傷の記憶。
296回目です。φです。
最近私はサーモスのボトルでホットドリンクを飲んでいるのですが、思いの外性能が良すぎて火傷しているようです…さすがサーモス…。
口の火傷ってなかなか治りませんよね。私はしょっちゅう唇の内側の皮が破れるわ白くなるわで、年中無休で火傷です。熱湯じゃない水を入れているのだけれど、人間って弱いなぁと思います。
神経内科に私は定期健診(という名の生存確認)として通っているのですが、毎回「ホットやめてー常温かぬるいのにしてー」と言われます。しかし、私はホットの湯気が好きなので…口内の火傷じゃ死なないし、楽しみたいよね!ということで「気を付けまーす」という返事です。意味はもちろん「気が向いたら♪」程度です。
香りだって違ってくるでしょ…ホットは香りと湯気を楽しむものです…言い訳だけど(笑)
さて、急に冷え込んだようです西日本。西日本の方々が体調を崩されないことを祈ります。
冷え込みが予想されていたにもかかわらず、熊本ではマラソン大会があったようで。低体温症で運ばれた方がたくさんいらっしゃった、というニュースを拝見しました。
夏場の熱中症で運ばれた方々もいらっしゃったのに、どうしてマラソンで最優先事項に「安全性」を持ってこないのか…と疑問に思うばかりです。
さて、本題。
昨日facebookで私の先天性無痛無汗症の記事を見つけたので、ちょっと自分のことを振り返ってみようかなぁと思います。痛覚がないと、こんなことをたっくさん経験しちゃうものですよ、という…参考になればいいな?ならないと思うけれど!
先天性無痛無汗症。名前仰々しいと何度見ても思います。英語だと、「congenital insensitivity to pain」。シンプルになったような?
記事の内容で、どのくらい割合で人が発症しているかを知りました。
”About one in a million people are thought to be born without a sense of pain, which results in severe self-inflicted injuries from an early age and can lead to premature death.”(100万分に約1人が痛覚を持たずに生まれていると考えられている。そして幼い頃からのひどい自傷で早く死ぬ可能性がある。)
あ、私和訳苦手なので…ニュアンスでご理解ください(笑)
まぁ内容的にはそんな感じで、めちゃくちゃ希少動物です私!イメージできないけど!
確かに、色々あったなぁ…と思います。私はあまり覚えていないのだけれど、よく話で聞かされるので。自分の記憶の無さにはびっくりです(笑)
私が覚えているのは、5つ。
1つ目は、ヤマアラシを撫でようとして手を貫通したことかなぁ。軽く。
尖っているなんて知らなかったんですよね。ちょっと髪の毛跳ねまくった人だって、髪の毛逆立つでしょ?そんな感じだと思っていました。当時。
「刺さったなぁ。撫でられなかった。」くらいの思いで私の記憶に存在します。刺さったねぇ、って感じです。貫通してるけど。
2つ目は彫刻刀で手の平下部をぱっくり切っちゃったこと。事故ですよ~。私の2つ年上のsiblingの彫刻刀を借りて、るんるんと板を削っていました。楽しかったですね!職人さんになったみたいで。
ちょっと力つけて削ったら、板から滑って、彫刻刀がスパァァァン!と。無駄に良い位置にいた私の左手にジャストヒット。
「あ、当たった。」と思って手を上げたら、持ち上げたことで皮膚が広がって、赤い裂け目から血が噴水でしたね。いや初めて見ました私。おおお、と思いました。
絆創膏どこだろ、と思ったのですが、絆創膏は両親の部屋にしかなかったので、とりあえずsiblingに報告。「血が出たー」。
ひょっこり現れたsiblingの顔が面白いくらい白くなったのが今でも記憶に残っています。顔の造形は思い出せないけれど、皮膚の色は覚えているなぁ(笑)
一瞬にしてsibling走って両親の部屋に行ってしまったので、私放置されてました。「えー嘘無視?」と地味に不貞腐れましたね当時の私。
両親が部屋に走ってきて、二人共顔が白くなって、「わぁ家族って似るんだ」と思いました私。面白かった!反応がそっくり過ぎて!
