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露見した本性。

 306回目です。φです。

 何かと私の時間が消費される日で、気づけば午後だし、そしてもう16時だし。雑務dayみたいな。

 OneStories行きたかった…コロナだから外出控えて!と家に閉じ込められかけています脱出ゲームみたい。よし脱出しよう。張り切ってまではしないけど(笑)

 終わりの見えない不安定な状態ってなかなかメンタルに悪いですね。世界中がきっと同じような状況にあって、心境にあるのだろうけれど。

 今回のこの状況によって、たくさんの事実が浮き彫りになったように私は思います。

 そんな内容で書いていこうかなぁ。


 さて、唐突ですが人間って本性現すときありますよね。過度の飲酒が原因のものはよく耳にするかと思います。

 私は一度大学のサークルで飲み会に行ったのですが、「それが本性かぁぁ!」と人差し指を突き付けたくなる状況に陥りましたね。複数人を対象に。

 他にもいろいろな場面でそういうことに出会いまして。「日頃の印象が壊滅してますがよろしいの?」と翌日にでも言いたくなる感じでしたね。そりゃすごかった(笑)

 他にも、余裕がなくなったときとか。ちょっとしたときとか。

 「あ、そういう反応もするんだ~…へえええ…」みたいになるとき、ありませんか?咄嗟の反応とかちょっとした言葉遣いとかに滲み出る本性。

 まぁ、人間心に余裕がないと、言葉は悪いかもしれないけれど「取り繕う」ことができない。だからこそ本性が現れるわけです。本性って言うのも言葉が適切じゃないのかな?本心、本音、そこら辺。

 私は今回の世界的なウイルスの広がりに、各国が意識して取っていた行動、そして無意識下や実際はどう思っているのかがはっきりなったように感じます。

 残念な方向に、だけれど。一部はね。

 欧米でのアジア人差別が明らかになったように思います。欧米、というかアジア以外の国々。もちろん、差別されるかと思ったけれど真逆の対応をされた、という素敵なエピソードも私は目にしました。一部の、本当に一部のものが露見したのだと私は願いたいし、そうであってほしいけれど。

 アジア人がいるだけで「コロナ」と言われたり、お店に「ウイルス」と落書きされた人がいたり、暴力を受けたり。露骨なものじゃなくても陰口のように言われたり。

 そういう体験に遭った方々がいらっしゃるようです。私はこれらの事実を知って、どんなに文明が発展しても、心に根付いたものは、歴史上繰り返されてきたことは、変わらないのだなぁと思いました。悲しいけれど。

 アジア以外の国々による差別、と書いたけれど、私はアジア同士でも差別はあると感じます。アジア同士だから差別しない、とは私は思わない。けれど、おそらく他の国々よりもアジア各国の区別がついている地域ですら差別が起こる。お互いへの差別があると思います。

 ニュースで話題になるものにも私は悲しみを感じます。けれど、ニュースにならない情報を見つけたとき、「お互いに嫌い合っているのだろうなぁ」と思わずにはいられなかった。

 日本語での情報はかなり限られています。日本語を母語とする方がほとんどで、他の国から見た状況を知ることは難しい。

 英語で私はワードを入れて検索した。そうすると、世界各国の人の意見を知ることができます。まぁ、英語を使う人、という絞られたものになるけれど。それでも日本語話者よりも圧倒的に多い。

 ううむ、ちょっと暗くなってきましたね。私は真剣に考えているから、茶化すような言葉は使いたくないのだけれど、雰囲気変えて書きます!

 「日・中・米、ウイルスで滅びてしまえばいいよ!大嫌いだから!」みたいなことが結構あったり。hate使って書くんだ…日本人だったらオブラートに包みそうだけど…へぇぇぇぇ大胆、と正直思いました。いっそ潔い。

 まぁ、個人のアカウントのTwitterは発言はおおよそ自由です。特定の個人を批判しない限り、法には触れていないのだと思います。多分。

 そんなこんなで、日本ってパスポート最強だよ!日本人って礼儀正しいって思われているよ!日本製made in Japanはどこでも通用するさ!…は日本人から見た日本なのです。多分。

 多分使い過ぎてますね、しかしながら確信を持てないことを発現するとき、「多分」は最強の保険だと私は思っています。多分(笑)

 で、話を戻します。ゆるっと。

 差別はしてはならない。人は平等だ。差別をして悲しい歴史を歩んだ、だからこそ今手をつなぎ合おう。

 たくさんのことが掲げられています。SNSを使って国を超えて賛同することができる時代、声を伝えられる時代、お互いを知る機会のたくさんある時代。国を超えて、目標へ進むことができ、そして進んでいる時代です。改善もかなり進んだ。

 けれど、今回のことで露見した。肌の色、出身地による差別は未だ続いている。それも世代を超えて。おそらくインターネットを駆使できる世代でも、インターネットに馴染みのない世代でも、無差別に。

 とても悲しいことです。どんなにお互いを知るきっかけ、理解するきっかけはあるにも関わらず、私たちはお互いを本当に理解し尊重し、手を取り合うことはできていないのです。

 何度も言いますが、限られた情報において、そして一部の人によるものです。すべての人が差別をするわけではないし、差別の心をもっているわけでもない。被害が報じられるだけのインパクトを持ったものだけが、私たちの目に入る。本当の数なんて知ることは不可能です。

 どうしたら差別は完全になくなるのでしょうか。完全になくなる日は来ないのでしょうか。差別という言葉が多くの国にある時点で、なくなるものではないのでしょうか。

 翻訳できない世界の言葉。この本に、「差別」というものがあればまだマシだったかもしれない。多くの国でダイレクトに翻訳できるということは、共通の認識は、または類似した認識があるということです。

 ひとりひとりの意識が変わって、それが全体に広がって。そうしたら、差別はなくなるのでしょうか。そうであってほしいな、と私は願います。

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