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格闘技は文明社会への漢方だと思った RIZIN33


斎藤裕選手のグローブ価格がてっぺんになったと聞いて、ひょっとして私と同じ気持ちの人が世の中にたくさん居るのではないかと思い勢いで書く。

人間にはそれぞれ尊敬する人の存在がある思う。歴史上の人物から漫画・本の登場人物、身近な存在の人などいろいろだと思う。その人の言葉や世界観・生き様や背中にグッと心惹かれるものがあって、それは万人に共通するようなものでなく、ほんと人それぞれに存在している。


私は一昨年のRIZINから格闘技に向き合う人間にグッと惹かれている。現代文明のもと生きる我々は困難やしんどさに立ち向かわなくとも生きていけてしまう。
自ら立ち向かうことを決めないと、一生立ち向かわずとも生きていける。この「決める」ことがどれだけ難しいか、年齢を重ね自分と共に生きる時間が長くなるほどわかる。
自分はイヤに手強い、すぐ逃げる。


そんな中で格闘技を見た。

それはとても原始的で、気持ちが良い程の動物らしさが溢れていた。これまでの長い歴史の中で人間を含め全ての生き物が身一つで戦ってきたことを思い出した。
どの時代でもどんな生き物だろうと、心と体を強く在ろうとするものが一番格好いい。

私は斎藤・朝倉戦でグッと心を持っていかれた。

彼らのバックグラウンドとこれまでのストーリーがとんでもなく熱い試合にした。

一見パフォーマーのように思われがちな未来が言葉通りに強くなって帰ってきた。限界で意識や言葉が飛びそうな程の練習風景を見て、一瞬でもそうは言うてもパフォーマーと思ってた自分が恥ずかしくなった。彼はやり切った。

でもこの度のRIZINで一番心を掴まれたのが斎藤選手だった。どの選手もとんでもないプレッシャーを抱えながらリングに立っているとは思うが、今回の斎藤選手は頭一個分多く抱えていたのではないかと思う。そんな中で片時も目が離せない攻防を繰り広げた。流血しながらも決して食い下がらない姿勢に、呼吸・心拍数・心の全てが持ってかれた。もう試合を見てから寝れなかったもん。


双方の試合までに打ち込んだ時間や思いを知っているからこそ、どっちにも勝ってほしかったし、どっちにも負けてほしくなかった。正直どちらかだけの応援はできなかった、もうただただ試合そのものを見届けたい一心だった。


うーーーーん、こんなに格闘技に入り込むと思わなかった。RIZIN 33終わってから格闘家たちの過去の試合や日々の姿を見漁っている。
それぞれがストーリーを持っているからもう漫画みたい、リアル漫画やんって思いながら見ている。

平本選手もなんだか世の中にブイブイ言われているけど、萩原選手のウェルカムパーティーから去る時の表情を見ていると、私なんかが到達したことのない先の先をいったんだと思った。
彼は挑んだ、立ち向かうと決めた。それだけでほんまに格好いいと思った。このまま突き抜けてほしい。

斎藤選手や萩原選手の敗戦後の男泣きもすげえ熱かった、逃げてばかりの自分を省みて恥ずかしくなった。


立ち向かうと決めること、向き合った先の自分がどんな姿になろうと好きになれると思った。


逃げがちな自分、立ち向かうぞ。

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