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アフリカの自然遺産は牛疫とツェツェバエによって作られた【獣医学】

 マヤ遺跡はメキシコ・ユカタン半島の熱帯雨林の中から見つかり、アンコールワットもカンボジアの密林の中から発見された。最近では、アマゾン奥地の洞窟から1万2000年前の壁画が見つかったらしい。

 このように、今まで手付かずの自然だと思っていたところから人間の痕跡が出てくることは意外と多い。もはや地球上に人の手が加わっていない場所など無く、「ありのままの自然」などというものは幻想だ、と主張する人もいる。

 ”アフリカ”、”サバンナ”と聞くと、大地を踏みしめるゾウやキリン、ガゼルやシマウマの群れとそれを狙うライオン、クロコダイルの潜む濁った川をものともしないヌーの大行進…などなど、動物たちの生き生きとした姿がオレンジ色の夕日に照らされた草原をバックに想像される。
 しかし、このような風景が「ありのままの自然」ではなく、人とウイルス、そして忌まわしき寄生虫を媒介するハエによって生み出されたものであることはあまり知られていない。

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1.獣医学(国家試験的)知識の確認

  既にタイトルでネタバレしてしまっているのだが、サバンナの野生王国を生み出した犯人は牛疫ウイルスツェツェバエ、そしてそれによって媒介されるトリパノソーマである。
 一応この記事は獣医学関連なので、病原体の基礎知識をざっくり確認しておく。獣医学に興味のない方は読み飛ばしてしまってかまわない。

牛疫

 牛疫と耳にしたならば、敬虔なる獣医学徒の脳内では
パラミクソウイルス科モルビリウイルス属-1本鎖RNAなのでエンベロープ有り!パラミクソはRNAウイルスだから細胞質内封入体だけどモルビリだけ核内封入体もありうる!モルビリウイルスには他に犬のコアワクチンに指定されている犬ジステンバーと、牛疫と共に法定伝染病に指定されている小反芻獣疫がある!」という情報が瞬時に思い浮かぶ。筆者はGPAが下から2番目の人間なのでそんなことはないが。
 牛疫は偶蹄類の感染症で、臨床的には高熱・下痢・口腔粘膜の糜爛・リンパ節壊死がみられる。そして何よりも致死率が非常に高いのが特徴だ。
 また、OIE(国際獣疫事務局)の発足したきっかけが牛疫であり、2011年に見事牛疫を地上から消し去ることに成功したことも憶えておきたい。

トリパノソーマ

 国家試験ではトリパノソーマの種類とベクターの組み合わせ、及び伝播方式について出題されることが多い。以下に組み合わせをまとめた。

トリパノソーマとベクター諸々の組み合わせ
4種類並べたが、これはあくまでも国試に出やすい種類を列挙しただけなので注意

 今回の登場人物となるトリパノソーマは、赤枠で囲った T. bruceiツェツェバエ の吸血によって媒介され、人に感染するとアフリカ睡眠病という病気を発症する。

※厳密には、T. brucei はさらに3種類の亜種(brucei型・rhodesiense型・ gambiense型)に分類され、後ろ2つがアフリカ睡眠病を引き起こす。これらを媒介するツェツェバエの亜種も若干異なっており、それぞれで生息域が分かれている:rhodesiense型を媒介する亜種はサバンナ(アフリカ東部)、gambiense型を媒介する亜種は川沿い(アフリカ中西部)。話が込み入るので、以降では3亜種まとめてT. brucei として扱うことにするが、正確には亜種によって分布が異なることを頭の片隅に置いておいてほしい。

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2.作ってワクワク!国立公園!

 前項を読み飛ばした人向けに、以下に牛疫とトリパノソーマについての基本的な情報を共有しておく。

 ・牛疫:牛が死ぬウイルス
 ・トリパノソーマツェツェバエという昆虫に刺されると感染してしまう寄生虫で、人が感染すると「アフリカ睡眠病」という病気にかかり、放置していると死ぬ

 それではさっそく、アフリカが野生の王国となるまでの流れを見ていこう。

牛疫に望郷の心など無い

ふるさとは 遠きにありて 思ふもの

室生犀星

 詩人、室生犀星の有名な詩の冒頭。ふるさとは帰るところではなく、異郷にて偲ぶものである…という美しい詩だ。誰にでも故郷はあるもので、それゆえこの詩は万人の心に望郷の念を掻き立てる。
 牛疫ウイルスにだって故郷はある。彼の故郷は中央アジアだ。ただし、彼は異郷で暴れまわるのに忙しく、ふるさとを偲ぶ暇などなかったと考えられる。中央アジアからヨーロッパにやってきた牛疫ウイルスは、その凶悪な牙でもって世界史に大きな影響を与えてきた。

