"応援する"って何だろう?

ご無沙汰しております。私です。
寒暖差に加えて花粉も飛び始めておりますが、体調など崩されておりませんでしょうか。

さて、今回はいつものような頭のネジが一、二本外れた愉快痛快ちゃんちゃらおかしい内容では無く、物心ついたときからアイドルオタクをやっている偶像崇拝のプロ(世界一うれしくない称号)こと私が特に最近よく考える「ファンとして"応援する"ということ」についてお話したいなと思います。かなり長くなってしまったので、なんかもうすごい暇でやること無いけど眠くもないからどうしようって時に読むぐらいがちょうど良さそうです。


愛とエゴの境界線が見えるか?

皆さんは、好きなアーティストや俳優、芸人その他諸々含め、所謂"推し"に対してどのような感情を抱いていますか?

「この人みたいになりたい」という憧れや、この人と付き合いたい!結婚したい!」という恋愛感情、子を産んだこと無いけど自分に子どもがいたらきっとこんな感じの慈愛のこもった目で見てしまうな…といった母性、自分では到底達成出来ない目標だけど彼らなら叶えられそうだから私の思いも託すぜ!みたいな自己投影___________など
正直、一言では言い表せない気持ちを抱えているのがオタクだと思うんですよね。私も、あわよくば婚姻届にサインしてほしいけど、絶対自分の存在なんて知られることなくこのまま遠くからギャーギャー言ってるだけで今世を終えたいし、恋愛うんぬんとか要らないから毎週金曜の夜に海鮮居酒屋で待ち合わせて愚痴とか他愛ない話しながら一緒に酒呑みたいかと思えば、その素晴らしさが全人類に知れ渡ってもはや地球全体で愛されてほしいし宇宙大スターになってほしいと手合わせたりしてるので多重人格もいいところだなと思っています。

何はともあれ、どんな感情を抱えていてもその根底には"愛"があるものです。「☆*.+全てのド真ん中には愛がある*.+♡」ってりゅうちぇるも言ってました。
愛するものには出来るだけ辛い思いをしてほしくないし悲しい涙も流してほしくは無いですよね。毎日が楽しくて明るいものであってほしいし、願いはすべて叶ってほしい。幸せであってほしい。

「幸せであってほしい」

こちらの言葉、聞こえは良いですがファン心理においては少し厄介な部分がある気がします。

推しに熱愛報道が出た、あるいは推しが結婚した時なんかはその代表的な例ですが、特にアイドルが結婚を発表すると毎回ネット上では「ありえねえ、ふざけんじゃねえ、夢ならばどれほど良かったでしょう……」という事実を受け入れ難いがゆえに米津玄師のLemonになってしまう人たち VS 「真のファンなら祝福すべきだ!文句言ってる人たちは本物のファンじゃない!」というオタク学級の風紀委員長みたいな人たちの仁義なき争いが繰り広げられている印象です。
この時、Lemonになってしまう人たちの心情としては("幸せになってほしい"とは言ってるけどこういう意味でじゃねえよ!!こっちはアイドルとして大成してトップになることが"幸せ"だっつってんだよ!!)であり、対する風紀委員長たちの心情は("幸せになってほしい"って常日頃言っといて、いざ本当に幸せになったら素直に喜んであげられないってそれってただのエゴじゃないの!?アイドルは自由に恋愛することも許されないわけ!?人権侵害!?)というような感じでしょうか。

風紀委員長側の「自分の考える"幸せ"を、彼ら(彼女ら)が考える"幸せ"とすり替え、その差異に落胆して非難するのは、自分の理想通りにならなかったことに対する不満でありエゴイズムだ」という主張にも概ね同意できます。ですが、個人的な意見として、「結婚・恋愛=幸せ=祝福」というのも固定観念な気がしますし、本人も目にするかもしれないような公の場で一応めでたい出来事に対してネガティブな言葉の刃を投げるな、とはめちゃくちゃ思いますが「祝福すべき!祝えないなんて本物のファンじゃない!」は押し付けが過ぎるので、それもそれでエゴイズムなのではないかな?と思います。

