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直観力を磨く練習。苦戦中。

りあです。みなさま、自分の直観力に自信はありますか?頭であれこれ考えずに、数種類あるものや事から「これ!」とか選べますか?

最近”直観力”なるものを磨くため、事あるごとに「私、どう思う?」「これ好き?嫌い?」「やりたいって思った?」などなど問いかけるようにしています。めちゃくちゃ地味なことだけれども。

と、いうのも。「あ、いいな」とか思った次の瞬間「いやいやいやいやそれは〇〇ということを考えると…うんぬん」みたいな、世間体とか常識とかを妙な具合に沁み込ませて腐ってしまった脳の言葉が、私の直感を掻き消しているように思えたから。

あるんですよ、常識やら世間体やらによる腐食が。私は母親が毎日お元気にお話しなさる愚痴とか悪口とか聞きまくっているうちに付いてしまった模様。さくっと漂白剤で落としたい。

それはさておき、直観力。なんというか、漫然と日々を送っていると”自分の直感”はものすごい勢いで失われていくと思う。「〇〇だから××が良いと思う」とか。たとえば、「TikTokとInstagramで流行っているから、こっちの服の方が良いと思う」みたいなね。

何をやるにも、直観力って必要。再考した結果とか、最終的に「あー…最初の気持ちを大事にしておけばよかった」とかありません?

それに、直観力によって選ばれたものって、なによりも自分の気持ちや「好き・嫌い」をとてつもなく表している。理由なしに選べるって、もう自分の本性丸出しって感じなんですよ。それが、本当はとても大事なことなのだと思う。いろんな選択をするときにね。

生きていると、「自分はこっちが…あ、そんなこと言ったらブーイングの嵐だわこれ」ってことが多発する。めげずに「自分はこっちがいい!」と言うと、ブーイングどころかもっと危険度高めの事態になったりもする。

そういった経験を豊富にしてしまうと、そのうち「はい、黙ります。自分の思った方じゃない方を選びます、はい」みたいになってしまったり。良くも悪くも、私たちは学習してしまう。集団に馴染めるように、自分を抑え込むように。

だから”生きづらさ”というものが、常日頃から付き纏うのだと思う。自分らしさゼロで生きた方が良いと感じてしまうから。まぁ、私の持論ですが。

直観力を鍛えようとしている私は、なぞの葛藤に悩まされてもいる。正直「あ、そう」で終わってしまうことも多々あるから。私の興味の無さが理由なのですが。

そういうときは「直感的に『とってもどうでもいい』と私は判断したらしい」と思っておけばいいのでしょうけれども、なぜか諦めたくない私。そもそも「諦めたくない」と思った時点で、直感も再考も何もないような感じですが(笑)

…「あ、そう」で終わらせることに対しては、「お、私めちゃくちゃ興味無いのねこのことに」と理解し、「直観力磨けた」と思っても良さそうなんですけどね。なんてひねくれているのでしょう。

難しいですね直感力って。本当に一瞬の判断だし、気持ちだし、なかなか直感が長続きすることってないのですもの。そして私は、それなりに自分の感情に疎い。まぁ「好き」と「嫌い」くらいは…それなりに…ある…はずなので!

「好き」「嫌い」くらいの、超絶に雑な直感からスタートしてもいいかもですね、直感力を磨くのって。何事も二元論ほど単純かつシンプルなものはありません。良くも悪くも。

そんなこんなで、みなさま「自分って…なに?」になる前に、直観力でも磨いていこうではありませんか。磨かないものはすぐに錆びます。使い物にならなくなってしまってからでは、なかなか難しくなるだろうから。

最近私は体調を崩していまして。ちょっと浮上したときに「ううむ、…うーん…本曰く、なんか良いものを得られそう、これやろうかな!」と思い立って翌日くらい、「え、まったく体調良くないみたいなんだけど?」となった。とっても無念。

そのとき、とある賢者が私に「無意識に身体が『今では無い』と言っているのかも」と、おっしゃってくださいまして。自分の直感と、身体の反応って一番頼りになるかも。そう思いました。ありがとうございます賢者。

あれこれ考えるよりも、多分「これ好き!」「これ嫌!」みたいな、誰もが持っている子どものような素直さで生きた方が良いのだと思う。頭ばっかり使わず、心を置き去りにしない。私が言うのもあれですが、直感とか、理由なしの判断って大事です。

Have an adorably childlike day

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