いまを生きるss

人生の奴隷

    
 マリファナはタバコや酒に比べ有害か、という議論をたまにみるけれど、状況や属す社会により害の定義は変わるので当然どちらともまずは言える。即効性の観点からは砂糖こそ、お手軽さも込みでマジックマッシュルームと並んでヤバさの極みと個人的には感じるけれど、中毒者が多数派を占める社会ではもちろんのこと中毒である状態が「健全」になる。また依存性や紊乱性の観点からアルコール摂取の社会リスクこそヤバヤバなことは現に禁じる国や文化圏が今なお多いことや、日本なり米国なりでのアル中の位置づけをみれば明らかだ。しかし酒ほど文化に深く根差したアイテムを、たかが近代国家が法ごときにより禁じるのはどだい無理がある。人は国家より前にあり、文化は人の心的構造そのものだからだ。

 したがって、神仏の教えがアルコール摂取を禁じる状況は、そのまま神仏が人の精神を支配する証明となる。これがたとえば、憲法により国王が仏教の擁護者と規定されるタイでは特定の時間帯のみ酒類の販売が許可されて、イスラーム圏では建前上酒の文化が存在しないことの根拠となる。
 

されど凡そ人の前にて我を言ひあらはす者を、我もまた天にいます我が父の前にて言ひ顯さん。されど人の前にて我を否む者を、我もまた天にいます我が父の前にて否まん。 マタイ10:32-33


 翻って外部の目には、かつてエコノミックアニマルの冒されし拝金アディクトも癒えぬまま、栄光の護送船団から舵すら利かぬ泥舟団へ転じた今の日本は不穏な状態とも映る。むろん禁断症状による暴行自虐もまたひとつの文化表象には違いない。嫌韓嫌中の域を超え、ABCD包囲網に追い込まれたから式に一面の事実を全面化させる被害妄想が、今後はより過剰に空気を支配しゆくだろう。

 この意味ではフェイクな日の丸掲げつつ、左派憎しの一心から香港デモ敵視のあまり根底を誤解のうえ無自覚に北京サイドへ立ってしまうネトウヨたちの日和見鶏な今後がちょっと恐楽しみだ。早晩経済規模で名古屋大阪を追い越すジャカルタやサイゴンをdisるためいったいどんな屁理屈をこねだすのか。否定のための否定は宛先へのダメージ以上に己を傷つける、憐れな精神の自傷ゆえにこそ依存対象の手近な転移先として都合が良い。



 「表現の自由」をめぐるあいちトリエンナーレの騒動について、沼田牧師への返信で「(国家による)河村市長への憑依劇こそ一個の傑作」なのだと述べたのは、騒動の核となった《表現の不自由展・その後》の中止が報じられるより前だった。「一個の傑作」とはつまり、それ自体が一つの優れた表現なのだと言っている。だからその後の大村秀章愛知県知事による河村たかし名古屋市長への反駁は、いかにも盟友同士が演ずる古典喜劇として上出来だし、あいちトリエンナーレはこの豊作を素直に寿ぎ、津田大介芸術監督は素朴に微笑んでいれば本来良かった。けれどいつのまにか想定外の糾弾を内外より浴び現実は異なる世界線へ突入し、参加アーティストの隣に座って憔悴し表情のこわばり切った津田大介をDommuneで観たとき正直ぼくはしばし驚き、そして日本人だな誰も彼もとあらためて合点がいった。
 
 津田大介との対立がごく初期から知られたあいちトリエンナーレのキュレイトリアルチームには、学生時たびたび世話になった某姐御含め旧知の人間が複数いる。というか仮に大学院時代、そのまま美術分野の人間として身を立てることを選んだならば、当時関係した人々のその後の展開からいっても、ほぼ確実にぼくは「現代美術サイドの人間」として彼らと津田さんの間に立つ言動を為していただろう。退却線を辿った今でさえ彼とはツイッターの国内普及当初から相互フォローになっているのだから、都下のアートシーンに密着した立場であればどこかで直接親交を結ばなかったはずもなく、人間関係含めマゾヒスティックな性向から板挟み状況をきっとそこそこ楽しんでいたはずだ。かつトリエンナーレアドバイザーであった東浩紀やその弟子筋取り巻きとりわけ黒瀬陽平からはあからさまな蔑視を浴びたろうとも推測されるのは、そのような在りかたが「美術分野で身を立てる」選択の極私的内容そのものだったからだ。さらに個人レベルで関係者たちの異動移籍のタイミングを考え併せると、現時点であいちトリエンナーレのキュレイトリアルチームに加わり名古屋へ仮住まいしている可能性すらまことに高い。