そりゃ、何が起きても動じず「アンタが幸せやったらそれでええねん☺️👌オッケーカフ☺️👂👌(これはSnowManの向井康二くんが今年流行らせたいオリジナルギャグです。よろしくお願いします。)」って言えるぐらい物分かりが良くて達観したオタクになれたらそれが一番いいですよ。でもそんなの人間である以上無理に決まってるから、受け入れられないLemon側の気持ちも十二分に分かります。
私の中のLemon側人格の意見としては、「私と結婚してほしかったのに!なんで!?」といった気持ちで悲しんでいるのではなくて(もちろんそういう気持ちの方もいらっしゃると思いますし、悪いことではないです。)それまでファンの皆んなのために頑張ってくれてたけどこれからは家で待ってる妻、子ども、守るべき家族のために頑張る夫、父親になるのか…もう別に私らが「頑張って〜!」とか言わなくても頑張らざるを得ない立場になったのか…というオタクとしての自分の"用済み感"が出てきてしまい、一つのアイデンティティを無くすことを悲しんでいるんですよね。
(あくまで個人的な考えです。婚姻の有無関係無く、アイドルは見ている人に勇気と笑顔を与える為に頑張ってくれていると思います。悪しからず!)

私は"アイドルは恋愛してはいけない"とは思っていないけど少なからず色恋沙汰が歓迎されない職業ではあるので、理不尽な攻撃を受けたくなければ(こちらとしても攻撃されてる姿を見るのは辛いので)なるだけバレないように上手にやってください、とは思うタイプです。
アイドル的価値をそういうところに置いていないし、真面目に仕事をちゃんとやっていればあとはご自由にどうぞ〜という感じなのですが、正直、私生活の行いってアイドルとしての言動や立ち居振る舞いにかなり滲み出てくると思っているので、やっぱり変な人(色々な意味で)と親しくしてるだとか、あんまり公には言えないような遊び方してる人はどれだけ完璧に見せていようがいずれボロが出るような気がします。あと、匂わせ女は万国共通で死罪です。(突然の過激派)

少し脱線しましたが、反対しようが祝福しようが、多少なりとも各々の持つ感情の中にはエゴイズムが存在するのだと思います。
"幸せになってほしい"という根底にある気持ちは同じなのに、どうしてこうも意見が分かれてしまうのか。



もう一つの例として、「推しのグループ脱退または引退」が挙げられます。
大好きな人には究極、生きてるだけで良い!って思いがちだし言いがちだけど、いや、どこで何をしてるか分からなくなっても良いかっていうとそれは全然話違ってくるよ!?っていう。

昨年末もかなり衝撃的な発表があり、特別応援していたグループでは無かったけれど勝手に心の中で「頼むから考え直してくれへんかなぁ…悪いところあったら治すから!ウチが全部悪かった!ゴメン!…そんなん言わんといてやぁ…なぁ…なぁって…」と別れ話を切り出されて納得出来ずにゴネる大阪のギャルになって嘆願してしまいました。

この件について、オタクじゃない方と話した時があったのですが「良かったね!これでその子は好きなこと出来て、ファンはその姿見れるんだから!」と言われて結構本気で宇宙猫になった覚えがあります。

オタクじゃない人(もちろんオタクの中にもそういう考えの方はいる)からしたら、脱退もそんなポジティブな解釈になるんだ…昔のベッキーかな?と衝撃でそれ以降の会話何一つとして思い出せないんですが、確かに「幸せでいてほしい」って言うなら、本人がやりたいことが出来て生き生きしてるに越したことはないのかもしれません。

