書き手の見解に身をゆだねる読解は何故か、学問的には批判される。昨今霊感商法への対策が叫ばれる中、このような事を敢えて言うのは、霊感商法は論外だが、誰かの地平線上の叫びには理由があり、不遇があるということで、人の苦しみに伸ばす手というのは、あっても別にいいんじゃないかと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?