから、今は退屈で途方に暮れている。

といって、周りの人がやっているような遊びには、どこか乗れない自分がいる。
試しに遊びに出かけても、本心からまったく面白みを感じられない。
自分一人だったら飽きたらやめるなど出来るが、人を巻き込むとそうもいかない。
やっぱり、人と何かすることがそもそも向いていないのだ。

どうにも着地点が見えない。
時間だけは沢山ある訳だし、週末はずっとこんな文章をぐだぐだ書いてみようか。
別にnoteにすべて公開する必要はない。
リハビリのように、頭に思い浮かんだことをつらつらと書けば何か出てくるかもしれない。

今日まさにリモートワークで病んでしまった部下に「頭の中だけで考えると思考がループするから、とにかく何でも良いから書き出した方が良い」と伝えた。
他者には、それっぽいことをアドバイス出来るのに、自分にはそれが出来ていない。

自分自身を遠ざけて、自分で自分をカウンセリングしてみたら良いのだろうか。
他にすることもないし、今週末はそれを試してみよう。


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