 「ローマ帝国はなぜ東西に分裂したのか」という問題は、歴史学者がさまざまな説を提唱しており一概に語ることはできない。しかし、牛疫がその一因であることは事実らしい。
 世界史では、ゲルマン大移動で東からやってきた西ゴート人によって当時ローマ帝王だったヴァレンス帝が殺され、それがきっかけとなってローマ帝国の分裂が起こった、と習う。どうやら、このとき西ゴート人が暴れた原因が牛疫による飢饉であったらしく、飢饉による暴動を治めるために戦場へ繰り出したヴァレンス帝が戦死した、という流れのようだ。

 その後も牛疫は何度もヨーロッパを苦しめることになるのだが、ここでは詳細は割愛する。以下の記事が詳しい。

MODERN MEDIA 2011 3月号「話題の感染症 牛疫根絶への歩み」山内一也

牛疫、アフリカ入場

 ヨーロッパで散々暴れまわった牛疫が、ついにアフリカへ侵入する。入場口となったのは、19世紀末のアフリカ分割でエチオピアに来ていたイタリア軍だった。軍の持ち込んだ食用の牛が牛疫ウイルスを持っていたのだ。

 中世の日本が ”米” を経済の基盤にしていたように、アフリカ先住民族の経済基盤は "牛" だった。牛は単なる肉・乳・骨・毛皮の供給元であっただけでなく、何年もかけて育てあげることから財産の貯蓄先としての価値があった。家柄の貴賤は牛の保有頭数によって決まり、それによって貴族社会が築かれていた。牛は富の象徴だったのだ。(驚くことに、現在でも何か大きな出費があるときには、牛を売ることで現金を入手するらしい。)

 このような牛本位社会に牛疫ウイルスが持ち込まれた。なんとアフリカ全土の牛の約9割が死んだそうだ。ほぼ全滅と言っていい。
 その結果はだいたい想像がつく。経済基盤がボロボロになって社会が崩壊し、人々は飢えた。

 ジャレド・ダイアモンド『銃・鉄・病原菌』によるとスペイン・ポルトガルの新大陸征服には天然痘が追い風になったらしいが、牛疫によるアフリカ分割への貢献もそれに負けず劣らずである。
 ボロボロになったアフリカ民族社会を、ヨーロッパ列強はいとも簡単に手中に収めることができた。世界史を履修している人なら、侵略の障害になったのがむしろ列強どうしの衝突であったことは常識だろう。(ファショダ事件、南アフリカ戦争、ベルリン会議、etc.)

ツェツェバエ、引きこもり脱却

 地理の勉強をしていると「太平洋ベルト」「コーンベルト」「カッパーベルト」と様々なベルトが登場する。ところで「ツェツェベルト」はご存じだろうか?

Tsetse flies live in the area colored green, where they can transmit a type of sleeping sickness to livestock that makes it difficult to raise cattle in this huge swath of Africa. (Kia Simon/KQED and Peter Hermes Furian/Shutterstock.com. Tsetse distribution information from “Training Manual for Tsetse Control Personnel, volume 1,” edited by J.N. Pollock, reprinted in 1992.)
https://www.kqed.org/science/1956004/a-tsetse-fly-births-one-enormous-milk-fed-babyから孫引き

 上の図の緑色の部分がツェツェベルトと呼ばれる地帯である。名前の通り、ツェツェバエの生息する地帯だ。図を見るとアフリカ大陸を横断する形になっているが、これはあくまで現在の姿である。
 実は、牛疫が侵入してくるまでツェツェバエは中西部の熱帯雨林とその周辺にしか生息していなかった。

 ツェツェバエ(tse tse fly)は語感がおもしろいので名前だけ知っている人は意外と多いが、その生態はそこまで有名ではない(ちなみに tse tse fly の tse tse の部分は現地のツワナ語で「ハエ」を意味するので、ツェツェバエは「チゲ鍋」や「サハラ砂漠」と同じ重複語である)。
 彼らは昆虫には珍しい胎生の生き物だ。しかも母親のお腹の中で母乳を与えられながら幼虫が育つし、1回の産卵で1匹しか育たない。ほ乳類である我々人類からすると少し親近感がわく。
 しかしお腹の中で育つのは幼虫の間だけであり、さなぎになる前には地上に降りる。このとき幼虫は直射日光の当たらない日陰に潜ってさなぎになる。ここから分かるように、ツェツェバエの幼虫が成虫になるには直射日光の当たらない場所、つまりそこそこ大きめの木や、深い草藪が必須なのである。