でもここでまた顔を出すのがエゴイズム。「いや、それはこのグループとして末長く仲良く活動してくれること前提であって、グループ抜けて事務所辞めるなんてあっていいわけないだろうが!!!」とちゃぶ台をひっくり返したくなりますよね。
じゃあ、脱退と一緒に自分もその子のファン辞めればいいじゃん」と、さも分かったような顔をして助言してる風を装ってくる分からずやのドアホが必ず現れますが(失敬)そんな簡単に「アンタやめんの?んぢゃウチも応援や〜めよ☆新しい道でも元気でな!ガハハ」が出来たらオタクやってない。一人の人間に異常なまでに執着することをいい感じっぽくして社会で息してるのがオタクというものなのに。

あっ、「だって一番好きな子が抜けたらもうそのグループ応援する意味無くない?」も聞こえてきましたね。みんなバッドをしっかり握って構えよう、無神経という名の豪速球が正面から飛んできたぞ。
う〜ん、これは本当に応援している身しか理解できないことなのかもしれないので説明が大変難しいんですが、本当に"そのグループで活動しているその子"が好きで、"そのグループのメンバーとして歌って踊ってる姿"に惹かれるんですよね。ありきたりな表現だけれど、グループはカチッとハマったパズルであり、メンバーはその一つ一つのピースじゃないですか。
一つのピースが欠けたって全壊するわけじゃないけれど、もうそのパズルは二度と完成することはないし、代わりのピースで埋めることも出来ない。この感覚は、欠けたピースがたとえ推し本人じゃなく同じグループ内の他メンバーでも同じだと思います。寂しいし虚しい。

どこにいたって何をしていたって君が君である限りずっと大好きだよって言いたい気持ちだけは誰よりもあるけれども、実際それまでとは異なる形で活動する姿を見て、過去の活動への未練も無く純粋に新鮮にときめいて応援出来るかと問われると難しい人がほとんどではないでしょうか。嫌いになんてなれないしなる理由も必要性も無いから脱退後も動向は追うんだけど、時間が経つにつれ"アンタが世界で一番最高フィルター"が少しずつ剥がれていき、熱もどんどん下がり、「あぁもう潮時かな…」でその子を応援する我がオタク人生は幕を閉じるのであった。〜fin〜

なんて自分勝手なんだ!!!と言われても仕方がないのでしょうが、散々夢と希望与えて人の人生楽しくさせといて何の相談もなしにアイドル辞める方がよっぽど自分勝手だろうがよ!?!?!?と半狂乱になりたい気持ちをグッと堪えて、もうどうすることも出来ない決定事項を受け入れる以外の選択肢が与えられず突然の生き地獄と化した現代社会を必死で耐え抜こうとしている健気なオタクの方々がいることも覚えておいてほしいですね…。

芸能界引退に関してはマジでどうしたらいいんでしょうね。身の回りでもその事例が未だ無いので想像も出来ないのですが(キンプリさんたちはまだ退所後の詳細お知らせしてないよね?)、もはや新しい道に進んでも活躍を応援するかしないか、その選択肢すら与えられないってどんだけの辛さ味わえば許してくれるんだってぐらい耐え難い地獄案件なのでは…



というように、オタクが推しに対して抱く"幸せでいてほしい"という基本中の基本の願いはどうやらオタクの数だけ中身が違うような気がしてきました。
「幸せでいてほしい(本当にどこで何をしていようが、その人がその人として存在してくれればそれだけで十分だし、ファンのために活動してくれているありがたさは計り知れないのでその分自分の望みはすべて叶えておくれやし)」という聖人君子のような方ももちろんいらっしゃるでしょう。ファンの鏡だ。私も悟り開きまくっていつかそうなりたい。
でもきっとそれはごく少数で、多少なりとも自分の欲だったり願望が滲み出るものだと思います。
私の場合、「幸せでいてほしい(病気をせず心身ともに健康で、夜はよく眠れて、変な女や反社会勢力に引っかからず、承認欲求の塊みたいな女にLINE流出とかされず、仕事へのモチベーションを無くさず、そこそこのメディア露出を保ったまま、私がファンをやめるまで絶対に先にアイドルをやめないでおくれやし)」という中身になります。ものすごく正直に言うと。

