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読書猫…?

もう本は近くに置かない、と決めたのに
(そんなこと決めたの、どこの猫?)
また、そこいらじゅう本だらけになってしまった。
新書に文庫に単行本 、ニャ~ァ(ため息)。

気になった本は
パラパラするだけでも、一度は
手に取ってみないと気がすまない。
おまけに子猫は、連想大好き。
転がった毛糸玉を追っかけるように
本から本へ、無限連鎖(?)
毛糸はもつれて、からまって。

ある時、
十二か月を描いた屏風絵を見た。
月次絵(つきなみえ)って、
「なんで、わざわざ十二か月?」
こんな疑問が始まりだった。

「歳時記」という書物があると聞き
書名に「歳時記」がつく本を探しているうちに
『荊楚歳時記(けいそさいじき)』に。

この書が著されたのは、
隋が、天下統一を果たした六世紀末。
かつて江南の地に栄えた荊(楚)国の風俗習慣を
宗懍(500~563年)が詳しく書き留めてくれた
年中行事の実用ハンドブック。

十二か月のこと、いろいろ知りたいんなら、
『淮南子(えなんじ)』も、いいし
『呂氏春秋(ろし・しゅんじゅう)』にも
載っているよ、と誰かが教えてくれた。

紀元前三世紀、
始皇帝の宰相、呂不韋(前290-235)が
物知り猫をたくさん集めて編纂した『呂氏春秋』。
百年あまりあとで、
淮南(わいなん)王・劉安(りょうあん、前179-122)が
彼もまた、物知り猫をたくさん招いて、『淮南子』を編んだ。

秦と漢。
大帝国の統治に必要な王者の心構えを
世界観や祭祀から人事にいたるまで、
具体的なエピソードを交えて語る両書には
教科書で見たことのある名前も、いっぱい。
老子、孔子、荘子、荀子、韓非子……。

『呂氏春秋』と
『淮南子』を眺めていると
食いしん坊猫は、つい
混ぜまぜサラダを思ってしまう。
”ニース風サラダ”、とか。

トマトにピーマン、紫タマネギ、ガーリック、
セロリに白インゲン、アンチョビ(ツナでもいいの)に
黒オリーブ、それに茹で玉子……ぜ~んぶ器に入れて、
お酢とオリーヴ油のドレッシングでサックリ和えれば
赤青黄色に白と黒、彩り豊かで
栄養バランス満点の一品が出来上がり!

で、『淮南子』も『呂氏春秋』も、
素敵なサラダ???
(門の外をウロウロしている半ノラ猫の言うことです、
 専門の先生方、どうかお許しください💦)

            📚

そんな『呂氏春秋』や『淮南子』を
パラパラしていると、
ときどき三角お耳がピクッとする。
「これって、もしかして
現在(いま)のことを言っているの?」

   自国の領土を広げ他国の領土を侵す[…]
   罪なき国を討ち、罪なき民を殺し[…]
   かくて貪欲な君主の野望を充たしたとしても、
   それはいわれのある兵戦とはいえないのである。

『淮南子』巻八 本経訓
以下、楠山春樹博士の通釈による

専制君主、抗議されれば即、弾圧。
招集しても兵は集まらず、それでも
お隣の兄弟国に攻め込んで
(白兵戦で負けると都市にミサイル撃ち込んで)
人々の平穏な日々を奪って、毀して、
敵も味方も、いっぱい殺したって
ゼ~ンゼン構わない、だって自分は
二十一世紀のピョートル大帝だもん、
(エカテリーナ二世、だったかしら?)
な~んて、ご本人は思っていたりして。

            📚

地上に君臨して暴虐のかぎりを尽くした
皇帝たちも、その生命には限りがあった。

地下に大帝国でも築くつもりか
兵馬俑の軍団を配して、あげく
不死の仙薬を探しに徐福さんを遣わしたけど、
そんなもの、見つからなかったでしょ?

   秦の始皇の奢(おごり)をきはめしも、
   遂には驪山の墓(つか)にうづもれ、
   漢の武帝の命をおしみ給ひしも、むなしく
   杜陵[茂陵]の苔にくちにき。

『平家物語』巻十一 「大臣殿被斬」

生きて在る<いま・ここ>が、
猫たちにとって、永遠の時空。
善きもの、美しいもの
いとおしいものにあふれた
唯一無二の宇宙。

多様な存在は、多様なままで
ここで出会い、須臾のひと時を共に過ごしては
やがて別れていく、いつかまた逢うために。
個と個のかかわりにこそ
いのちは宿る。
            📚

『淮南子』や『呂氏春秋』より遥か昔、
古代中国の猫たちは気づいていた。
夜が終われば朝が来て、昼が過ぎればまた夜になる。
陽が極まれば陰となり、陰が極まれば陽となる、と。

