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偶然性の絶対的排除

周囲からは落ち着いているとか、真面目とか言われる。
真面目系クズという言葉があるが、あれは僕のための言葉だ。
僕は落ち着いていたり、真面目だったりする訳ではなく、何にも興味がないのでまったく動じないだけだから。

職場からは、感情がないくらいに思われているが実際の所、僕は非常に感情的な人間だった。
あまりにも感情的過ぎて、日常生活に支障が出るからそれを制御していったのだ。
元々は、僕は信号で赤になるだけでキレ散らかしているような人間だった。

大人になっても信号が赤になってキレていると、生きていけなくなってくる。
周りと会話がまったく合わないからだ。
だから、僕は自分の中のこだわるべき所とどうでも良いと思える無視することを洗い出した。
どうでも良い事に目くじらを立てていたって仕方がない。
そんな暇があれば、こだわっている事を考える時間を確保した方が良い。

また、基本的にすべてを自己責任だと思うことにした。
例えば、赤信号に捕まってしまってイライラしたら、それは自己の責任である。
では、どういう事が責任の範疇かというと、イライラする状態のままにしてるのが僕の責任だ。
赤信号で遅刻しそうになっているのであれば、余裕を持って移動しないのが責任だ。
赤信号で手持ち無沙汰なのであれば、隙間時間を活用する準備をしなかったことが責任となる。

すべてを自分のせいだと考えることで、一つひとつのイラつきを解消していった。
僕が新社会人の頃はまだガラケーだったし、大したことができなかった。
だから、僕は文庫本を持ち歩くようにして、赤信号に捕まったらさっと出して読むようにした。
今はスマホで大抵の事ができるから、凄く便利な世の中になったけれど。

赤信号は一例に過ぎないが、そういったイラつくことを一つひとつ洗い出して、一つひとつ解決していった。
また、僕は自分の中で偶然性を排除することを始めた。
気分屋で自分の感情を制御することが苦手な人間だったので、日常を限りなくルーチンにしていったのだ。
ランダム性を楽しむような趣味もどんどん辞めていった。

その最たるモノとしては、パートナーの存在を一切諦めた。
自分以外の人間がいることは、あまりにもランダム性が高すぎる。
そういったモノを自分の中から排除して、期待することなどもなくなった。

車にも一切乗らないようにしている。
一瞬の判断ミスで事故を起こして、自分の人生が終わる可能性がある。
別に自分が事故を起こさなくても起こされるリスクは拭えない。
取得した免許は、無事故無違反でゴールド免許になり、あまりにも車に乗らなすぎて存在を忘れたので、更新せずに失効した。

一時期は免許すら持っていなかったので、顔写真つきの自分の身分を証明するモノがなかった。
(パスポートも持っていたが、パスポートも会社の経費で10年契約したのに、更新を忘れて失効してしまった)
サラリーマンなので会社の保険証はあるのだが、顔写真がないので認めて貰えないのだ。
引っ越しの時などに苦労する。
今は、マイナンバーカードを身分証明に使えるようになったが。

趣味にしても、元々アウトドアに興味がなかったが、外に出るのはやめた。
雨が降ったり、出先ではコントロールがきかないことが多分に発生するからだ。
インドアで部屋の中で出来ることを徹底的に好むようにしていった。元々好きな部類だったけれど。
自己洗脳みたいなもので、如何に自分にとって都合の良いものが自分にとって意義があるかを書きまくって、自分に刷り込んでいったのだ。

何年も積み重ねて、まったく動じないような自分が出来てきた。
出かける際に雨が降るとキレていた僕は、そもそも家から出ることがほとんどなくなった。
買い物の時くらいしか出かけることはないし、その時は傘をさせば良い。
どんな努力をしたって天候を変えることなど不可能だ。

不可能なことに目くじらと立てたって仕方がない。
同僚は、上司・部下・環境などに怒ったりするが僕はその感情を忘れてしまった。
理想と現実、期待値などがあっていないから腹が立つのだ。
そんなものは一つひとつ紐解いて、自分にこだわりとどうでも良いこと、自分にできることと出来ないことを洗い出せば良い。
その上で、期待値を算出する。

自分だって変えるのに苦労するのだから、他人を変えるなんて難しい。
他人を変えるのだって難しいのだから、環境を変えるなんて不可能に近い。
もちろん変えられることだってある。
しかし、たかだか一人の人間の能力を過大評価しても良いことなんてない。

一生、飲み会でクダをまいて、解決もしないことに延々と怨嗟の声をぶちまけたって意味がない。
意味がないどころか、まともな人からは敬遠されるようになる。
大人になってくると、きちんと注意してくれる人は滅多にいない。
周りからまともな人が減って、類が友を呼んで駄目な人間が駄目なスパイラルの沼にハマりこんで出てこれなくなる。
そもそも、仕事するのだってめちゃくちゃだるいのに、自分からさらにだるい状況に持っていっても仕方がないというのに。

同僚であっても、基本的に仕事以外のやりとりをしない。
仕事上のコミュニケーションは楽で良い。
目標がはっきりしているし、仕事の時間が終われば全部切ることが出来る。
プライベートは悩むような環境がないので、仕事が終わったら自由だ。

偶然性をどんどん排除していった結果、暇過ぎて絶望してはいる。
ただ、僕はずっと夢見た自分に慣れたんだなというのは感慨深い。
毎日、目に映るもの全てに怒りをぶつけていた僕は、心の安寧を手に入れたのだから。

夢が叶った時が嬉しいかどうかは、また別の話だ。
とはいえ、自分が作り上げた環境は自分にあっているのもまた事実。
ないものねだりをするのではなく、今一度、自分がコツコツと作り上げてきた環境に感謝するべきかもしれない。
明日とか明後日とか将来を夢見るのではなく、今手に持っているものを一つひとつ確かめてみて、微笑んでいれば良いのかもしれない。


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