いや、無茶苦茶やし気持ち悪い…オタク意味わからん…って絶対思われてる(オタクのみんながみんなこういう考えでは必ずしもないので、総意のつもりはありません!)だろうけど、決して自分のエゴだけを押し付けたり投影してるわけじゃ無いんですよね。
こう言ってはなんですが、すべての人間関係を紐解いていったら必ずそこにエゴはあると思います。ただ、誰かのファンとして特定の他者に強い関心を持つようになると、自ずとエゴの割合も多くなるので事あるごとにそれが目立ってしまう、という話なのではないでしょうか。
だから、エゴを持つことが悪いことではないと思うし人間として至極当然のことだとも思えます。ですが、増大しすぎたエゴによって応援している人のことを傷つけてしまうようなことは、出来るだけあってほしくないですよね。

仮に、愛とエゴの境界線がはっきりと目に見えたとして、みんな踏まずにいるのでしょうか?
100%愛だけって、それって可能なのでしょうか?そもそも愛は1種類だけ?



経済的な"応援"と精神的な"応援"

「いつも応援してます!頑張ってください!」
というファンがタレントに対して送るテンプレフレーズですが、ここで言う「応援」とは一体どういうものを指すのでしょうか。

単刀直入に聞きますが、皆さんは金を出さないやつはファンを名乗るなと思ったことはありますか?
私は無いのですが、これまでアイドルオタクをやってきて上記の考えを持つ人を沢山見かけてきました。この「金を出さない」というのはCDやグッズの売り上げに貢献しないということだと思いますが、そもそも好きなアーティストの出す物品を"欲しいか・欲しくないか"という基準で購入しているか、"人気のために買い支えてあげなくては"という半ば義務感のようなもので購入しているかの違いがファン心理にはあります。

私個人としては、これまでの応援遍歴で考えてもグループの人気だったり売り上げのために買わなきゃ!と思ったことはあまり無く、同じ「買わなきゃ!」でも、周りが買ってるから私も買っといたほうがいいよな…という同調精神でお金を払ったことはあります。
今はというと、残念ながら頭で考えるよりも先に指が予約ページまで行ってて知らない間に「ご購入ありがとうございます✨」みたいなメールが届いている理性皆無な時も多々あるのですが、基本的にはビジュアルだったり特典だったり内容が良ければお金を対価として楽しませて頂きます、という気持ちでいます。
逆に言うと、買って欲しかったらそれなりおもしろくて魅力的なものを作ってくれよな?みたいなド厚かましい上から目線で腕組んだりもしています。要らないものにお金使えないし。

なので、もし応援しているグループの売り上げが悪かったとしたら、それってファンの応援が足りないということになるのでしょうか?
もう本当につまらなくて正直こんなの要らないけど買ってあげなきゃ人気無くなっちゃう…という思いで沢山購入することで保つ数字や位置は果たして本当の人気と言えるのでしょうか?

これにはいくつかの見解があって、大前提として数字がすべてなのだから何の問題も無いという考えもあるし、そういう献身的で太いオタク(大金を気前よく出してくれるオタク)で成り立ってる現状で、もし一人一枚制度にしたらそれこそ全体の人気が崩壊するし応援してるグループが活動出来ない可能性さえ出てくるという考えもあります。もちろんもっと多様な考えがあると思いますが、私的には一つ一つに「一理あるよね〜」という気持ちでいます。


