広島と長崎の人たちにだけ通じる深い意味のある言葉なのかもしれない、
『献水』という言葉がある、
献花は亡くなった命や魂に対して草花をたむける行為だというのは日本国民なら誰もが知ってるしイメージができることだろう、
『献水』ケンスイということばは、わたしも今回ヒロシマ、ナガサキ祈り航海をやるにあたり、広島の仲間から初めて聞いた言葉だ、
もしかして長崎に住んでた頃に聞いたこともあるかもしれないが、まったく印象にない、
原子爆弾が投下された時、放射能の熱線をを浴びて、人間の影の跡だけをくっきりと残して一瞬で灰になる人もたくさんいた、
かろうじて数時間、数分生き残った人たちは、全身の肌の火傷だけではなく身体の内部から燃える熱さと苦しみ悶えながら川の水を飲んだとたんかに生き絶えた、
そんな人たちが数万人にものぼる、
広島と長崎の河も河辺も海辺も、
無数の息絶えた人たちの亡骸で足の踏み場がないほどに埋め尽くされていた、
という広島や長崎の語りべの話しや、その生存者が描き残した絵はわたしが子供の頃から何度となく見聞きしてきたことだ、
そんな地獄絵のような光景が覆い隠され復旧の足跡が見え始めた終戦後のある日、長崎の遺族の方が山の清らかな湧水を慰霊碑にかけ魂を癒す『献水』という行為が草の根的に始まったらしいのだ、
そしてその後長崎の慰霊祭で公式行事となり、それを見た広島の人が広島でも清らかな山の湧水を汲んできて慰霊碑に献水する活動が始まったらしいのだ、
リヤカーに湧水を乗せて広島の町中にある多数の慰霊碑に清水を捧げ祈る、おばあさんの姿が長らく見られたらしいのだ、
27日にスタートする予定のヒロシマ、ナガサキを漕いでつなぐ祈りの航海、
E hoe pū me ke aloha
わたしたちも、ヒロシマからナガサキまで漕いで行く海路で上陸する砂浜で祈りを捧げる儀式とともに、この『献水』をやります、
地球上の水の97.5%は海の水です、
山の清らかな聖水を海に流し、原爆や原爆病で亡くなった魂を癒し、すべての生命の源である海、わたしたち人が剥奪し破壊し続けてきたこの海を清め癒したいと思うのです、
漕がなくても途中上陸する砂浜のお近くに住んでる心ある方々の参加をお待ちしています🤙
また近くに聖水と呼ばれる湧水があったら、お持ちください、
葉山からも森山神社の例大祭の時に使われるお水取りの山の湧水を持って広島に向かいます
『安らかに眠って下さい
過ちは繰り返しませんから』
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