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言葉のプレゼント

「何を考えているのかわからない」
「言いたいことがあるなら言ってほしい」

母親やかつてお付き合いをしていた人たちに、言われてきた言葉たちだった。この言葉を私にかけてくる人たちは決まって、思ったことをそのまま言葉にできるタイプの人たちだったように思う。

私は言葉を発するとき、基本的には3つのステップを踏んでいる。

  1. 相手がどう受け取る可能性があるかを考える

  2. 望んでいない意図で受け取られないように「こういう意味で言っているわけではないよ」というのを伝える

  3. 言葉が刺々しくならないように、できるだけやわらかい表現を選んで伝える。

まるでプレゼントを渡すかのように、私は言葉を扱っているのだと気づく。包装紙を選んできれいに包み、かわいいリボンをつけてラッピングして相手に届ける。そんなイメージだ。

だから、私の準備が整っていない状態で「言いたいことがあるなら言ってよ」とか「何を考えているのかわからない」とか言われると、すごく焦る。

まだ包装紙を選んでいるのに、まだ包み終わっていないのに「早くして!」と急かされている気分になる。そうして急かされて無理やり発した言葉は、私が届けたい言葉になっていない。

ぐちゃぐちゃなラッピングのまま相手の手にプレゼントが渡ってしまった感覚で、すごく悲しい気持ちになる。「中身が壊れてないならラッピングなんてどうでもいいでしょ」と、私が頑張ってきれいに包もうとした努力が無視された気持ちになる。

余裕がなくなったとき、私は相手に正論責めをしてしまう傾向にある。相手に受け取られる可能性が無限に思いついて、望んでいない意図で伝わらないようにするにはどうしたらいいかがわからず、混乱してしまう。

昔「話が長い。何を伝えたいのかわからない」といわれたこともあり、なるべく簡潔に伝えないとという気持ちもそこに加わる。そうしたらもう、適切な言葉選びがなんなのかなんてまったくわからなくなって、頭がフリーズしてしまう。

結果的に絞り出した正論責めの言葉たちは、私から見たら裸のままのプレゼントと同じ。もっときれいに包んで渡したかったのに。そうやって1人でへこんでしまうのだ。

世の中の人全員が、こんなふうに言葉を扱ってほしいとは思わない。プレゼントはその人が喜んでくれればどんな形でもいいわけだから。

でも、言葉をこんなふうに扱っている人が中にはいるということを、少しでも多くの人が知ってくれたら嬉しいなとは思う。言いたいことを言わずに黙っているときは、どんなふうに言葉を届けたらいいのか、一生懸命考えているときなのかもしれない。

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