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足すのではなく、引く

りあです。まだまだ微熱中で、なんともいえない不調感をいだきながら生活しています。定期的にそういった「謎の不調が続く」ということは経験済みなので、そこまで「うわー!まずいぞ!」とはならないのですが。

私は痛みや辛さを味わいにくい体質でして(そういう難病ですしね~ある意味幸せかも(笑))、おそらく他の感覚器官が正常に機能なさっている人たちよりも随分気楽に、普段通りに生きています。

しかしながら、「ふぅ」と休憩しないといけない時間が増えたというか。アクセルが全開にならない状況ではある。というか、私の身体全体が「アクセル踏ませるか!!」と頑張っているのでしょう。ご苦労なことです。

休憩を増やす生活のなかで気づいたことについて書こうかな、と思っています。「足すよりも引く方が、身軽になれるんだよね」ということ。


例えば、「身体によいことをしよう!」と決心したとする。「じゃあ野菜をいっぱい食べよう!」と行動を決めたとする。野菜ゼロで野菜嫌いな人を前提としましょう。

すると、次第に「ううう苦行…」「もうやりたくない…」「あ、野菜高い!お金のためにもやーめた」となってしまうことでしょう。自分の行動に、常にプラス1のことをやるのですから。

人間、なにかと理由をつけてやめようとするもの。そういうことへの理由付けは、なぜか上手にいくものです(笑)

「身体に良いことをしよう!」という決心はそのままに、行動を「ジャンクフードを減らす」としたらどうか。

新しいことはしなくていいんです。ただ、週4日食べていたりしたものを、週3日にするだけ。マイナス1。ものすごーい変容ではありませんよね。

決心したものが「自分のための時間を作る」としたら。行動が「寝る前の10分を自分の時間になるよう急いで準備する」だったら。

まぁ、なにかとせっかちになるものです。いままでなかった時間を練り出すのですから、いままでにやっていた行動を時短にするとかしないといけない。

反対に「スマホをいじる時間を10分減らす」にしたら?

案外簡単でしょう。その10分間は自分のための時間に使えるでしょうし、結果的には「自分のための時間を作る」という決意は実行されています。


そんな具合に、「なにかを足す」のではなく、「すでにやっていることを減らす」の方が、なにかとハードルが低いもののようです。

私は「自分と向かい合う時間を増やす」ということを決めた。なんというか、最近の自分の迷走っぷりが目に余ったから(笑)

行動は「寝る前に『なにか情報を得なければ!』とネットサーフィンする時間を減らす」。具体的には22時以降はパソコンの電源オフ、スマホも触らない、ということにした。

「自分と向かい合う時間を増やすため、寝る前10分間は瞑想する」と決めて、それまでにバタバタと用事を済ませていた時代が私にはありました。瞑想のときも「あ、あれはまだ未完成だよね」「明日に持ち越すのは嫌だな」とかあれこれ考えてしまって、瞑想どころではなかった。

かつ、瞑想後に「よーしやるぞ!」と意気込み、結果睡眠時間を削り…何のために瞑想していたのやら、ということになりました。なんて本末転倒。

私たちは、毎日やることリストに追われています。やることリストに書かれなかったことにも追われています。時間とはかけっこのような関わり方になってしまった。

だからこそ、「やらない」「しない」ということで生活を整える。もうやることリストは増やさない。その思考へのシフトが大切なのだと思う。

考え方によっては「『やらない』ということをやることリストに増やしているじゃないか!」となるのでしょうけれども。発想は自由ですからね(笑)

余裕がない、なんだか忙しい、という人へ。絶対に必要なもの以外は減らしていきましょ。自分のキャパを超えたことをやり続けても、手から零れていくばかりです。

Have a fruitful day.

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