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見た目で判断、は差別かも?

 287回目です。φです。

 いきなりですが、プライベートなことから叫びます!

 なんだかんだで外出の予定が中止になり…行きたかったのですよお誕生日会!ここでお祝いします!皆川さん、お誕生日おめでとうございまーす!心の中でクラッカー30発くらい鳴らしておきますー!

 お誕生会、楽しめたでしょうか。楽しい時間が訪れていますように!

 ふう。直接言いたかったのになぁ。残念…14時に終わる予定のものが、なんと17時まで延長戦。長かった…。

 さて、お誕生会といったら、未だに私は日本式お誕生日会に違和感があります(笑)

 もう日本に帰ってきて長いのだけれど、習慣ってなかなか取れないものですね…自分でパーティ開かないって不思議。私のお祝いするよ!来てー!って言わないのが不思議。

 日本のものって、全体的に受動的なものが多いと私は感じています。何が、とは急には思い出せないけれど、至る所で「自分で発信して!自分で主張して!」と思うことが多々ありまして(笑)

 高コンテクスト文化だから?ううむ、難しい。今度考えておこう。

 さて、本題。

 今日はたくさん「アジア人差別」という言葉を目にしたので、「差別」について書いていこうかなぁ。どんなことであれ、私は差別は嫌いです。

 私はオンライン英会話をしています。そのときにも差別について考える瞬間がありました。

 カメルーンかナイジェリアの先生のレッスンのとき。男の先生が、「自分のような黒い肌を持つ人ってどう思う?」と私に問いかけまして。

 私はすごーく悩みました。「黒い肌を持つ人」という枠組みで人を考えたことがあまりなかったから。私はコンビニとかで黒い肌の人を見る機会があるけれど、そんなに何かを感じたことはありません。

 今まで会った方で、「笑顔素敵だなぁ~」とか「ひらがな表記は難しいねお名前!」とか。そのくらいしか記憶にない。そのとき、「あ、どこの国の人だろう。」と思うだけかなぁ。

 多分、私がアメリカで過ごした時期にたくさんの黒い肌の人と出会ったからかもしれない。私は小さいながらに長い黒髪をしていて、その珍しさに多くの方から「写真一緒に撮って!」と言われていたらしい。

 だから色々な人に出会った、と思う。肌が黒い人も、白い人も、私にとっては「人」という枠組みに入るだけの存在なんだろうなぁ。

 ほら、馬だって黒・白・茶…があるでしょ?それと同じ感じ。個性というか。…あ、馬は鹿毛・黒鹿毛・栗毛・青鹿毛・尾花栗毛・葦毛・白毛・青毛・連銭葦毛…などなどですよ!私はどの子でも好きです!

 パノミノもかわいい。斑も。なんだってかわいいのですよ。流星がどうだって、なんだってかわいいのです。

 これ以上馬について話すと、noteが1万字超えちゃうのでここまで(笑)

 と、いうことで。

 私にとって、人間の肌の色なんて馬や犬、猫、その他動物たちの毛色の違いに等しいのです。それだけ。

 私はそうやって捉えているからか、家族の人とちょっとした議論になることもあります。「あの黒人、」と彼らはしばしば口にするけれど、それは私としてはどうなのかなぁ、と思っています。

 肌の色で自分を指定されるって嫌じゃない?私だったら嫌だなぁ。特に社会的に色々ある特徴だったらね。

 「あのイエロー、」とか「あの黒い髪、」とか。言われたら「それは私の外見の一部であって、私全体を示す言葉じゃない」って思います。そのたったひとつやふたつの外見の特徴で、ステレオタイプで偏見を持たれるのはもっと嫌。

 その人の内面が、一番その人を定義すると私は思っています。外見はただの外見。服装や髪型にパーソナリティ、その人らしさは出るとは思うけれど。

 内面が優れている人の内面を無視して、表面的な肌の色や服装から、その人を判断するって私には不思議なことです。「どうして見た目が優先されるの?」と思う。

 まぁ、それはきっと私が外見に対して興味を持てないからであり、覚えることができないことも要因のひとつだと思っています。人をパーソナリティで覚えるしかない。その人との会話、その人の言葉のチョイス、センス。雰囲気。態度。それが私にとって、人をその人だと認識する手段です。

 そういった考えが私のコアにあるので、先程の先生の質問、「自分のような黒い肌を持つ人ってどう思う?」に対して、「黒い肌には強さを感じる。太陽に負けない強さもあるし、黄色や赤といった強い色に負けない魅力がある。そういった認識から、黒い肌の人には強さを感じる。素敵だと思う。肌から連想するなら、そんな感じかなぁ。人に依るけどね!」と答えました。

 なんでも人に依るのです。日本人は〇〇だ、って言っても、日本人だから絶対〇〇、ってことはない。

 しかしながら、その質問の後先生がほっとしたような顔になって、嬉しいとおっしゃいまして。「え、嬉しい?なんで?」と聞くと。

 「黒い肌って色々言われることがあるから。」とのこと。そのとき、「差別かぁ」と私は思った。気づくの遅いけどさ。

 人間って面倒だと思う。動物たちは毛色で差別しないもの。それを「知能が低いからだ」と言う人もいるだろう。けれど、私はその知能なんて無駄だ、と思う。人に上下を付ける知能なんて、なんの役に立つ?

 黒い肌は、歴史的な背景や聖書の登場人物たちに黒い肌の人がいないことなど、様々な理由から偏見を持たれています。宗教画に黒い肌の人がいないように。

 同じ人間なのにね。どうして分けるのだろう?

 差別には色々な理由があるし、背景があるし、歴史に関わるようなものがある。「差別はいけません」は、シンプルでいて複雑だと思う。

 あの民族が憎い、とか。あの国の人が憎い。とか。あるとは思う。けれど、個人が全体を示すという発想は、なんだかなぁと私は思う。あくまで個人。

 そうは言っても、民族や国、宗教ごとの考えというものは浸透してはいる。個人を超えたものがそこにはあるのだと思う。

 ううむ、もっと複雑になってきた。歴史上で解決したことがないこの「差別」という悲しい言葉は、これからも永遠に姿を消さないのだろうか。

 どうして差別するの?どうして人と人を分けるの?どうして違うと言うの?

 シンプルな問いをして、答えが自分のオリジナルのものではなければ、きっとそれは自分の環境がそう思わせているのかもしれないな、と私は思います。

 難しいけどさ。差別は悲しいものです。

 ちょっとしんみりになるから、最後に一言。

 動物って毛色で分けないだけではなく、種族を超えて子どもを育てたりもする。犬が猫を育てたり。時には彼らを見習わないといけないと思います。

 Youtubeで検索してみて!「あ~いいなぁ仲良し…」ってなるから!(笑)

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