こんな人生歩みたくなかったと思って泣いてしまった日と、救ってくれた本「おまじない」
もう2か月も前になるけれど、ゴールデンウィークなるものがあった。外出自粛が叫ばれていたとはいえ、ナイスウェザーな日が続き、世間はそれなりに浮かれていたと思う。みなさんは何をして過ごされましたか。
わたしは絶不調だった。
娘から胃腸炎をうつされて、熱と吐き気でじいっと横になることしかできなくて、考えごとばかりして、気がついたら泣いていた。
こんな人生、歩みたくなかったなあと思って。
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小さいころ、本を読むのが好きだった。とりつかれているといってもいいほどだった。通学路では歩きながら本をひらいた。図書館から借りたものは期限がくるまで20回でも30回でも読んだ。母に叩かれても、弟とケンカしても、学校でイヤなことがあっても、物語の世界にはいつだって心強い味方がいた。
読むだけでは飽き足らず、やがて、ノートにちいさな物語を書くようになった。
大切に引き出しにしまっておいたのに、ある日父がそれを勝手に取り出した。リビングでおもしろおかしく節をつけて音読し、「ねぇ~、主人公はこのあとどうなんがぁ~?どうなんがけ~?」とゲラゲラ笑った。
いつか本をつくる人(へんしゅうしゃ、っていうらしい)になってみたい、と夢をふくらませるわたしを、母はばっさり切り捨てた。「後世に名を残すような、もっと立派な仕事をしてよ」「父さんみたいな自営業とか、母さんみたいに子どもを産むんだったら、この世に生きた爪痕を残せるけど、サラリーマンとしての人生なんて、なんの意味もないんだからね」
だんだん、本を開いても、その内側に入っていくことが難しくなってしまった。
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べつに、「自分のやりたいことを仕事にするべき!」なんて思わない。「やりたくない」をそぎ落として、「やってもいい」を煎じ詰めたいまの仕事で、ワークライフバランスもばっちりで、それなりのお給料をもらえているのだから御の字だ。本に携わる職業は、おそらくものすごくドメスティックだろう。ひいひいおじいさんまでさかのぼっても日本育ちのはずなのに、どういうわけだかこの国になじめないわたしにはきっと向いていない。社交辞令とそうでないものの区別がつかないし、会議でパンを食べるのがなぜダメなのかわからないし、すきあらばロングバケーションのことを考えている。外資系の仕事にありつけて、本当によかった。
それでも、あったかもしれない未来のことをときどき考える。自分の思うままに夢を描き、進路を選び、大学にすすみ、就職したらどんなふうになっていたかなあ、と。わたしはいつも「こうするべき」「そんなのおかしい」と否定ばかりされてきて、やってみたいことにはチャレンジすらできなかった。自分の感じることに常に自信が持てなかった。ずっと、つらかった。
しんどい身体でぼんやり布団に横たわっていたら、そんな悔しさのリミッターが一気に外れて、止まらなくなってしまった。
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手に取ったのはやっぱり本だった。
西加奈子「おまじない」
なにかを「選択した」つもりでも、それは自分だけの責任じゃない。だって、だれだって、世間の空気とか、まわりからの期待とか、経済状況とか家庭環境とか、そういうものと無縁ではいられないから。自分の意思だけをピュアに貫き通して、生きたいように生きる、なんてムリ。それなのに、ときに「したくてそうしたんでしょう?」と言われてしまい、それが自分を苦しめる。
でも、あなただけが悪いんじゃないんだよ。人はみーんな、そうなんだよ。作者のメッセージが伝わってくるようで、おもわず涙してしまった。
人って、大きな水槽のなかでゆらゆら揺られているような存在なのかもしれない。自由にどこまででも泳いでいきたいけれど、洗濯機のごとく水がぐわんぐわんかき回されたり、ときに異物が放り込まれたりして、意思だけでは思うようにいかないのだ。
ずっと、好きな世界を守れなかったこと、意思を通せなかったことについて、自分を責め続けていた。でも、わたしが悪いんじゃなくて、親のせいだった。ガチャガチャでたまたま当たった親がああで、わたしは水槽を選べなかった。そう思ったら、少しだけ楽になった。
自分のやりたいことよりも、みんなの期待に応えなきゃ、とがんばっていた小さな自分を思い出すと、そっと近づいてぎゅっと抱きしめてあげたくなる。
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亡くなった小林麻央さんがブログでこんなふうに綴っていた。
子どもたちの将来を案じたのだと思う。生まれた瞬間から家を継ぐことが決まっている息子と娘。まわりの期待におしつぶされないように。ときめくことを見失わないように。心だけはいつも自分だけのものであるように。
わたしも、娘には、自分のささやかな楽しみを心の燈火にして、いつまでもたやさないでほしいと願う。
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