少し逸れて、メンタル的な話になるのですが、時々アイドルの一人が「自分の生活が一番大事だから、無理して買わないでね」みたいなことを言ってくれることがあります。
それは本当にそうで、何と言っても応援する行為自体が自己満足みたいなところがあるので、自分が楽しむために金出すところから○○くん/○○ちゃんのために金出すという思考になって追い込んでしまうと自分の生活、ないしは人生が破綻します。なんですけれども、あえて破綻しても構わないという勢いで盲目になろうとする人もいるのではないでしょうか。
毎日生きていくのがつらい、推しを応援していることだけが自分の人生の目的であり存在意義なんだ、となればもはやお金を払って推しの何かを購入することがこの世で一番嬉しくて楽しいことになり得ません。自分は壊れるかもしれないけど、推しの支えになっているならどうだっていい!実際、きちんと正規ルートで支払っていたらその売り上げは確実に推しの活動の支えとなって還元されていきますからね。
タレント本人たちからしたら、そういう人を生むことは出来るだけ避けたいかもしれませんが、他者のファンとなり応援に入れ込むというのは結構奥深い(闇深いとはあまり言いたくない)ものだと思いますね。



戻りまして、お金を出しているものだけがファンを名乗るとして、雑誌も出たやつ全部買って円盤も複数買いしてグッズも全コンプして金ならめちゃくちゃ出してるんだけど、グループまたもや推し本人の悪口をSNS等で言いまくってる場合、それは「応援」と呼んで良いものなのでしょうか?
金出しゃ偉いってもんじゃねーだろ…が私の本心ではあるのですが、経済的に支えてるのは確実にそういう層なので否定は出来ないみたいなところがあります(勝手に)。

ブーブー文句垂れるならやめればいいのにって思うけど、多分ブーブー文句垂れながら応援することに興を感じてるタイプの人間なんだと見受けられるので、まあもう色んな人がいるな〜♪と脳を強制シャットダウンするしかありません。めっちゃ個人的な意見を言わせてもらうと、とあるグループのとあるアイドルが気になってファンになりかけたとしてもこういうタイプのオタクが多かったら絶対ファンにならない。
さっきも言ったけど、本人が見て傷つくおそれのある発言をするのはよろしくないですよね。思うのは自由なんだから、せめて鍵垢なり自分の日記帳に書くなり出来ないものか。


とはいえ、何でもかんでも推しから提供されたものは全部喜んで受け取らないといけないのかって言うと、そんなわけもない。
速攻矛盾してるみたいで申し訳ないけど、不満はありますし、「いやこのクオリティとセンスで良いと思ってるのイカれてるだろ…」と思うこともあります。

でも、それって個人の嗜好とか感覚だし、100人中100人がダサい!って言ったらその時は確実にダサいので声を大にしてダサい!って言えるけど、良いと思ってる人も当然いる上に推しから「一生懸命作りました!楽しんでください!」なんて言われたら、むしろこれを好めない自分がおかしいんじゃないかと罪悪感に駆られてしまったりするんですよね。
それが一、二回たまたまその回限りで微妙だったら良いんですが、結構自分にとって微妙なやつが提供され続けるといよいよ金と時間使うのが嫌になってくるという。

「新しいシングル予約した?」「あ〜、まだ(今回は微妙だから保留にしてるんだよな…)」
「先週のレギュラー番組見た?めっちゃおもしろくなかった!?」「あ〜、まだ(あれのどこが面白いのかマジで理解できない…)」

「え、本当に好きで応援してるんだよね?」

してるんですよね?別にCD買ってなくたって曲聴いてなくたって番組観てなくたって好きなものは好きだしちゃんと応援してるファンですよね?
ここが難しいところです。追えてないけど大好きだし、もし街で遭遇したら絶対に「いつも見てます!応援してます!頑張ってください!」って言うだろうし。私はこれを"精神的な応援"と考えています。

応援する術というのは、何も経済的なものだけではなくて言葉だったり表情だったりもあると思うんです。よほどの悪人でなければ、たとえCD買ったりテレビ見てくれてなくても「大好きです、頑張ってください」って言われたら、いくらかの力になるはずです。
金出さないやつはファンを名乗るな論でいくと、まだ自分でお金を稼いだり自由に使えない子どもたちはファンになれないのか?となってしまいますが、ちっちゃい子が声援送ったりグループのダンスを真似して踊ってる動画を本人たちが見たりしたら喜んでるし、力になりますって言ったりもするじゃないですか。

