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卒倒読書のすすめ 第四回 日高敏隆『世界を、こんなふうに見てごらん』

文系と理系が学問として最初に枝分かれするのはおかしな話だと昔から思っていた。これは、私が全く数学ができない故の屁理屈であり、言い訳でもあるのだが……。
高校の時には文系と理系が分けられて、学ぶ学問がそれぞれに決められる。
とにかく私はいわゆる文系科目がとても得意だった。それらの科目は自分で言うのもなんだが、いつも優秀だった。理系科目はと言うと本当に散々だった。赤点ギリギリもいいところだ。特に数学。全く理解が追いつかない。
それでは「全科目で最も好きなものは?」と問われれば、それは生物だった。"理系科目" の "生物" だった。生物だけは理系科目で唯一得意だったし、最も好き。
周りの人にとっては、私が世界史と生物学という二科目を得意としているのが不思議なようだった。しかし、私にとって歴史の興味深さも生物の興味深さも同等だったのだ。どちらもなにか事象があり、それが起こった要因があり、外的刺激があり、結果が生じて、連鎖していく。この一連の流れ、すべてが繋がる鎖を学ぶのが快感だった。どうして、どちらか一方を選ばなければならないのだろう。進路も決定しなくてはならない時期に差し掛かり、相当悩んでいた。そんな時に出会ったのが日高敏隆先生の本だった。読んでぶっ飛んだ。日高先生は、まさに文系も理系も関係ない思想を本の中に持っていたからだ。科学者なのに。

日高先生は日本の動物行動学研究の第一人者だ。本屋で理工書‐動物学の棚を見れば、翻訳本を含む日高先生の著書をたくさん見つけられることと思う。
今回紹介する本書はその日高先生にとって、世界がどのように見えているのか、エッセイ形式で書いた本である。

動物の行動には目的がある。その目的に対し「なぜ?」と問うのが動物行動学である。日高先生が研究を始めた当時、研究界隈では How (どのように) を問うのが学問であって、Why (なぜ) を問うのは神様が出てくる話だと言われた。しかし、異端児扱いされながらも日高先生は「なぜ」を考え続け、日本に動物行動学会を発足するまでになる。日高先生の疑問はときたま、科学そのものにも向けられる。

 何が科学的かということとは別に、まず、人間は論理が通じれば正しいと考えるほどバカであるという、そのことを知っていることが大事だと思う。
 神であれ、科学であれ、ひとつのことにしがみついて精神の基盤とすることは、人類の抱えてきた弱さ、幼さであり、これからはそういう基盤をも相対化しないといけないのだ。
 科学者として話をしてくださいよとよく頼まれる。僕はずっとそれが不満だった。科学だけではつまらないでしょう?知性というもの、それがあるということはどういうことか、そういう話をしたい。
 それはやわらかで何ものにも縛られない。科学ではなく知性こそが、このいきもののほんとうの力だと思っている。

科学的に見ればほんとうにものがわかるのか、という問いである。科学というのはものの見方のひとつでしかなく、それに捕らわれるのは愚かなことだ。本書の中では、一般の人は科学の目でも、科学者は一般の人の目でも、ものを見ることができるというのが本当に必要なことなのだと解く。超一流研究者なのにこんなことを言ってしまえるかっこよさ。

また、日高先生の思想には生物学者ユスキュルが唱えた、「環世界」という世界のとらえ方が深く根付いている。「環世界」とはいきものはみな、環境全体からそれぞれがそれぞれにとって必要な情報のみを抽出したもので世界を構成し、その中で生きているというものである。ダニは目を持たず、光、動物の皮膚のにおい、温度感覚、触覚のみで世界を構成している。ダニがいるところは緑あふれる森で、風が吹き、鳥がさえずっているかもしれないが、それはダニにとっては必要のない情報でありダニの世界には存在しない。人間も同様で、人間は人間の環世界の中でしか生きられない。人間はフェロモンを感じることができない。動物の多くにはほかの個体が出したフェロモンという物質を感じる器官があり、それはにおいなどと同様に世界を構成する要素になっている。つまり人間はフェロモンのある環世界に生きることができないのである。人間は人間が作り出した概念的世界、すなわち「イリュージョン」を通してしか世界を見ることができないというのが日高先生の根本的考えである。科学研究そのものもまた、人間のイリュージョンを通して行われた活動にすぎないのだ。

哲学者がいうことはむずかしいけれども、イリュージョンという言葉は単純な思いだけでできている。哲学ではない。学問ではない。人間の状況を単純に思考しただけの言葉だから、好きなのかもしれない。

日高先生の考え方は授業で習う生物とも違う。単純な理系文系にとらわれない、もはや学問にもとらわれない世界に対する知性であふれていた。"動物学" とはこんなに自由に世界を見ていいのだ。こんなふうに、科学を扱ってもいい学問があるのだと思った。そんなわけで文系バリバリだった私は、日高先生のおかげで動物学という恐ろしきヤクザな世界に足を踏み入れてしまうことになる。

世界というのは気にかけなければ平坦なものである。そこに知識が添加された時、世界は立体構造の化物になる。イリュージョンという考えは自分の見えている世界そのものを覆す、あまりにも刺激的な視点だった。今までのっぺりと広がっていた目の前の世界が、突然複雑な三次元的立体構造になったような感覚だった。

日高先生の著書はどれも、世界の見え方を根本ごと変えちゃうくらいのパワーがある。にも関わらず、「私の視界はイリュージョンですから、ただの一視点ですよ」と添えてきて謙虚で品が良い。でも、気づいたときにはボコボコである。本書を読めば、この本紹介シリーズ名にふさわしい、まさに卒倒読書の体験ができるかもしれない。

イリュージョンに興味をもった方はこちらを☟

「人間」という動物についての論考を読みたい方はこちらを☟



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