 牛疫の侵入以前、ツェツェバエは熱帯雨林のあるアフリカ中西部とその周辺にしか生息していなかった。植物に鬱蒼と囲まれたところに引きこもって暮らしていたのだ。
 一方で、アフリカ東部のサバンナ地帯にはあまりツェツェバエが生息しておらず、アフリカ先住民族は大量の牛を放牧して暮らしていた。牛は地面に生える草を手当たり次第に食べるので、ツェツェバエがさなぎを作れるような日陰は少なかった。

 しかし、そこに牛疫がやってくる。牛疫によってアフリカ東部のサバンナ地帯から牛が消えると、放牧地だった土地には植物が生い茂るようになる。すなわち、ツェツェバエがさなぎを作れるようになった。こうして、ツェツェバエは引きこもっていた熱帯雨林から脱出し、牛のいないサバンナという新天地に踏み出していったのだ。

最強の自然保護区監視員

 冒頭に記したように、ツェツェバエはトリパノソーマという寄生虫を媒介し、これが人に感染するとアフリカ睡眠病という病を患う。罹患すると激しい眠気を感じるようになり、放置しているとそのまま昏睡・死亡してしまう恐ろしい病気だ。

 牛疫で大量の牛が死に、飢えに飢えていた東アフリカの先住民族であったが、そこに今度はツェツェバエとアフリカ睡眠病がやってくる。もはやサバンナは、人の住める土地ではなくなってしまった。

 こうして牛も人間も去った後のサバンナには、野生の王国が誕生した。1940年代に入り自然環境保護の思想が一般的になると、アフリカのサバンナは国立公園と野生動物保護区で埋め尽くされることになる。セレンゲティ国立公園、マサイマラ国立保護区、トサボ国立公園、セルース猟獣保護区、カフエ国立公園、モレミ野生動物保護区・・・現代人の想像するようなライオンキングの世界は、こうして創られたのだ。

 現在このような国立公園や自然保護区では、定期的に密猟者の侵入や外国企業による工事開発がやり玉にあげられ、そのたびに軍や国際機関による環境保護パトロール、NPOによるボランティア活動に注目が集まり称賛を浴びる。
 しかし、サバンナという土地から牛と人間を追い出したことに関して言えば、牛疫とツェツェバエが最大の功労者として認知されるべきである。牛疫とツェツェバエこそが最強の自然保護区監視員なのだ。

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3.”手つかずの自然”とは

 サバンナの自然環境が貴重なもので、そこに住む野生動物を保護しなければならないこと自体は事実である。ゾウやキリン、ライオンを一掃して牛を放ち、もう一度放牧地に戻せとは言わない。
 だが、さすがにサバンナを「手つかずの自然」と表現するのは無理があると言わざるを得ない。人間の持ち込んだウイルス、森から来たハエと寄生虫によって生み出されたものであることは明らかだ。

 アフリカの野生動物保護に関わりたくて獣医師を目指す人も多いだろうが、以上のような歴史的経緯を知っておくことは義務であると思う。

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参考文献

フレッド・ピアス『外来種は本当に悪者か?』

 こちらの本がこの記事のタネとなっている。2016年に出版された本で、世界中で善とされている自然環境保護に異を唱えたものだ。本の主張に関しては賛否両論あるようで、Googleの検索窓に書名を入れると「悪書」とか「批判」とかの物々しいワードがサジェストされる。

 実際に読んでみたところ、外来種に関する not クリシェな情報がたくさん紹介されていた点に関しては素晴らしかった。出典明示度も高く、1次資料からの引用も豊富だ。
 一方で「生物多様性」の議論に関しては、間違った知識をもとに展開されていた。どうやら、著者は生物多様性のことを「種の数が多ければ多いほど良い」と理解しているっぽい。それは違うよね…
 ということで、全体の所感としては「ウソは言ってないけど基礎知識に誤りがある」本であると感じた。

 獣医学部にいると野生動物保護についてのレポートを最低でも3回は書かされるが、同じような内容を書くのに飽き飽きしている学生には非常におすすめできる。ぜひこの本を読んで「アンチ野生動物保護」のレポートを書き、GPAを下げてほしい。下げるのだ!

その他の参考文献は以下の通り

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