8月6日、愛と平和への誓い

愛とか、平和とか、いうベタな言葉を使うと、今の若者でさえ眉をひそめ、ふーんと言いながら距離をおこうとする世の中なのかもしれないけども、、

この世界には愛や平和、を心から切望している人たちがたくさんいます、

歴史的に虐げられ搾取され続けてきた民族が今も存在します、

世界の平和のために日夜祈りを捧げ過酷な儀式や修行をしている人たちがいます、

海を癒やし環境を保全するために、自分の身を危険な環境におきながらも航海を続けている民族もいます、それをしないことのほうがわたしたち人類にとって危険なことだと悟っているから、、、


そんな人たちは一般的には話題にでてきません、大衆が求めるSNSやYoutubeやテレビなどではとりあげられる機会もないので、あまり知られていないからです、

昔の日本人が神社のお神輿をかついで五穀豊穣、家内安全、雨乞い祈願をしていたように、

カメハメハに統一される前のハワイアンは、協力して祈りながら皆で海を漕ぐことで、大地と海を鎮め、火山の噴火や津波がおこらないようにと祈願していました、部族の若者たちが協力しあって、時には部族間を越えてカヌーを皆で漕ぐことで母なる地球のバランスが調うと信じていたんだよね、

それがわたしたちが合言葉にしている ” E hoe pu me ke aloha ” というハワイ原住民の言霊です、

わたしは『愛をこめて海をなでる(漕ぐ)』と訳しています、

オーシャンのmoana keiki の子どもたちが Me ke aloha 『メケ アロハ!!』と叫んでいるのを聞いたことがある人もいると思うけども、純粋で海が大好きな子どもたちは、真剣にそのことを心から信じています、

だからこそ今年の春休みにヴァア Pili Aloha でやったヒロシマ・ナガサキの愛と祈りの航海には、あえて子どもたちだけを誘いました、

彼らはこの母なる地球にとって虹の戦士であり、
希望の光であり、
未来の地球をよい方向へと導くことができるナビゲーターになりえる存在だと私はそう信じているからです、

また、Paddle for Mother Earth のインスタやFBを以前からこまめにフォローしてくれてたクラブのオハナ数人から参加したいとのリクエストがあったので、その同じ志しを持ったオハナ数人も自分の意志で参加しに来ました、

Paddle for Mother Earth でのボヤージング(海を漕いで渡る)という行為はオーシャンというカヌークラブで普段やるボヤージングと大きくちがうことが2つあります、


それは『母なる地球のために、愛と平和のために漕ぐ』ということ、

そして、海に自分の愛のマナを献身的に注ぐ、ということ、

チャレンジ精神や、冒険心、自分自身の達成感やモチベーションをあげるためのイベントでもトレーニングでもありません、
もちろん自分さがしのジャーニーでもありません、


そういう、一般的には言葉にするのも恥ずかしいと思われる『愛と平和』を、メケアロハ!(愛をこめて!!)と真剣な気持ちで発することができる人に参加してもらいたいと思っていたからこそ、
世界で唯一核爆弾が投下された場所、平和をどこよりも何よりも強く切望するヒロシマとナガサキの人たち、またその意識を強く持った人たちに参加してもらって漕いだという経緯もあります、

もちろん終わってみたら皆がそういう意識や強いこころざしを持っていたわけではなく、

ただマウイから来たアンクルと交流したい、
アンクルに癒やされたいという人や、
じぶんさがしの旅的感覚でイベントに参加した、

そんな人がいたのも確かでした、

また休憩のために上陸した浜で地元の人たちと意気投合して、人が足りないので漕いでつないでもらうということも多々ありました、

でもそれも大きな目で見れば神様のお導きなんだと私は思っています、

誰もの心の奥底にはアロハ(愛)が眠っていると信じているから、
それを呼び覚ますきっかけになればと思っています、

オーシャンというクラブのオハナに直接声をかけなかったのは、感覚的にも距離的にも遠く縁のない西日本でのボヤージングだということと、交通費や宿泊費をかけてまでそういう目には見えない波動の影響力を信じる人、
人間を越えたものを魂で直感し、その意志と二人三脚して生きようとする人は見当たらないとわたしが思ったからです、


かなり前置きがながくなったけども、ここからが本題です、

今現在そのヒロシマ・ナガサキ『愛と祈りの航海』をわたしたちを乗せて海を無事に渡ってくれたヴァアは、平戸島の根獅子(ねしこ)にある鹿島浜という原始が残るような自然の砂浜にいて次の航海を待っています、

わたしが3.11のあとに、葉山で何もなかったような顔をして海に出続けることが苦しくなり、海からの巡礼の旅と称してKalama hoku という名前がついたV-1で自然の砂浜を探し上陸し祈りを捧げながら熊本の水俣から福島を目指して漕ぎ続けたときに平戸島で導かれ上陸した人工物が何もない山と海がつながった美しすぎる砂浜です、
そこには機械をまったく使用しない古式の塩炊き屋さんがあります、その社長さんとその仲間たちがPili Alohaを大切に毎日見守ってくれています、

そしてその小さいけどもなにかに守られたような砂浜に立ち水平線を見ると島が点在しています、

その島々は五島列島の最北端に位置するけども平戸諸島と呼ばれる、宇久島、小値賀島、野崎島、という3つの島です、
一番近い島、宇久島で根獅子から直線距離で30キロです、

