即位礼正殿の儀。
178回目です。φです。
私は未だに身長伸びたいと思っているのですが、私の理想の身長が178cm。178の数字を見ると、「身長…」と思いを馳せてしまいます。
せめて172cmは欲しかったー!セノビックとかミロとか飲んだら変わるかなぁ…もう難しいとは思っているけれど(笑)
ミロは小学生時代にめちゃくちゃ飲みましたね。おかげで?両親の身長から予測される私の身長は突破しましたが…。
さてさて、私の身長への野望はここまでにします。
今日は「即位礼正殿の儀」の祝日でしたね。私はダイジェスト版をTwitterで見ました。なんというか、すごく厳か。今の時代はなんだっけ?と思う程粛々と行われていて、でもそれが報道されて誰にでも手に入る情報になっているから、近代的。
Twitterで数名が書いていたけれど、本当に奇跡がたくさん起こりました。これが奇跡か、それとも必然か。私には分からないけれど。
私が驚いたのは、実際に行われた儀式だけじゃない。国民の反応にも驚きました。
誰もが宗教的なことを自然と受け入れていて、国の成り立ちに関する神話も知っている人が多かったこと。驚きました。日本人は無宗教だ、宗教的なことはイベントになっている、と私は耳にしたことがあります。どこでだったかは忘れてしまったけれど。
全くもって、無宗教じゃない。そう思いました。
雨が降ったこと。虹が空に描かれていたこと。天気が変わったこと。富士山に変化があったこと。台風が消滅・反れたこと。
これらをすべて、神話に基づいて考えている人がいて、それを受け入れている人がいて。デモのニュースすら耳にしない。
この国は不思議の国だ。とも書かれていました。現象が。
私もすごく不思議な国だと思います。国もそうだし、人もそう。今日起こった現象を、全て「偶然」で済ませることだってできる。「そういう天気予報だったのでは」とも言えます。意識していないと。
それがなくて、天叢雲剣、天照大御神、イザナギとイザナミ。この神話に近い単語と言葉を関連付けて考えることができるって、なんてすごいんだろう。と思いました。
日本人は意識していなくても信仰心があって、それか柔軟な宗教への考えがあって、寛容な視点で行事を見ているのかな。土着の宗教観が、身体に染みわたっているのかな。
素敵だなぁ、と私は思う。色々と書きたいけれど、シンプルに今の感情を述べるなら、私はこの一言に尽きると思う。
色々なツイートを見て、すごく私は楽しかった!衣装についてコメントしている人がいて、そんな知識無料で読んで良いの?と思ったり。
儀式そのものについての豆知識を書いてくれる人も。
神話について解説する人も。なんだか今日一日で、色々な大学の講義を受けた気持ちです!なんと教養のある方々だろう。分かりやすくて、興味をそそられる言葉が本当にたくさん、Twitter中に溢れていました。
私は昔勉強した内容をぼんやりと覚えている程度で、単語の意味は分かるような…多分こんな意味で…という感じ。それが今日一日で「そういうことだったのか!」と理解しました。目の前に神話的現象が起こっている、と考えると分かりやすいというか、その伝承の始まりに立っているかのような感覚。映画の世界にいる感じ?
日本は歴史が長い国。その日本で「かつて行われた」行事と同じようなことができるって奇跡に近いんじゃないかな、と私は思います。
伝わっていなければ、きっと「文献にあったような?」で終わるでしょう。天皇家が続いていなければ「そういう人々がいたんだ」で終わっていたでしょう。着物も作れる職人が絶えていたら「作れる人がいればね」で終わり。今回のものに関わるもの、一つでも作り手が失われていたら「あの技を持つ人がいれば」になっていただろう。
すべてが受け継がれていたからこそ出来た行事。何世代も続けたものがあったからこその今日。
宗教や云々を抜きにしても、本当に奇跡に近い日だったと私は思う。
きっと今日のような日を目にすることなく終わった世代もある。その世代の方が多いでしょう。そう考えると、言葉では言い表すことが難しいほどの気持ちの高ぶりを感じます。
この即位礼正殿の儀がなければ、今日はただの10月22日火曜日。忘れ去られるような365日の中の1日。
さて、今日は祝日だったわけですが、お仕事だった方々、ありがとうございます!明日は平日で、何も変わらない日がやってくるでしょう。それとも、何か変わってくるのかなぁ。
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