人新世のパンツ論⑰―特別編II・フンドシと森鷗外の『ヰタ・セクスアリス』
“Utaroの私的な、文学的な、サブカルと芸術に関する記録ノート”。
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「人新世のパンツ論⑰―特別編II・フンドシと森鷗外の『ヰタ・セクスアリス』」。
またもや、フンドシの話…。
しかしここでは、文豪・森鷗外さんが登場するのです。フンドシと鷗外さんって、いったいどんなつながりがあるの? といったところで興味を持たれた方は、ぜひお読みください。
私自身、学生時代からも含めて、森鷗外という人の作品はあまり好んで読みませんでした。『ヰタ・セクスアリス』だけは際立っていたので読みましたけど。しかし正直、読んでくすぐられるものはありませんでした。
夏目漱石の作品は若い頃から大いにくすぐられ、岩波の“全集”で読み耽るなどしましたが、それに比べ鷗外作品は…と思いつつ、大人になってなんだかんだとけっこう自分の場合は鷗外にふれていることに気づく。作品も読んでいないわけでもない。鷗外さんにはなにか、不思議な魅力があるのですね。
文豪といえば漱石を思い出し、鷗外を思い浮かべるでしょう。でも鷗外はちょっと文学的に苦手、という人も多いのでは?
日本人の男性がパンツの話にオドオドしてしまうのと同じくらいに、鷗外さんに対してもあまり理解が及ばなかった気がするのです。
そんな鷗外さんの、パンツの話なのです!
ということで、ぜひご一読ください↓↓↓。
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人新世のパンツ論⑰―特別編II・フンドシと森鷗外の『ヰタ・セクスアリス』
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