 というのは妄想で、現実にそうはならなかった事情など当人には語り得ない(騙りにしかならない)のを前提し「表現の自由」の関連のみ当時の内心を開陳するなら、それは限定的見聞を経た手前勝手な失望なのだが要するに「現代美術」の表現に飽き始めていたのだと、今なら言える。ここにおける表現とは意図せぬ表出を含み込む形象の全体を言っていて、たとえば津田大介のあの憔悴顔は、河村市長による否定同様に秀逸な表現物だし、文脈次第では個別の展示作品をその強度で優に凌ぐけれどもSo what?なインナーマターでしかなく総体としてつまらない。そも津田さんはフジロックでも「音楽に政治を持ち込むな」系の批判炎上をあらかじめ読み込むようなパフォーマンスを確信犯的に行っていたのだし、ディレクター権限を行使する表現としての《表現の不自由展・その後》併置には、ろくでなし子に近い種の「美術」を合目的的なダシに使い捨てる浅ましさをまず覚える。これらに比べれば、また憲法に照らし順当な大村秀章の展示擁護に比べても圧倒的に、河村たかしによる展示の否定こそ「政治」的純度に優れ表現行為としての精度は高い。
  

 
 こうした理路の展開を、さて仮に美術畑を進路に選んでいたら踏み得たかと考える。その進路を選択できたということは恐らく、こうは考えられなかったと思われる。どちらが良いという話ではない。個の制約を受け入れた上の選択が生むアウトプットの顕著な差異の一例として、そのように想像される。なぜなら現下の日本社会では、「表現」はミメーシスではなく「クリエーション」なのだというのが一。しかし「クリエーター」を恥ずかしげもなく名乗れる人物の集合体が織りなす作品群もまた、良質であればあるほど当人の自意識などに依拠せず、その本質は制度上の個人名ごときに帰属せずこの社会、の基盤となる自然、を包含する世界、による表現の極一部として析出される、というのが二。よって政治家による無自覚の表出を作家表現の上位に置く発想など、困難という以前に意義を感じなかったろう。職業的に、倫理的に。

 ともあれ聖書の世界観によればさらなる基底に創造主たる神が控えおり、したがって個々人の些末な表現もまたすべてが神の創造の一環として成される以上、うち一方が他方を否定するなど右手が左手を笑う児戯に過ぎない。「表現の自由」をめぐるこの基礎構造が極東へ至りて完全に抜け落ちた児戯を大のオトナが群れ繰り広げる滑稽さ、日本はなんて幼稚なんだイノセンスなんだとBBC,F2,ZDF等々にてお馴染みの苦笑展開がお待ちかね、ディレクターがポリティシャンに盲従する気かダセェぜ聞いてねえよと各国のアーティストらが一斉にキョドりあるいはファビョりだし、あげく公金で海外生活し国際展ズレした日本人の中堅どころさえ澄まし顔で後追い同調しだすその総体にガッカリさんだ。

 けれどもこれらの現象に、元来主客の区別はない。酒タバコギャンブルに明け暮れる老若男女が蠢く社会と、ドラッグ&セックスに溺れる若者世代の群れなす社会に本質的な差などない。よってこの種の論理連鎖を彼らのものと一旦さて置けば、実在のある特殊な小体系としての個と宇宙とは直ちに同一物であるゆえに、思考では無限の真理として、感情では無限の美として、意志では無限の善として、みな実在無限の意義は直観される。恩恵は続々ともたらされ、次々に奪われる。世界はそこで宙づりとなり、あらたに「この世界」が顕れる。顕れた模倣的にして粗悪なるこの世界の表面にはされど一見、つまらないもののほか何もない。 
  
 何もない。ということの、はち切れんばかりなこの充溢。思考が疾る、というときに疾る思考は、その基盤が宿す志向に比べ至高とはまるで言えない。感覚の論理の厚みに欠けた感情の疾走が、大抵は社会性に閉じた星勘定へ堕し失効するように。ほんとうに面白いものがそこには、何もない。


 人間の醜悪さは、生み出す都市の自然に対する偏狭さにも象徵される。だからこそ新宿を綺麗綺麗に描いてしまう新海誠のキモさはガチにヤバくて「健全」になったのだ。この感性は欧米圏のヲタクたちをただちに喜ばせる一方で間もなく台北やソウルや中国沿岸部の香港上海へ感染し、大連広州からやがて重慶昆明など内陸部の奥へ奥へと浸潤を遂げ、タクラマカン砂漠上のいまはまだ名すら持たない新興巨大都市でいずれ新たな电影美学を開花させる。そこではしかし津田大介の憔悴も河村たかしの傑作も誰ひとり記憶せず、2019年日本艺术史の項には京都动画の火災と天气之子公開の記録だけが残される。

 そうしたものとして此の世界は架構され、彼の宇宙に内在される。感情や思考に囚われるつまらなさも、身体を欲望するバカらしさも見当はずれだ。個の輪郭の外にあるものが、あらかじめ内包される。目に見える選択肢はつねに嘘を孕んでいる。いまこの瞬間に果実を得られる選択肢のなかには何もない、という現実の多重性。個の陥穽が、そのまま自由の根拠であり恩寵であるという多層性。ときに人は鬱になる。ときに人は自死さえ選ぶ。真の主体が何者かなど問うまでもなく、すべてそれらは選びとられた表現なのだ。
 

されど知らずして打たるべき事をなす者は、笞うたるること少からん。多く與へらるる者は、多く求められん。多く人に托くれば、更に多くその人より請ひ求むべし。
 我は火を地に投ぜんとて來れり。 ルカ12:48-49


 人生の奴隷になるな。
  

     

  

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