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【れきし小話vol3】季節外れのバレンタインの話

 作東バレンタインパークで開催される海ゴミゼロイベントにちなんで、バレンタインの小噺を少ししていきたいと思います。
 2月14日がバレンタインデーなのは皆さんご存じだと思います。
 西暦269年頃の2月14日。この日はキリスト教の聖人である聖ウァレンティヌスが殉教、つまりキリスト教の信仰のために亡くなったとされています。ウァレンティヌスはラテン語読みで英語だとバレンタインですね。
 中国では三国時代の終わりごろ、日本では弥生時代で邪馬台国の時代ですね。

絶対結婚許さないマン?・クラウディウス2世

 当時、地中海世界はローマ帝国という超巨大国家が支配していました。
 時の皇帝クラウディウス2世は兵士が弱くなることを恐れて結婚禁止令を出したと言われています。
 聖ウァレンティヌスはクラウディウスに逆らい恋人達の結婚式を行ったため、処刑されてしまいました。


軍人皇帝の中では評価の高いクラウディウス2世

 ここでクラウディウス2世ひどい!悪いやつ!で話を終えるのはあまりに芸がないので、バレンタイン伝説が生まれたこの時代について少し深堀してみようと思います。

 そもそもこの逸話はあくまで俗説である可能性が非常に高く、聖ウァレンティヌスについても複数の人物の事績がごちゃ混ぜになっているようです。

カオス極まる軍人皇帝時代

 クラウディウス2世の生きたローマ帝国は後に軍人皇帝時代と言われたカオスな時代でした。どれくらいカオスだったかというと、235年から284年の約50年の間に26人の皇帝が誕生し、そのうち天寿を全うしたのは2名のみいうカオス具合です。
 元々ローマは共和制の頃から強さを尊ぶ戦闘民族的国家で、その巨大さ故に多くの国境紛争を抱えていました。初代皇帝・アウグストゥスの時代は巨大ながらも強固な防衛線の構築に成功し、国内は安定していました。しかし、五賢帝の一人・トラヤヌスの時代にローマ帝国の領域が最大となって以降は次第にその長大な国境に火種を抱えていくこととなります。
 235年に当時のローマ皇帝アレクサンデルは軍縮や融和的な外交政策を執っていたため、軍部の反発を招いてしまいます。そしてついに軍部は皇帝アレクサンデルを暗殺してしまいます。そして、ローマの元老院や民衆はこの軍部の行いを容認してしまったため、軍部が勝手に皇帝を廃位させたり退位させたりする時代が到来します。つまり軍人皇帝時代の始まりです。

成り上がり皇帝

 軍人皇帝時代は軍部の支持を得た人物が次々と皇帝となっていきます。クラウディウス2世もその一人で、元々の身分は低かったようですが数々の戦線で戦果を挙げ続けて皇帝にまで上り詰めた人物です。
 意外に思う人もいるかもしれませんが、ローマ皇帝は必ず世襲により継承された訳ではありません。それ故に低い身分からの成り上がり皇帝は何人もいました。
 ちなみにクラウディウス2世とありますが、クラウディウス1世は2世より200年以上前の人物で血縁関係は全くありません。


 当時の皇帝ガッリエヌスは軍人と文官を分離するなどして国内の改革に臨んだ人物でしたが、軍部と元老院双方の反発を招いたため近衛軍団に殺害されてしまいました。ガッリエヌスの死後、その混乱を収めたクラウディウス2世が皇帝として即位します。

 即位後もクラウディウス2世は各地で戦功を挙げ続け、ローマに安寧をもたらすかと思われましたが、即位しておよそ2年ほどで病死してしまいます。軍人皇帝時代では非常に稀な自然死した皇帝です。

 個人的にはその経歴が常に戦場にあったクラウディウス2世が兵士の反発を招くような命令をわざわざ出すかなという気がします。もちろん軍の利権を制限する動きを見せた軍人皇帝も存在いたので100パーセントあり得ないとも言い切れませんが。

最後の大弾圧とミラノ勅令


最大最後の大迫害を行ったディオクレティアヌス

 一方で、この時代はキリスト教徒に対する風当たりは非常に不安定なものでした。クラウディウス2世の2代前のウァレリアヌスはキリスト教徒に対して迫害を行い、逆にウァレリアヌスの子・ガッリエヌスは寛容な政策をとりました。
 そして、クラウディウス2世が世を去ってから14年後・284年に即位したディオクレティアヌスはその才覚とリーダーシップで軍人皇帝時代を終わらせるとともに、キリスト教徒に対して最後にして最大と言われる大迫害を敢行しました。この大迫害では多くのキリスト教徒が命を落としたといわれています。
 クラウディウス2世と聖ウァレンティヌスが生きた時代はウァレリアヌスとディオクレティアヌスという2つの大迫害のちょうど中間にあたる時期です。
 313年、コンスタンティヌスによって発せられたミラノ勅令によってキリスト教は公認され、弾圧と殉教の時代は幕を閉じます。

 バレンタイン伝説の通りの出来事があったかは定かではありませんが、多くのキリスト教徒が信仰にその命を捧げていった時代であることに間違いはありません。
 多くの殉教者が守り続けた信仰の火は、本来どのような形で伝えられてきたかはわからなくなったかもしれませんが、今でも多くの人々の心を照らし、温め続けています。

岡山県美作市のバレンタインパーク作東