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外見とジェンダー

 531回目です。φです。

 しばしば気になる発言を聴くので、それについて考えてみました。ジェンダーについて。性別について。

 性別、そんなに必要でしょうか。外見に関して。

 私が今日これについて深く考えるきっかけになった言葉は、「あの人、男か女か分からない」という母親の言葉。毎日のように聴くような気もします。道を歩いている人、テレビに映った一般の人、店員さん、などなど。個人情報としてはほぼ何も開示していない方々に対して、彼女は私に問います。「どっちだと思う?」

 もし、問われたらみなさん何を答えるでしょう。自分が思ったことを言う方もいるでしょう。色々な考察を述べる方もいるでしょう。どうでもいいと答える方もいるでしょう。はぐらかす方もいるでしょう。この発言に対して注意をする方もいるでしょう。人によってそれぞれあって、別に正解はないと私は思います。

 個人と個人間、それなりにお互いを知っている人間同士、似た価値観を持つのなら、特に何かしらの問題が発生することはないでしょう。相手の言葉から相手の考えを推測することが可能なくらいだったら、その言葉に対して理解をすることができると思う。

 しかしながら、これがそういった間柄でなければどうなるのでしょう。例えばテレビの取材でその質問をしたら。まぁ大問題になるかと思います。今LGBTQについてはそれなりに配慮すべきことが前提になってきていますから。少し前にテレビで、一般の方に対してジェンダーのジャッジをしたとして、とあるテレビ局が謝罪しましたね。

 少し話題は変わるけれど、現在足立区に関しては問題になっています。個人的な意見ですが、滅びることはまずないかと思います。どうやったら滅びるのでしょうね。

 まぁそんな具合に、性別に対しては無責任な発言は誰かを傷つけることが知られるようになった世の中です。

 今日私は通院のために病院に行きました。婦人科です。そこでは性別は重要です。生物学的な分類としての性別。なぜって、臓器が異なるから。生物学的な男性とは。

 生物学的な分類としての性別、性によって分けること。これは私は同意です。ホルモンバランスも異なるし、筋肉量だって違いはある。脳科学的にも異なるものはあります。まぁ個人差も多少は左右しますが。

 しかしながら、それ以外で必要でしょうか?

 外見に関しては特に、必要でしょうか?

 「私は生物学的に女性/男性です!」と言う必要はないし、それを主張する義務もないのです。したければすればいい。それは自由。タイトな服を着ようが、ルーズな服を着ようが。スーツを着ようが、パジャマを着ようがどうだっていいのです。言ってしまえば選択の自由、表現の自由です。決められた規則があれば、まぁ少しばかり状況は違っていますが。

 髪の長さだってそう。長くても短くても、何の問題があるのだろう。個人の自由じゃない。

 メイクをするしないでも、自由。女性がメイクをして、男性はメイクをしない。誰が決めたのだろう。何のために決められたのだろう。守ることで、破ることで、何が起こるのだろう。

 色だってそうです。私は「女の子だからピンク」と言われて色々渡されたものありました。まぁ着ていませんけど。私の趣味じゃないからです。性別の前に、私という個人があります。

 外見で性別を区別する必要なんてないじゃない。区別して何になるのだろう。

 これには色々な理由があると思います。人間優位に立ちたいものです、だからこそ区別や差別が起こる。最初は全くそんな理由ではなかったことも、時代と共に変化してしまう。公平なもので、より良いものを生み出そう、と思ったために作られたものであっても、ちょっとしたきっかけで不公平になってしまうことだってあります。

 ものすごーく昔のことになりますが、男性が狩りをして、女性が家にいて生活のための細々としたことをして。そんな時代、きっと性差別はなかったのではないでしょうか。

 単に力の問題。身体的な力。だからこそ役割を分けた。合理的な考えによって。

 …とは言っても、当時の人の価値観を、根本の考えを、現実を、私は共有することができません。そもそも言語通じなさそうだし、タイムトリップなんてできません。あくまで「現代人が」かつてに思いを馳せて、勝手に推測することしかできません。あくまで予想。根拠あっての予想でもない、ただの発想に近いものかもしれません。

 現代社会、とても複雑です。ただ理解して、お互いを尊敬しましょう。それだけでも複雑なものになってしまいます。お互いの理解とは簡単そうで難しい。ただ「あ、そうなんだ。」で済ませそうなことだって、済まないのが現状。

 複雑だからこそ、シンプルに考えていいんじゃないかな、と思います。ジェンダーに関して。複雑に考えてしまえば、極端なことになるかもしれない。だからこそ「その人らしさが一番じゃない?」くらいの理解でいいんじゃないかな、と私は思います。何着てもいいじゃない。何を、誰を愛してもいいじゃない。その人がそれを願ったのなら。それがその人らしさなら。

 私自身も、きっと誰かを傷つけたことがあると思います。ちょっとした発言であっても、誰かにとっては辛い経験になったかもしれない。常に気をつけておかないといけない。けれど、まずはお互いを尊敬する。何よりも個人を優先する。それが一歩なんじゃないかな。

 色々ありますが、まずは外見でジェンダー云々を言われて傷つく方が減るといいな、と思います。その人らしい外見こそ、その人にとってベストなものです。

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