今年の夏、8月23日から27日の間でこの3つの島と平戸島、生月島をPili Aloha で漕いでつなぐ計画をたてています、

この根獅子がある平戸島もそうですが、五島列島、生月島、など西海(さいかい)よばれるこの海は遣隋使、遣唐使船など古くから大陸への中継地として、また倭寇や松浦党などの海賊や勇魚とり(捕鯨)の船が頻繁に行き交っていた海域でもあると同時に、悲劇と迫害の歴史が色濃く残る場所でもあります。
キリスト教弾圧から逃れ人目をはばかりながら信仰を続けた、潜伏キリシタン(隠れ切支丹)と呼ばれる人たちの切実な祈りの跡とエネルギーの残焼を今でも強く感じることができる海と島々なのです、

わたしたちがPili Aloha(ワンラブ) という名前がついたヴァアで海をなでアロハを伝え、おおきなひとつになる愛の祈り、ワンラブ、で優しく包み込むことで、何百年も続くその負のエネルギーの連鎖を解放し、
自由にのびのびと自分らしさを表現し自分が信じるものを堂々と信じることができないままに海の藻屑と消えた数多くの魂に ”愛” を伝えるべき海と島々だとわたしは直感的にこの浜におりたった時から感じていました、

遠藤周作が外海にある「沈黙の碑」とともに書き残したように、

「人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりにも碧いのです」

という表現、そのものの世界とエネルギーが、今もこの海域にはひろびろと泣けるほど碧くひろがっているのです

その時代の世界情勢、ポルトガル、スペインやオランダなどの西洋諸国の覇権主義、植民地支配至上主義から日本という”神の国”を守るという豊臣政権、徳川政権の政治的な思想もあったのだろうけども、キリシタン(キリスト教徒)に対するその迫害と殉教の凄まじさは言葉にできない酷さであり、人が人に対してここまでのことができるのか、と言葉を失うほどのことが日本人同士で行われていました、
『愛と平和』という価値観そのものがまだ言葉としても存在していなかった時代のことです、でもそれは人道という考えが存在しないその時代の無知や人種差別的な考えなどからくるものではなく、今の時代も変わらず同じことがこの世界で、もっともっと大きな規模で日々おきていることでもあるのです、

今年の春、ヒロシマ・ナガサキをスタートする直前にわたしが書いたブログには『中東はパレスチナのガザ地区での民間人の犠牲者は2万5千人を越え、その7割以上が女性と子供』ということをわたしは記していたけども、8月現在、民間人の死者数は有に4万人をこえ、がれきのしたに埋まったままの行方不明のこどもたちは2万人以上にものぼると言われ、壊滅的な飢餓に直面している人たちは120万人とも200万人以上にもなるということです、

生きたくても生きられない子どもたち、
明日をともに過ごすつもりだった家族を戦争で失う人たちがこの世界にまだたくさんいるのです、

自分の信じる神を自由に信じることができない、命がけで神を信じなくてはならないのは今も昔も変わらないのです、

わたしたち人間がやることは浅はかで、これだけ科学や医学が進歩しても同じ失敗を繰り返すのがわたしたち人間なのです、


今日8月6日は広島原爆の日、79年前の今日8時15分に世界で初めて民間人の頭上で核、原子爆弾が炸裂し、一瞬のうちに14万人もの民間人が炭のようになり命を失った日です、


そんな日だからこそ、皆に伝えたい、平和と愛を、ワンラブボヤージングを、


空調が効いた安全に守られた家や会社に座って、平和を願っていても、この世界に平和はおとづれてきません、 

でも、

平和の世界をつくるのは、わたしたち人間にしかできないことでもあるのです、


 
『和をもって尊しとなす』

という言葉を誰もが聞いたことがあると思います、 

聖徳太子が言ったとか言わなかったとか、いろんな説がありますが、

僕が大好きな言葉です、

ヴァアを漕ぐうえで最も大切な言葉でもあるからです、



遠い遠い昔の話だけども、

われわれ日本人の祖先は世界でも例をみないほどに”和”の精神をもっとも大切にしていたと言われています、

日本中の縄文遺跡で出土する縄文人の骨に武器のようなもので深手を負った骨がまったくないということと、戦いに使われたと思われる大型の武器が見つからないからです、

他の世界中の遺跡ではまず考えられないことなのです、

征服し、根絶やしにする、というのが他の文明ではあたりまえなのです、

縄文人は数万年もの間、争わず、戦わず、奪うこともなく、稲作をして自然を強引に破壊し造作することもなく、狩猟採集をして山の恵、海の恵みを分け合いながら生きていました、
渡来してきたひとたちの文化も思想も柔軟に受け入れて、自分たちの形に合わせて作り変えてきたのが私たち日本人の祖先です、

多くの文明や宗教を海外からもとり入れ、日本という島国の風土にあわせて和の精神で融合していったのです、八百万の神、というように、すべてに神が宿るという精神性をもっていたのです、

日本で一番数が多い八幡神社でさえ渡来系の神様なのですから、

それでいて、わたしたの祖先は世界で一番古い海洋民族だとわたしは確信しています、日本近海の潮流を利用し、太平洋を黒潮にのりながら縦横無尽に海を渡っていた叡智の民なのです、

わたしたちは、

和をもって尊しとする世界最古の海洋民族の末裔なのです、

それが日本人のアイデンティティー、

世界に誇れる感性なのです、

話が大きくずれてしまったけども、

わたしたち日本民族は、この母なる地球を良き方向に、平和と愛に満ちた世界に変えることができる感性を持った民族なのです、

だからこそ、ヒロシマ、ナガサキという2度の核爆弾攻撃という試練を与えられた世界で唯一無二の民族なのです、

いまこそその役目を果たすべきだと思うのです

さあ、共に海をなでるように漕ぎましょう、

愛を込めて、

平和を願って、

宇久島、小値賀島、野崎島、生月島、
平戸諸島ボヤージング、ワンラブ航海、愛と祈りの航海
8月23日〜28日(天候次第)に興味がある人はまずは私に連絡ください、

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