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Qもう福祉の仕事はしないの?

広島でレモンと日本酒の仕事をすると言うと、1000000%「もう福祉(or介護)の仕事はしないの?」と聞かれる。

「とりあえずはね〜」と答えるけど、もうここまでくると自分の未来予測なんでできないし、介護という仕事が嫌になって辞めたわけではないし「もうやんない!!」と決意していない。そして何が「福祉の仕事」なのか気になるようになっていた。そしてなぜもう介護の仕事をするかしないかが気になるのだろうか。

福祉の仕事とは

一時、介護現場ではなく法人本部に所属していたことがある。大きくてわかりやすいものだと社員向けの研修の調整や新規プロジェクトの立ち上げをやっていたが、とりあえず法人の雑務を(感覚的には)なんでもやっていた。

その時々で自己紹介に使う言葉をかえていたが、その自己紹介方法にもわずかにストレスを感じていて、簡単に説明するために先輩はどういう風に説明しているのか聞いてみたことがあった。

その先輩は「福祉の仕事をしてるっていうよ」と教えてくれたが、わかるようなわからないような気分になった。

周り巡ってこのタイミングでいろんな人に「福祉の仕事辞めるの?」と言われ、世の中では「福祉」が何かを指す言葉になっていることに気づかされた。

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介護職をしているというと「優しいね」「真面目だね」という言葉をよくもらう。それは私自身にかけられた言葉ではなく職種のイメージに対してかけられた言葉である。

介護を始めとする福祉分野の仕事は当事者にならないと全体像を把握しにくい。だから「困っている人を助ける仕事」=優しいになってしまうのだと思う。

その「優しい職業から離れてしまうの?」「やっぱり優しさでは食べていけないor稼げない」「やっぱりきついんだ」とネガティブ連鎖につながっている気がする。

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私は、福祉は心のあり方を指す言葉だと思っている。

Wikipediaでも下記のように表記されている。

福祉(ふくし、英: Welfare)とは、「しあわせ」や「ゆたかさ」を意味する言葉であり、すべての市民に最低限の幸福と社会的援助を提供するという理念を指す。

だからこそ「もう福祉の仕事はしないの?」という質問に対し、「海外に住むってことはもういただきますって挨拶しないってこと?」と同じ規模感の違和感を感じるのだろう。

私は1枚の体で出来ているし、やっぱり公私で考え方を変えるというような器用なことはできない。仕事も生活の一部だし、8時間も働いていると思考に大きな影響を与える。

自分自身と目の前の人の幸せ・豊さを考える動きをすることはかなり福祉的だ。だから介護や保育などの仕事は「専門職」であるが、専門職に従事しないからと言って福祉の仕事につかないわけではないと思っている。

福祉は幸せや豊さを追求する姿勢。誰もがそうであると思っている。

7月からはレモンと日本酒と、大地と環境に向き合う。私が私の幸せを追求するために選んだのだから、これが一番に福祉だと思っている。

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