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子どもが「ありがとう」と「ごめんね」を言えなかったら、怒りますか?そこに子どもの自由意志はないのか、について考えた話

こんにちは。

先日、親子が参加するイベントでスタッフ業務についたとき、日本社会に「ありがとう」を言える子に育てる、という強烈な価値基準があることに気づきました。今日は、そのことを少し書いてみます。

「ありがとう」という言葉の使い方。これは、大人になってからの人生の幸福度にも影響しているように思います。

日本社会の「ありがとう」MUST信仰

その日、私は親子が参加するイベントのスタンプラリーのゴール地点で、ゴールするお子さんに記念品をお渡しする役割でした。1日で数百組の親子がゴールしたのですが、記念品をお渡しする瞬間に何度も繰り返される光景。記念品を受け取るお子さんに、親御さんが声をかけるシーンです。そこには、いくつかの決まったパターンがありました。

①「”ありがとう”、って言った?」と親が子どもに聞く
②「こういう時、なんていうの?」と親が子どもに聞く
③「ちゃんと”ありがとう”って言って」と親が子どもを促す
④子どもの反応黙って見守る

想像がつくと思いますが、①~③がとても多かった。お子さんが記念品を受けとって、間髪入れずに①~③が飛んでくることも。子どもがもらったものを見て、味わって、「嬉しい」「やったー」と自然に気持ちを言葉にするより、早い。きっと、子ども達は「ありがとう」と言えなければ怒られるのでしょう。

子どもの教育における「ありがとう」MUST信仰のすごさ。自分が子育てしていた時も、こうだったのだろうか。おそらく、親にとって①~③の声掛けは、反射的で無意識な行動なのでしょう。
親から①~③の声をかけられたお子さんは、ほぼ100%「ありがとう」と口にして、去っていきました。本当に感謝しているのかどうかは、別にして。

「ありがとう」を言うか言わないか。そこに自由はないのか

「ありがとう」を言うか言わないか。その自由が、子どもにあってもいいのではないか。だって、”ありがたい”と感じているかどうかは、本人次第なのに。「ありがとう」を言わないと、どんなひどいことが起きちゃうんだろう。
たくさんの背中を見送りながら、そんな違和感を感じていました。

辞書によると、「感謝」には2つの意味があります。ひとつは、ありがたく思って礼を言うこと。もうひとつは、心にありがたいと感じること。

イベント中の親子のやり取りは、「”ありがとう”という言葉を使って礼を伝えるコミュニケーションのしつけ」に該当するのでしょう。礼儀やマナーとしてのしつけです。
では、”「ありがたい」と感謝の気持ちを感じる心を育てる” 機会は、どこか別の場にあるのでしょうか。

「ごめんね」を言うか言わないか。はどうだ

保育現場で働いていた頃、子ども同士のトラブルは日常茶飯事でした。親が子どものケンカの仲裁をすると、すぐに「”ごめんね” は?」と子どもに催促してしまいがちですが、トラブルが起きてもじっと子ども自身が「ごめんね」というのを待つ先生がいました。ただその場をおさめる手段として「ごめんね」という言葉を言わせるのではなく、本人が納得して仲直りに気持ちが向かうことを、静かに待つ先生でした。

今回の「ありがとう」対応で心にひっかかりを感じたのは、この保育現場での「ごめんね」対応の記憶が蘇ってきたから。

子どもが自分自身の気持ちを味わえるように、大人はもっと我慢強く待つべきなのではないか。子育ての現場において、「待つ」が困難であることは、とてもとても、よく分かっているのですけど。

「感謝」の対象は、人だけじゃない

大人になってから、自己啓発やセルフケアを少しでも学んだことがある人は、あるがままの今に感謝することが大切だということはご存知だと思います。人と比べたり、完璧を求め続けては、幸福度はあがりません。

大人になると、自然や美しいもの、自分を満たしてくれるもの、平和、そんな当たり前の事象やモノに対して「感謝」の気持ちを抱きにくくなってしまう。その背景に、子どもの頃から「感謝」を対人コミュニケーションのツールとして習得してしまい、ありがたいと感じる心や、その感情を「ありがとう」という言葉で表現する、という営みとしての経験を十分にできていないことがあるのではないか。
そんなことを考えたりしました。

子どもが簡単に「ありがとう」と「ごめんね」を味わう手段

子育て期にシンプルに実践できるのは、「絵本をたくさん読む」ことだと思います。よい絵本は読み手に解釈をゆだね、「かもしれない」の想像力をかきたててくれます。正解がなく、物語から得られるメッセージや学びについて、親子でいくらでも話し合うことができます。

「ありがとう」と「ごめんね」について、じっくり味わえる絵本の代表格として、『泣いた赤鬼』をあげてみます。教科書にも出てくる、日本人なら一度は聞いたことがある昔話。大人になっても、読み返したい一冊です。
赤鬼くんと青鬼くんの間には、色んな「ごめんね」と「ありがとう」があって、その言葉を伝えるだけでは終わらない、優しくて複雑な気持ちに気づかされます。


「ありがとう」と「ごめんね」という言葉をとても重要視する日本社会は、素晴らしい。子どもには、その言葉だけを強要せず、言う言わないの自由(余白)があってもいいのかな。その言葉の裏にある感情も、大切にしたいですね。もちろん、大人も。
というのが、今日の結論です^^


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
また書きます。



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