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晴れ時々妊活3 「妊活による退職って」

漢方でホルモンバランスは改善し、自然妊娠を期待しましたが、タイミングも合わないわ上手くできないわで授かる気配がなく、結局腹をくくって妊活の専門医へ行くことに。

もう結婚した時すでに40過ぎてるんだから、さっさと行けよ…って感じですが、それはそれでやはり個人の気持ちの問題もあるので、私にとっては不妊治療専門病院に行く覚悟ができなかったと言うのが正直なところです。

それは一体何なのかと言うと、もう後戻りができない、どこへ?って感じですが、私はもう高齢だったので子供が本当にいた方がいいのか、こんな年取って産んで大丈夫なのか、「作るべき」って思っているのか、漠然とした不安と自問自答が止まりませんでした。

ああいう専門病院に行くイコール、「私は赤ちゃんが欲しい」と宣言、コミットメントするようなものですよね。
もっと気軽に検査とかしとけばいいのに、大袈裟に考えていました。

30代後半で通っていた友達が、病院に通い出したらそれは負の階段スパイラルの始まり…と縁起でもないことを呟いていたからです。
要は、そういった病院に通うようになると、今まで自然にタイミングを図っててダメだった時と落胆具合が全く違うので、何がなんでも!次こそできるはず!と言う気持ちがどんどん強くなって、自分を無意識に責めたり追い込まれて苦しくなると言うのです。そのスパイラルが始まると言うのです。
それは超超当たっています。
後ろ向きなことなのではなく、それが現実だと思います。

だから、今でも通っていた病院の前を通って女性が出入りしているのを見かけると、「お疲れ様、頑張ってー、みんな〜」と心で声をかけてしまいます。
期待と不安と、1人で本当にいろんな感情と向き合わなければならない、ほんとにお疲れ様なのであります。


本格的に病院に通おうと思ったのは、42歳が目前だったからです。
もう、漢方だけ飲んで、タイミング合った時だけのチャンスではなんとかならんな、流石に時間がない、何より後悔したくない、やるだけやっておこう、
そんな感じです。
赤ちゃんを望むのを42歳までにしようとなんとなく自分の中で決めていました。
それでできなければ諦めようって。
それまでにできたら腹を括って育てようと。
なのでやれることやっとこうって、やっとそんな気持ちになったんですね。

でも通うとなると仕事を休んだりしなければならないので、フルタイムの事務職でしたので妊活するって宣言しないとならないの、嫌だなぁと思っていました。
「恥ずかしい」という気持ちが強かった。
振り返るとなんで恥ずかしいのかよくわからないんですけど。
だから有名人とか、妊活公表して活動してる人、すごいなぁって思いました。
できればこっそりバレずにやりたい。
その真意は、できるのかわからない、もしできなかった時にどんな顔したらいいんだ、とか、まだまだ不妊治療に後ろ向きな印象が強いと思っていたので、子供ができない人とてい腫れ物扱いされたくない、無神経な言葉で傷つきたくない、とかそんな感じでしょうか。
これも自分で自分の行動を後ろ向きなものとして見ている証拠だなと思います。

結局色々と職場の上の人間の体制への不満も多かったし、同僚はいい人たちだったのですが、空調を意味不明な理由で付けてくれなかったりして冬とても寒くて体にも悪そうだったのでこれを機会に思い切って退職することにしました。

お金の面では働くべきでは…と思っていましたが、治療のために休みつつフルタイム勤務は体と心への負担やストレスを考えて、最善策はノーストレスで体バッチリ良くしよう!お金は後で頑張ればなんとかなんべ!と言う結論に達しました。
辞める理由は、「妊活したいので」と正直に言いました。
そう言うと、周りって何も言えないですよね。
本当は「この会社でストレスなく妊活できそうになかったから」なんですけど。
周りからは自分が腫れ物扱いになってる気がしたり、自分でも退職願(妊活宣言)してから、職場でやたら自意識過剰になってましたが、辞めるんだしいいや!と開き直りました。

でもずっとどこかに、「こんな高齢で妊活するんだ、できるのか」って周りに思われているんじゃないかって、だーれもそんなこと言ってこないのに、本当自分で自分にかけてる呪いに苦しんでました。
自分が一番自分を信じていないとゆーか。肯定していない。

それにしても今でも忘れられないのは、その職場の上司(常務)が退職の辞令を受け取りにいった時最後に私に言ったこと、
「まぁせいぜい頑張って」と私の下腹部をポンポンして去っていったんです。
急なことでびっくりして返せませんでしたが、以前から退職する職員に意地悪なことを言っているのは耳にしていて心底性格腐ってるのはわかってましたが、妊活が原因で辞める私に嫌味でも最後に言いたかったんでしょう、その時心底辞めて正解の職場だったーー!!と思いました。
辞めた後でもセクハラで訴えられないだろうかと真剣に思いましたが、怒るエネルギー消費がばかばかしくなりやめましたが今でも許せない一言です。
妊活の結果は死んでもこいつには知らせないぞと誓いましたし、元々嫌いでしたが二度と会いたくなかったですね

同僚もいい人たちで、仕事も楽で残業ないし、給料もそんな不満なかったのですが、トップがあんな人では妊活してなくても辞めて良いところだったなと。

なんだか愚痴になってしまいましたが、そんなこんなで初めて夫の会社で扶養にならせてもらい、42歳にして初めての完全フリー、専業主婦生活スタートしました。

といってもしばらく引き継ぎで会社には所属していたので、平行して病院の検査などをしていました。
妊活はじめの色んな検査もカウンセリングも結構時間がかかって、すぐに始められるわけじゃないんですよね。
なんだかんだで夫のも調べて、周期をリセットして、、で初めの受診から3ヶ月後くらいにやっと最初の診察って感じだったかなぁ。

どんどん時計の針は進みます。
次回は検査の結果と治療のはじまりをお話します。

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