見出し画像

時代が進んでも”人の人への興味”は消えない

749回目です。φです。

Twitterを走り回っていると、「この人の話が聞きたい!」という方にしょっちゅう出会う。ツイート内容からがほとんど。人を知るには、会話しかないんだなぁとしみじみ。

じゃあ「こんにちはー!お話しましょー!」を突撃的にやっていいかというと、まぁそうでもない。TwitterにはTwitter上のマナーがあって、対面じゃないからこそ、どこの誰かも分からないからこそ、厳しいものがある。らしい。

だからこそ、誰もがフォローしていない人に対しての返信やコメントに「F外から失礼します」「フォロワーではありませんが」「F外からすみません」などなど、自分と相手とのつながりを一度書いてからスタート。

急に話って始めたらだめなんだなぁ、難しい。ふとそう思います。

そういう私は、「はじめまして!」から始める。はじめまして、だもの。

その「今までコメント返信したことのない人に対して、Twitter上ではどう話し始めるべきか」ルールを見つけようとしたけれど、これが上手くいかない。それって個人が言っているだけのような…というものまで存在する。

インターネットの世界って、出典元があやふやだったり、自論の主語が”みんな”になっていたり、信用するが難しいんですよね。見極めが大切。

話から人への興味がわく、ということについて書く。どんな時代であっても、AIが発達しても、バーチャルの世界で会うようになっても、人間は人間そのものに興味を持つんだろうなぁと思う。

まぁそれは人によるけどね!人じゃないものに興味を持つ人もいて、それはそれでいい。

様々なものが便利になって、道具は増えたけれども。それでも、目的は”人との交流”だったりするんだろうなぁ。人間が社会的動物、というのは納得。

さて、これからのご時世、面白みがある人が残っていくようです。独自の”何か”を持っていて、それに対してのスペシャルティがある人。ジェネラリストじゃなくて、スペシャリスト、のように。

そんなことを、最近Twitterを”情報媒体”として捉えるようになって考え始めました。まだまだ世界は広がっていて、自分で広げようとすれば広がる。

できることが限られている今だけど、自分なりに動けるみたいです。移動ができなくても、行ける場所がある。そう思いました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?