私は絆創膏をもらおうとしただけなのに、病院に行くことになり…手をタオルで包んで車で急患へ。タオルがすぐ重くなったこと、思った以上に両親が深刻な顔をしていたことを覚えています。多分。
並んでいる人すっ飛ばして、すぐに呼ばれて手術室に行って(連れてかれて)、縫合。
お医者さんの「どうしたの?」に対して「血が出ました」という反応でしたね私…いや見て分かるよそれくらい、と今では思うけれど(笑)
そして、私の記憶はそこまで。いつ治ったのかとか覚えていないし、ただ切り取ったようにその場面だけ覚えている。今でも思い出せるのは、多分私の左手に傷跡が残っているからだろうなぁ。
傷跡消えてたら忘れてる。なんかあったよね?なんだっけ?で終わりそうです。
3つ目。目から血が出たこと。ストーリーなんてないのですが、「朝起きた。目が開かなかった。こじ開けた。鏡見た。目から血出てるー!」って感じです。簡単すぎますね…。
瞼の裏に血の塊ができていたみたいで、学校行かずに病院へ。そして手術(笑)
「手術します。」と先生が言った瞬間、嫌な予感で「よし逃げよう」と逃亡ルートを探した私でしたが、まぁ逃げることなどできませんでしたー!現実とは世知辛いものです!
気づいたら終わったんですけどね。なんか目に注射された感じで、瞼めくられて、何か切られて。終わり。わぉスピーディ。
終わって眼帯で過ごすことになって、しかしながら友だちと遊ぶ約束していたので眼帯で友だち宅へ行って、普通に遊んでいました。誰だったっけ…なんか驚かれたような…?
4つ目。足の小指裂けた。
シールを取ろうと棚の引き出しを動かしたら、スーツケースが倒れてきて、大きな音を立てていたので「うるさいなぁ」と思ったら私の足から血が出てました☆って感じでした。
そして病院にこれまた急患で連れていかれ、順番すっ飛ばし、はい縫合。指なんて小さいのに先生器用だなぁ…と子ども心なりに思いました。あまりに傷を私が見つめ続けるので、看護師さんが血を見せないようにガードしていました。私は見たかったのだけど!(笑)
これも、ここで記憶が終わり。今では「どっちの指だったっけ…?」ってなっています。小指なんていちいち見ないし。多分傷跡はあるのだろうけれど。
最後。5つ目。唇裂けた。
バトントワリングを習い事のひとつとして習っていて、友だちが投げたバトンが私の顔面にクリーンヒット。私運が良すぎますね!
「え、なに。危ないなぁ。」と思っていたのですが、周りからの悲鳴で自分がなんかピンチだということを知りました(笑)
「え~…トイレで見て来る」と「面倒だなぁ」と思いつつ私は移動。まぁ鏡には口から下血塗れの私がいましたね!びっくり!
思わず笑っちゃいました…よく分からなくて。いや本当によく分からなかったという記憶しかありませんね。
ちょうどレッスンが終わってお迎えが来る時間だったので、親を見つけて「見て見て真っ赤!バトン当たった!」と確か笑顔で報告してましたね私…ここでも親の顔が白くなる様子を覚えています。
「あと1mmでも深かったら縫うところでした」と言われて、「口縫うって喋れないじゃーん」なんて愉快なことを思っていたものです。私能天気ですね。縫うところそこじゃない(笑)
で、バトンを当てた本人からは謝罪もなく、避けられるようになっちゃいました。なぜ…。慰謝料…。
この傷も、若干私の口に歪な箇所があるから覚えています。なんだろこれ?と思っては、「ああそういえば…」と思い出す。私の記憶、しょっちゅう忘れられてますね本人に。
そういったことを思い出して、「よく生きてるなぁ」と地味に思いました。戦いの傷跡がたくさんあります…いやほとんど自爆ですが。
他にも、親知らずで顔腫れて、膿んだ場所押して顔手術したり。脚20cmくらい裂けたり。居合道で手の甲ぱっくりしちゃったり。骨折した腕でぶら下がって遊んでいたり。頭割れたり。などなどあるらしいけれど、正直記憶があまりない。事実だけは「歴史」として知っているなぁ、という感じです。私の記憶としては薄くて、私の歴史として知っている、事実は知っているよ、という感じ。
もし痛みを知っていたのなら、もっと記憶として続きがあったのかなぁ。治る過程とか、どうだったのか、とか。危機管理能力もついていたかなぁ。どうだろう。
人間、弱いようで頑丈みたいです。人体とは不思議なものです。傷は残っても修復するし。細胞云々のプロセスは私知っているけれど、科学的なことは分かっていたとしても不思議。まぁ私にとって一番の不思議は、ちゃんと傷もつくし触覚もあるのに、それに気づかない私の神経と脳ですが(笑)
最後に、リンクを貼っておきます。2015年で5年前の記事だけれど、これ以上の更新された情報を私は手に入れることができませんでした。あんまり調べる時間なかったし。もし英語で専門的な文章読みたいって方がいらっしゃったら、小難しいワードばかりの英文をどうぞお楽しみください~。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?