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月光と種子.戦場のメリークリスマス


戦場のメリークリスマスを観た

作品の名前と結末は昔特集番組か何かを見て薄く知っていた。この度4kでリバイバル上映されると聞き、ここ数日劇中曲や映像(部分編集されたもの)を漁り、気付けば作品一色の毎日を送っていた。
これは確実に劇場で観た方が思いもよらぬ形で没入できる、と24年の人生全てが訴えかけてきた。だから作品についての感想や考察は読まずにその日を迎えようとしたがとうとう我慢ならず読んでしまった。
さらに色んな考察を読んでいくうちにもっともっと強く惹きつけられた。
そして私は劇場さえも待てなかった。作品を強く求める今こそ、今の私が観るからこそ入り込める何かがあると感じ、今日をついに迎えてしまった。

登場するどの人物もくすみない人間で美しかった。私の中にあるくすみが強調された気がして自分で自身を恥ずかしいとも思った。暇と退屈で自分を囲み、でくのぼうと自身に言い聞かせ生きることに疲れる、恥ずかしい。

なんでもいい
使命を感じたその瞬間に人間は暇と退屈から解放される。作品に登場する人たちには使命があった。
そしてもう一つ、”情”があった。それぞれの関係性に情が芽生えていた。情は目に見えず、金銭で測れるものでもなく、意図して生み出せるものでもない。
一つの人間の中に使命という動力、情という静力が憎たらしいほどに混ざりあっていったのだと思う。
登場する人物皆、互いの中に動力と静力を感じたのではないかと思う。この二つを持ち合わせる人間の方が圧倒的に少ないのだ。同じ人間に出会えたのに、出会うことができたのに、

この作品で美しいと感じた場面は月光で満ちる中を歩いてくるヨノイと映るセリアズのところ。
この世には様々な美しさが存在する。その中でも終わらせる美しさというものは最もエネルギーが大きいと思う。一番綺麗だとかそんな尺度の話ではなく、一人の人間の中で渦巻く熱量が一番大きい気がする。そう感じた。


この前、友人と月の綺麗な夜に柳茶屋に行った。手前の見晴らしの良い場所に車を停め、降りるた先には月光のみが全てを照らす世界が広がっていた。そこには慣れ親しんだ日常は存在せず、文明の欠片もなかった。
月と私、ただそれだけの世界だった。
月光のみに照らされた世界の美しさを知れた、このことが私の生きる時間に意味を与えてくれたような、そんな心地がした。
そしてずっと昔に生きていた誰かと同じ時間を共有できたような気がした。だからこそヨノイとセリアズの終わりが月光で照らされていたことに美しさを感じたのかもしれない。

これは戦場のメリークリスマスという作品である。しかしあの時代は実際にこのような物語が生まれては終わっていったのだろうと思う。数えきれないほどに。

原作も読む。ローレンスとハラの関係ももっと考えてみたい。ローレンスの言葉ひとつひとつがなんか頭に残る。


やはり最後は自分の人生と照合したくなる。照合したくなるほどに没入できる作品であった。この作品を通して過去に生きた名も知らぬ誰かと繋がった気がした。私は今を生きる。

月光に照らされる私はどう生きるか。








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