陰と陽との緩やかな円舞を彩るのは、五つの精気
木、火、土、金、水=もく、か、ど、こん、すい
互いを生み養いながら、互いに拮抗し牽制しあう
万物の躍動と静止をつかさどる五行。

陰陽はめぐる。
日が長くなり、短くなり、また長くなって
春、夏、秋、冬。
それぞれの季節には
始まりの頃(孟)
孟春、孟夏、孟秋、孟冬
半ばごろ(仲)
仲春、仲夏、仲秋、仲冬
終わりの頃(季)
季春、季夏、季秋、季冬
これで一年十二か月。

陽が多く陰の少ないは<木>
溌溂たる生命の青、
陽ばかりのは<火>
燃える焔の朱、
陰が多く陽の少ない秋は<金>
玲瓏の白、
陰ばかりのは<水>
澱みの黒。
それぞれの季節に先駆ける
二十日たらずの期間、
陰陽均しい土用は<土>
四季を支える大地の色、黄。

青、赤、黄、黒、白
マゼンダ、シアン、イェロー、無彩色。
あらゆる色が煌めき、さんざめきつつ
猫たちの宇宙に降り注ぐ。
色は、光。

            📚

『呂氏春秋』は、音楽を論じるのに
陽光のあふれる季節
夏を選んだ。

   およそ楽は天地の和、陰陽の調なり
   凡楽天地和 陰陽之調也 

『呂氏春秋』巻五 仲夏紀 (二)大楽

濃淡の色と光の醸す陰影は、
さまざまな相を見せて交錯し、
近く遠く五つの音を響かせる。

耳慣れた音でいえば、おおよそ
ドは<土>、レは<金>、ミは<木>
ソは<火>、ラは<水>
とりあえず、”ヨナ抜き”音階。

これら音と音とのへだたり、
音程に諧調を求めて
楽師猫たちは音律を定めた。

伝説の古代、
不思議の山中の竹から
三寸九分の管を切り出し
人の息吹きの風を送って
基準となる音を得た。

すぐれた帝王の御宇、

   天地の気が合して風を生じ、月ごとにしかるべき日がくると、
   その風をあつめ、そこで十二律を生じた。すなわち、仲冬(十一月) 
   の最も日の短いときに、黄鐘を生じ、次いで李冬(十二月)には
   大呂を生じ、孟春には(正月)には太蔟を生じ、[…]           

『呂氏春秋』巻六 季夏紀 (二)音律
 

一年で最も日の短い冬至のころ(仲冬)を起点に、
月毎に日が伸びるのに合わせて管も伸ばしていく。

始まりの月を一とすると、次の月(季冬)には三分の一を足して三分の四、
その次の月(孟春)は三分の四の三分の一を足して……
日が一番長い夏至のころ(仲夏)には管も一番長くなる。
バス・リコーダーを思わせる、ほのぼのと暖かな
音律ができるのかニャア。

木管も、日も、伸びるだけ伸びれば
短くなっていく。こんどは
夏至の長さを基準に、また三分の一ずつ
短くなって……日も管も、
冬至には、もとの長さに。

十二律の生み出す精緻な秩序、
宇宙の調和を乱してはいけない。
「十二紀」の趣意について
呂不韋は述べている。

   昔の治まる世では、
   人は天地の在り方を模範とした、とも聞いている。
   そもそも「十二紀」とは、[それに従うか否かが]
   国家の治乱存亡を決する要であり、
   寿夭吉凶を分ける因ともなる。
          

『呂氏春秋』巻十二 季冬紀(附)序意

『呂氏春秋』十二紀も
『淮南子』巻五「時則訓」も
四季の祭祀や養蚕農耕、
工事、軍備を述べたあとで
必ず警告する。

「四季の廻りに逆らわないで。
もし逆らったら、困ったことが起きますよ。」

風の害、水の害、旱魃(かんばつ)
疫病、そして戦争。

冬に夏を食し
(暖房のお部屋で、アイス・クリスマスケーキ=美味しいかも…)
夏に冬を招く
(冷房、冷凍庫、冷蔵庫=ないと困る!)

季節を違え(恥ずかしいけど)、
かぎりなく膨らむ欲望は
いつか果てしない野望となって
広大な国土が産み出す資源、
大地の恵みをさえ
支配のための
武器に変える。

”困ったこと”は、起き始めている――
いいえ、もう起きてしまっているのかも
「いまなら間に合う」と
なおも、囁きながら……。

            📚

毛糸玉を追いかけ、そばえて、猫パンチ
さんざ遊んで疲れたら
書物のあわいに潜り込み
お香盒つくって、一休み。

周りには
からまり、もつれ、散らばった
色とりどりの糸、毛糸
(モトイ、本、本、本)。

もう近くに本なんか置かない、ニャ〜ンて
澄ましていたのは、どこの猫?

             表題画像は
              Donald STURGEONS「《淮南子》的文字雲」            

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