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コーチとして「カウンセリング」は提供しないと決めている
クライアントが求めるものを提供する
これは、ビジネスの基本であり、原理原則のように思う。
コーチングにおいてもそれは同様で、中身の解像度は人によるものの、コーチングを受ける人が求めるものは、コーチングによって提供される。
僕らコーチは、そのために日夜努力をし、視点の数を増やし、スキルを向上させている。
ただ、まれにこんな議論がある。
「クライアントが求めていることに答えることが大事。なのであれば、コーチングにこだわるのではなく、カウンセリングが必要ならカウンセリングもやる。目的はクライアントのゴールだ」
と。
ぼく個人のスタンスとしては、この話には半分賛成で半分反対だと思っている。
というより、僕の場合は明確に、「カウンセリング領域には踏み込まない」と決めている。
なぜなら、扱うべき課題が異なるためだ。
もちろん、扱う課題が違うのだから、求められるスキルだって異なる。
僕自身、セラピーを源流とする考え方は学んでは来ている。
しかし、カウンセリングやセラピーを提供できるかと言えば否だ。
コーチングがそうであるように、カウンセリングやセラピーもまた、高い専門性が要求される。
個人的には、コーチングで精いっぱいなのだ。
だから、カウンセリングが必要なのであれば、その道の専門家を訪ねるべきだと考えているし、実際にそう伝える。
これはおそらくカウンセリングやセラピーに対する理解不足もあると思うのだけど、クライアントの傾向として、比較的心に「問題」を抱えているケースがカウンセリングの場合多い。
そのため、例えば「キャリアカウンセリング」という言葉があるが、これはあまり適当ではないんじゃないかと個人的には思うほどだ。
妻が実際にキャリアカウンセリングの国家資格を持っているので、名称としては間違いではないのだろうが、どちらかと言うと、クライアント自身の心の状態は「問題」というわけではない。
うつや適応障害の話になってくると、これはもう「医療」の世界の話に鳴ってくる。
よって、安易に手をだすべき領域じゃないな、と個人的には思っていて。
まして、トラウマに触れるなんてことはコーチングにおいては正直言って「避けるべきだ」とも思う。
仮にそのトラウマが行動の制限になっているのだとしても、触れるべきかどうかの見極めは慎重に行わないと思わぬ事故にだってつながりかねない。
結構な数の心の問題を抱える人にもあってきたので、余計にそう感じられる。
ひとえに、僕自身のスキル不足と言ってしまえばそれまでだが、何も僕が提供できずとも、クライアントが自身の問題を解決する目的は達成できるのだから、「できないことはできない」と伝えるのは、むしろプロとしての礼儀とも思う。
ここに対してスキルを獲得しに行く選択肢ももちろんあるが、僕自身はそれはしないと決めている。
なぜなら、コーチング一つとっても、その深淵をまだ覗けていないと感じているのだ。
であるなら、僕自身は、もっと「コーチング」というものを研ぎ澄ませ、クライアントへの提供価値を高めていきたい。
これを「コーチングへのこだわり」と捉えることもできてしまうと思うが、僕自身はべつにこだわっているわけではない。
「対人支援」という、恐れ多くも人様の人生に関わらせてもらうとしているのだ。
だとすれば、中途半端は許されないだろう。
世のコーチングとカウンセリングを両立している人たちを揶揄したいのでは決してない。
僕自身のキャパシティ、能力の限界を鑑みて、「価値提供ができない」と判断したに過ぎない。
だから、必要以上に共感を示したりもしないし、問題に入り込むことも基本的にはしない。
だけども、目的や目標、ビジョンの達成のために、研ぎ澄ませてきたコーチングでもって、クライアントの行動と自身の行動に対しては、コミットし続ける。
これが僕自身のコーチングとコーチとしての理念だと思っている。
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