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大学の勉強する奴、陰キャ説について

 極めて語弊感の強いタイトルだが、筆者の申し上げんとすることは偏見へのアンチテーゼであると始めに断っておく。


 筆者は大学の試験が怖かった。単位が落ちたらどうしよう、単位を落とすのが怖い、試験が難しかったらどうしようと怯えていた。今になって振り返ってみると単位が落ちたら、その授業分の単位は獲得出来なかった、それだけである。筆者が授業時より恐れていた科目は抽象的な科目であることが多かった。理論的に精緻な、それでいて専門的なクオリティーの内容のものは筆者には恐れるに値するものだった。


 具体的にあなたは何学部のことを言っているの??と思われる読者もおられようが、筆者は多分に書いてある内容からご推察願わんと思う。筆者が教養科目で調べた内容は今でも筆者のファイルにしまってある。いまだにPCを掃除すると目に入るが削除する気にはなれない。。あのときの初心を忘れまい、と思うからだ。


 大学の試験が怖いのは、教科書の範囲みたいな命題がなかったことに尽きる。筆者は先生に質問するタイプではない。何が分らないかも分からなかった。だから、必死になってレジュメを暗記した。隅から隅まで。しかし・・・、しかしである。暗記したものは書いた答案はCランクで、分からないから頭で考えて振り絞って書いたのがBだったのである。これは、どういう差だったのか・・。


 先生は学生の考えをくみ取れるのか??

 どうやら一部の先生は専門家でもない学生の答案を評価するとき、新しい価値観を呈示してもらうのを待っている気がする。因みに上記で『頭で考えて書いた』と書いたが、当て勘で書いたのではない。あくまでその論題において関係することを繋ぎ合わせ、”それらしい”答案を書いたのである。先生自筆の教科書を読ませる人は知らないが。というのも先生によっては、自分たちの言わんとする意見を述べることを評価する先生もおられる。そこら辺は先輩たちの口コミから察する方法がある。コミュ力高い陽キャ学生はそれこそ先生と親しくなり、”情報を引き出す”という荒業を活かすのもいいだろう。


 筆者は試験を乗り越えたのは多分にあんちょこ本によるところが大きい。あんちょこ本は八重洲のブックセンターに眠ってたし、何より国会図書館で必要な資料を揃えるくらいまで巧手を打てるようになった。


 ただっ・・・・・・・、友達は減っていった。俺の友達は学生時代しか遊べないツイストパンチな陽キャが多かったから、所謂遊びから脱し、勉強に突き進む筆者から自然というべきか離れていった。ただ、今度はそこにコミュニティーが出来ていくのだ。大学の勉強に取り組む陰キャ帝国に歴戦の陰キャナイト達が参集してきたのだ。


 皆蛍光色のジャケットを着たり、いつも緑のセーターを着ていたり、多分に東京のファッションと距離を置く志士達が筆者の周りに集まってきた。


(良かった・・・・っ!俺は一人じゃない・・。)


 それが今でも筆者の仲間であるところは筆者の誇りとするところだ。陰キャナイトとして、大学のインドア生活をまた機会があったら語りたいと思う。そして、あのときの大学の先生方よ、いつかまた筆者の答案を採点してくれ・・。


 

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