かと言って、金出せるのに出さないのはまた話が変わってきます。
「いや、人の自由とちゃうんかい」そうなんですけど、例えばこうです。好きなアイドルグループがいて、そのグループが新しいアルバムを出しました。欲しいな〜と思った矢先、SNSで音源を流してるアカウントを発見。えっ!買わなくても全曲聴けるじゃん!これアプリで保存すればいっか〜。買ったら嵩張るし。ねえねえ、CD買わなくてもタダで聴ける方法知ってるよ。教えてあげよっか?良いよね〜この曲!あ、MVもフルで見つけたわ、一緒に見よ見よ。え〜ビジュめっちゃ良い〜!最高〜推ししか勝たん♡

これに関しては、経済的な応援にならないだけでは留まらず、いずれ「勝たん♡」らしい推しの活動すら脅かすおそれがあるので大変危険だと私は考えます。もうこれは応援ではなく、ただ好きなだけです。それで良い人はそれで良いんですけどね(小泉進次郎構文?)
そもそも無断転載を許すなって話になるんですが、これは私もTwitterでどうしてもみんなに見て欲しい推しのかわいい・かっこいい部分を数秒切り取って載せたりしちゃってるので糾弾出来ません……………すみません…


これまであらゆる場面から"ファンとして応援するとは何なのか"を考えてきましたが、結局のところはっきりしたことは分かりません。

これは自分の推し本人に「どういうことがあなたの応援になりますか?」と聞けたら一番手っ取り早いし確実なのですが、仮に推しから「CDとかいっぱい買ってくれて、とにかくお金落としてくれることが一番の応援になるよ!」とか言われたらそれはそれで夢が無いな〜ってめちゃくちゃ冷めると思う。
「僕/私のやること全部肯定してくれて絶対に口出ししてこないことかな!だって僕/私の人生なんだし!」とか言われてすげえ〜どギツイスキャンダル連発されても、それはそれで申し訳ないですがご希望に添えかねます…って引いてしまいそうです。

色々言ってきましたが、誰かを好きになるとか特別に思うのって完全自己満足ですし、普段オタクやってていちいち「これって応援になってる?私の気持ちって何だろう?」って考えたりしません。「応援してる子がいて〜」とか「いつも応援してます!頑張ってください!」の"応援"も別に深い意味とか無くて、好きでよく見ててかわいいな〜とかかっこいいな〜って思うことをひと言にギュッとまとめただけだと思うので。
アイドルとして沢山の人に愛されて輝いてくれたらいいね〜とはいつも思っていますが、例えば何かの賞を取ったとか売り上げが新記録達成したとか聞いても、本人たちがめっちゃ喜んでたら良かったねえ〜!おめでとう!って自分も喜びつつも、あくまでその賞とか記録は彼らのものであって私のものでは無いので内心(なんやよう分からんけどすごいんやな〜)ぐらいに感じてます。

オタクの数だけ応援の仕方だったり意気込みがあるので一概には言えない、がとりあえずの締めくくりにはなりますが、どんな形であれ推しには健やかでいてほしいし、推しの害にはなりたくないというのはみんなに共通する思いなのではないでしょうか。ラブドリームハピネス、アンミカです。


ここまで、スッキリしない考え事にお付き合いいただきありがとうございました。一回遠くの方を見て目を休めてくださいね…
よければ、推しに対するスタンスだったり推しに抱いてる感情などなど皆さんのお話をお聞かせください。



最後に:細心の注意を払って、誰のことも傷つけないように文章を書いたつもりなのですが、もし配慮が行き届かず、意図せず傷つけてしまったらごめんなさい!

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