日常の尊さ。
322回目です。φです。
今日は3.14、円周率の並びの日にちです!…なのですが、日本の世間的にはホワイトデーですね。
ホワイトデーは〇倍返し、ということを聞きますが、実際どうなのでしょうね。そして倍にする意味ってなんだろう。
ホワイトデーをスタートさせたのは「石村萬盛堂」というお店らしいのですが、マシュマロを送るのがホワイトデーだったとか。
ご興味を持った方、どうぞこちらを訪ねてみてください~。面白いことがたくさん書かれてあります。
マシュマロ…私はマシュマロが苦手なのですが、結構珍しいらしいですね!マシュマロってそんなに人気?
キャンプのときやバーベキューでしょっちゅう焼いて食べていたので、もしかしたら人生のマシュマロ摂取量を超えたのかもしれない幼少時に(笑)
串刺しマシュマロを焼くのは、アメリカではポピュラーなので…日本で大きなマシュマロがなくてびっくりしてたなぁ私。
「こ…こんな小さなマシュマロを刺すの…?難しい…!」と思っていましたが、焼く文化がなかったのかぁ、と今更ながら思います。日本、どうやって食べるのマシュマロ。ココアに浮かべるとか?
マシュマロ、あの独特の匂いが苦手ですね…あと歯につく感じ。多分、好きな方はその点が好きなのだとは思うけれども。好みって難しいものです。
まぁホワイトデーの伝統的なものはマシュマロ、とのことですが、今年はお花を推奨されていますね!お花屋さんたちの救済。
お花は物としては残らないけれど、空間を素敵なものにしてくれるし、ちょっと特別な気分になったりもできます。これをきっかけに、お花を飾る、もしくは日常的に渡す習慣がついても素敵だなぁ。
余談ですが、私はエディブルフラワーが結構好きなので、お花を見ると「美味しそう…」とすぐに思ってしまいます。きっとお花的には「食べないで!飾って!」って思っているかもですね(笑)
さてさて、ホワイトデーはここまでにして。今日は「日常を大切にするって大事だなぁ」と思ったので、それについて書いていこうかなぁ。
今現在、とっても日常とは言い難い日々が続いています。老若男女問わず。
いつ終わるのか分からないこの状況、すでに「コロナ疲れ」も始まっているとのこと。確かにそうだと思う。いつ日常は戻ってくるのか、何もかも不明確だから。
そういう非常時に、私たちは日常というものに思いを馳せる。日常を過ごしているときは日常を「当たり前だ」と思って、見過ごしてしまっているけれど。
当たり前こそ、当たり前ではなくて。当たり前こそ、尊いのだと気づく。全員がそうではないとは思うけれど、私は当たり前こそ尊いのだと気づく。
繰り返されるものに、人間は順応します。慣れていって、貴重なものだとしても常にあるものだと見なすようになって、馴染んで。
それを失うことになると、ようやくその貴重なものを貴重だったのだと気づく。今まで「当たり前」だと思っていたものは全くもって当たり前じゃなくて、なければならないようなものだった、って気づく。
そのとき、すごく後悔をするのだと思う。もっと大切にすればよかった、とか。どうしたら手に入るのかすら分からない、もうどうしようもない、とか。
その思いをしないようにするのは難しいと思う。人間すぐに馴染んでしまうし、いちいちすべてのことに目を向けることができないほど時間に追われているから。自分のことすら放っておいてしまうことだってあるもの!
けれど、日常を日常だと思わずに、すべてが新しいもので、尊いもので、と考える、もしくは心に留めておくことって大切。
そうすることで、日常って輝いてくる。失ったとしても、後悔だけではないものになると私は思う。
近年、「丁寧な暮らし」に目を向ける人が増えたらしいですね。色々な情報誌に書かれてあったり、アイテムに「丁寧な暮らしに」とコメントが書かれているものが増えたり。忙しくて大変な毎日だからこそ、丁寧に暮らす。それを考えている人が多くなった、ということかなぁ。
丁寧な暮らしをすると、ひとつひとつに感謝するようになるかもしれない。いいなぁ、そんな暮らし。私は憧れます。やってみようと思っているけれど、やっぱり忙しいと忘れてしまう。だからこそ、わざと手間をかけるようなものをやって、「あえて時間をかけて丁寧にやってみる」ということをする。
「時間かかるなぁ面倒…時短したい。」なーんて思いつつも、そのかかっている時間で黙々と集中して、終わってからその時間が充実したものだと思う。なんかすっきりしたなぁ、みたいな。
と、同時に「せかせかし過ぎてたかも。もっとゆとりを持って生活しようかなぁ」という考えも浮かぶし、もうそのときには日常の慌ただしさから離れていたり、日常でテキトーに扱っていたものが大切なものだということに気づいていたり。得るものはたくさんあるのです。ひとつの作業だけでもね!
まぁそんなことは言いつつも、今とっても忙しくてそれどころじゃない方もたくさんいらっしゃると思う。時間が足りない、時間があってもどうしようもない、忙殺されるような状況にある方々はたくさんいる。
もし時間があるのなら、ちょっと振り返ることを私はおすすめしたいです。日常は「当たり前」のようでいて、とっても尊い。日常こそ素晴らしいもので、失ってしまってから大切さに気付いても遅い可能性が高いということ。
もっと時間がある方は、日常に溢れている素晴らしいものを見つけるきっかけに今の時間を使ってほしいなぁ、と私は思います。私は入院していた時期、「当たり前だったこと」をすごく恋しくなった。環境が変わるだけで、当たり前なんてすぐにいなくなってしまって、すごく悲しくなる。なんでもっと大切にしなかったのかなぁ、なんて思ったときもあった。
しかしながら、あのときの経験は私にとってとても価値のあるものでした。あの時期があって、あの考える時間が与えられたからこそ今私がいるわけで。
非日常の今こそ、日常を見つめ直す。見つめ直して、再び日常を取り戻したとき、素敵なことに溢れている「素晴らしい日常」を新しい感覚で歩んでいこうと私は思います。
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