見出し画像

やる気センセーション

 こんにちは、Fly awayです。色々と受験、教育、政治と口を出してきましたが、この頃よく考えるのが持続力についてです。持続力というと勉強?と思われがちですが、趣味例えば読書やゲーム、スポーツでも何でもそうです。続ける事の難しさ、そのためのモウティベーションなどについて色んな分野を跨いで考えてみてみたいと思います。


 何故僕らは続かないのか?何故僕らは飽きるのか?そう思う人は潜在的に大勢おられると思います。本稿でそれらの原因を解決し、明日からやる気みっちりで出かける、ということにはならないと断っておきます。というかいちブロガーがそんな芸当出来てたら、ホリエモンさんの本がたくさん売れるわけがないのです。


 そもそも勉強もスポーツもその出来が比較されます。サッカーだってバスケットだって高校受験だって大学受験だって様々な観点から量られ、点数を出されます。それでも、しょっぱい目に遭っても続けたい、と思っていたらそれは好きなんです。恋愛でもそうですよね、彼、彼女からディスられても、無論程度に依りますが、好きだったら一緒に居たいと思いますよね。


 勉強でまずぶつかるのは高校の勉強だと思います。小学校、中学と続いてさあ大学受験だ頑張るぞ、となっている人は大抵高校の高度な勉強に苛まれます。勉強は嫌い、ここでは数学に例えますが、三角関数分かんねえ奴ここにいるけど三角関数っている?要らねえよなぁ!?数学潰すぞ!!と盛り上がっても担当教師から赤点もらうだけです。勉強の正体について突き詰めると、理解するということよりも手順を暗記する、に近いかなと思います。


 勉強の正体について考える思想家、評論家、数あれど筆者が結局たどり着いた答えは、”暗記する”、結局”覚える”だと思ってます。それが出来ないから多くの学生たちがモウティベーションを失っていく訳です。”理解する”というのは『偽善』といった方が近いのでは?と思ってます。何故なら理解しても答案に時間内に表現できなかったら、不正解になるからです。


 過程が大事、結論だけ書いても不正解。それが高校数学です。でも答案の方針を書き連ねられるのは結論が見えているからです。だとしたら、だとしたら、何故結論が見えるのか?それはその操作、証明を類題で知っているからです。では、英語ではどうでしょう?英語で出題されるイディオムは知っていなければ回答出来ません。当たり前ですが、あの熟語帳や単語帳をある程度叩き込まねば、答えようがないのです。


 総じて未知の問題に回答できる論理的思考力の持ち主、というのは一部の勢力による”神話”とも言えるでしょう。いうなれば暗記する際に理屈をちょこんと置くだけです。筆者が予備校時代驚いたのが、講師の先生の口癖が「暗記して。」でした。英語も数学も、です。悲しくなったのをよく覚えています。なんだ、これじゃあ中学時代の勉強と変わらないじゃないか。


 この”論理的”という言葉に痺れて筆者は大学で初めての講義に臨みました。そして、思い知りました。ここでも、暗記かと。論理を理解し、それを操作して証明に臨む。それはある意味正解で、ある意味”嘘っぱち”なのです。概念や趣旨を理解することは確かに一理ありますし、それなしでは論文、その前のリポートも書けません。でもそれを文章で表現する、というアウトプットを覚えていないとダメなのです。悲しいことに、暗記というのはいつの時点でも必要です。バイトだってそうでしょう、基本的なレジ打ちは操作をある程度暗記しなければ店長に叱られます。


 スポーツではレギュラー争いとは無縁だった筆者は兎も角、当時のエースも悩みを抱えていて、何故か筆者もその相談を受けました。しかし、不思議と勉強でもスポーツでも悩みを抱えている人の方が、あるときいい結果が得られることが多いのが印象的でした。悩みを抱えない人の方が、惰性でコースアウトする人が多い気がします。持続力を考えるヒントがここに隠されているかもしれません。因みに筆者は悩みあれど、ダメでしたが・・。


 趣味も多くの人に理解されないものは人を孤独にすると思う方もおられます。しかし、誰にも知られなくても構わない、僕が私が好きなんだからという方々もいらっしゃるわけです。筆者は日本のRPG、所謂JRPGが好きです。幸いなことに筆者の学生時代はそのJRPGが盛んな時期で多くの同胞がおりました。しかし、そこで安心してる時点で筆者も流行の上の流される枯れ葉に過ぎなかったと今では振り返ります。


 以上のまとまりない文章に何度も出てきた”好き”、それが困難をブレークスルーするキーワードではある気がします。しかし、それ以上に筆者が問いたいのが世の中と接する事の重要性です。最も、noteを普段から読まれる読者なら、それをするくらいだから社会で活動している人が殆どだと思われます。何故今回こんな長文を書こうとしたのか。それは読者のなかにおられる何らかの事情で仕事を休んでいる人や学校を休んでいる人に伝えたい思いがふつふつと湧いてきたからです。外に行きたくない、人と会いたくない、それは我儘ではなく、素直な感情です。そんなとき、持続力を考えてほしいと思います。好きだから続ける。嫌な目にあっても。そんな素敵なきっかけに出会えることを筆者は末筆ながら思っております。では。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?