![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/147163469/rectangle_large_type_2_04981f00e99773c575583c954d9226ef.png?width=1200)
(再び)セミナーにて惨敗した
りあです。セミナーにまたしても惨敗しました。いやはや、勝てる日はいったいいつ来るのでしょう。めげずに立ち向かうのですが、これからも。
私は聴覚情報処理障害があります。聴覚情報処理障害とは、以下のような症状のこと。
「雑音の中では話が聞き取れない」「早口や小さな声が聞き取りにくい」
聴力は正常でも雑音の多い場所では必要な音や話を選び取れず、理解できなくなってしまう「APD(=聴覚情報処理障害)」という症状があります。
聴覚情報処理障害で聞き取りが悪いのですが、聴覚過敏でもありまして。大声で言われると、それはそれで聴こえないという…少々困っております。「どっちかにして!」と常日頃から、私の聴覚野へ文句を言っているわけですが(笑)
私が(今回も)惨敗したセミナーは、大きなイベント会場の一角で行われるスタイルのもの。講師がスクリーンに情報をいくつか映しながらしゃべって、それを10人くらいが一斉に聞く、という感じでしょうか。
スクリーンに映った内容だけを話すスタイルなら、私もなんとかついていけます。文字を読めばいいから!
しかしながら、スクリーンが説明の1割程度、残りは口頭…というスタイルだと、私はもう「あ、無理ですね!」になる。講師の口元を必死に見て(多分、講師にとっては恐ろしい程の視線になっていることでしょう)、スクリーンの文字を読んで、超真顔であれこれと頑張ってみても、もうさっぱり追い付けません説明に。
気楽に参加できる人もいるだろうに、私は「き、聞き取れない…どうしたら…え?なんて言ってた?え?え??」みたいになって、謎の絶望感+失望感+虚無感に襲われるわけです。テストがあるようなセミナーでもないのに、なぜかおひとり様で「ブルータス、お前もか!」の心情になります。超大袈裟。
改めて考えると、いろんなものが「健常者向き」になっているのだなぁ。と思う。「誰でも参加OK!」みたいに謳っていても。
私は一応耳は聴こえています。聴覚は人よりも良いくらい。だから、聴覚障がい者の苦労は分かりません。きっと大変なことが多いのだろう、というくらいにしか分からない。想像しかできません。
でも、聞き取れない私にとっては、ちょっとばかり聴覚障がい者の気持ちになることが多々あります。「あ、聴こえないってこんなに不便なんだ」って思う。セミナーだって、文字起こししてくれるわけじゃないし。駅のアナウンスも聞き取れないし。
「聞き取れない」という経験をいくつか積むと、どうしても「聞き取れないし、分からないし、行かない。やらない」という選択肢を持ってしまう。どんなに興味があっても、自分が参加できない未来を予想してしまう。
先に「ちょっと耳が悪くて」と言っていても、まぁそこまで結果は変わりません。
私は結構興味の幅が広いようで、さまざまなセミナーや体験会に参加します。伝統工芸品の「鞠」作り、刺繍などの体験会。お茶やコーヒーのセミナー。書いていたらキリがないので、この程度にしておきます(笑)
どれも「…聞き取れない!」というコメントを持って帰るわけです。講師のことを見様見真似したり、周りの受講生たちを見様見真似したり、なんとかやってはいける。でも肝心な説明とかはさっぱり聞こえていないので、動作は遅いし、できないことも多いし、質問しても「あれ、教えてもらっている最中だけどその説明さえ聴こえてないね私」になるし。
とっても消化不良で帰ります。「今回もだめだった…!」という、なぞの敗北感を持って帰るわけです。ちょっとしょげる。きっと帰り道の私の顔は「(´・ω・`)」みたいなものでしょう。
「じゃあ参加しなければいいじゃない」って私はいつも思います。自分ができるスタイルで学べばいいし、体験すればいい。そうは思うけれど、どうしても「やってみたい!」という気持ちが勝ってしまう。
いつか「今日はたくさん学べた!よかったー!」と言える日が来るのでしょうか。そうなったらいいな、いろんな人が同じような体験を共有できる方法が生まれたら、きっと面白いだろう。もっといろんな人が、いろんな人と関わることができるだろう。
技術が進むことで、助かる人が増えればいいなぁ。そう思います。
Have a content day.
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?