視覚の障害から、今まで見ることも無かった世界を知った。
748回目です。φです。
先日眼科に行った。障害手帳の申請用紙を、心療内科に出しに行ったところ私の視覚の問題が浮上しまして。
以前の検査結果から、目の方の障害として認定もらえないかーというお話をすると…なんだかなぁ、なことを知りました。
以前にも書いているけれど、私は視覚的にも色々とあります。
1.色が正確には見えていないっぽい。
これは私自身、よく分からないけれども。紺色や紫といった暗めの色はすべて”黒”認定。私もはっきりと「黒だ!」と断言できないのだけれど、よく分からないから黒、ということになっている。
2.奥行きがないっぽい。
これは…ない。階段とかも、一列に並んでいる感じ。なのでしょっちゅう溝に落ちたり、階段から落ちたり。どうやってみんな判断しているんだろうねぇ、と思う。
3.色が跳ねる。
これは視覚過敏なのだと言えるかなぁ。黄色がほとんど見えない、というかまぶしい。
あと白い蛍光灯の下や明るいところでは、白い紙の文字が見えない。紙が光っているように見えて、とにかく目を閉じてしまう。
そんな状態です。これに気づいたのは実は最近。
私はその世界で生きているから、「階段が見えない!」とか、「黄色が見えなくなった」とか、そういったことを思うこともなかった。感覚ってシェアできないからね、どうしても自分が基準になる。
まぁ眼科で言われたことは、なんとも嬉しくないものでした。
「視力も視野もあるから、眼科からの障害認定は難しい」とのこと。
先生からは「本当は申請してあげたいし、困っているのも分かるけれど、視力がある時点で認定されない」と言われた。なんだかなぁ、な気持ち。先生はすごく誤っていたし、この状態に不満を感じている様子はよく分かったけれどね。
一応権威ある先生だけれど、ひとりではどうしようもない問題なのだろうと思う。国のルールはなかなか変わらない。残念だけどね。
私のこの目の状態は、仕事選びにも支障が出て、日常生活にも支障が出ているのに「見えているから」というだけで障害の有無を判断するってどうなんだろう?と思う。
見えているなら、誰もが同じレベルか。それは違う。困っているものや度合は異なるかもしれないけれど、それで大人になった今支障が出ている。私の障害になっているのだ。
加えて悪いことに、立体視ができない・色によっては見えづらいor見えないということは、痛覚がない私にさらなるダメージを与えたりする。
奥行きが見えない
↓
階段から(隙間に)落ちる
↓
怪我しても分からない
が日常茶飯事。視覚で補いたい部分が補えない状態だから、ほんとね…。この流れで、爪剥がすのは”いつものこと”。私は「あー落ちたー」くらいしか分からない。そのまま”いつも”の行動をするわけで。
視覚に関する障害の申請って、すごく厳しいらしい。ほぼ盲目ではない限り、認定されないのだとか。それって、どうなんだろう。
私以外でも視覚的に困っている人いるけれど申請できないとのことで、改善してほしいなぁと思う。目は使わなくてもいい器官ではない。
ちょっと余談。奥行きが上手く見えていない人って多い?と聞くと、「いやあんまり…」と言われ、ここでも珍しい系のものを持っているようです私。嬉しくない(笑)
別に、不正な感じに「私は〇〇が障害になっている!障害認定して!」と言っているわけではない。本当に困るから、社会に参加するのに困るから、助けとなるものを、補助となるものを求めているだけ。それなのに、なんだかなぁと思う。
今回初めて知った、視覚に困難を抱える人の現状。ちょっとしか分かっていないけれど、それでも大変さが分かりました。自分が知らないところで、困っている人は数え切れない程いるんだなぁって。
無知って怖いな、とも思う。自分の身の回りのことから、自分が知らないことを学んでいこうとも思いました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?