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手抜きの練習をしましょう

ついさっき、大学のレポートを1本仕上げて提出しました。ほっとした? いいえ。不安で不安で、胸がドキドキしています。じゃあ、何がそんなに不安なのか? レポートが完璧じゃないことが不安なんです。

科目は「健康障害と看護I」。主に手術を受ける患者さんに対する看護方法を学ぶ科目です。で、今回のレポートのお題は「術中期(手術室で手術を受ける期間)の看護師の役割を説明しなさい」というもの。ついでに「参考文献を用いて自分の考えを述べなさい」という但し書きもついています。

そりゃもう、言われた通りに書きましたよ。術中期の看護に関する動画を見て、メモをとって、「手術室看護師の役割」と題された論文を2本読んでから、看護師の役割をA42枚にまとめて、自分の考えも書きました。誤字脱字がないか、言い回しに不自然なところはないか、自分の考えと論文の主張が区別されているか、学籍番号と氏名が間違っていないか、何度も何度もなーんども確認しました。パソコンの画面を見つめすぎて目がしょぼしょぼするくらいに。その度に「学籍番号が間違っていたらどうしよう」とか「参考文献を誤って消してしまっていたらどうしよう」とか強迫的な考えがまとわりついてくるので、1カ所修正するたびに保存ボタンを押して、うっかりミスがないように万全を期しました。

そこまでして完成させたのなら、普通は何も考えずに提出して「ヤッホー! 終わったぜ」となるはずです。でも、わたしはそうじゃないんです。「あそこの説明が雑な気がするから、もう少し丁寧に解説するべきじゃないか」「論文の引用箇所が少ないから、もっと論文を読み込んで書き足すべきじゃないか」、果ては「レポートの体裁をもっときれいに整えないと、先生に失礼じゃないか」という観念がムラムラッとわき上がってきて、押し止められなくなるんです。世間はこれを「完璧主義」と呼びます。

うつ病になる前までは、こうした観念がわき上がってくる都度、几帳面に対処していました。説明が雑な気がする、と思ったらもう一度はじめから丁寧に書き直していたんです。これはレポートに限りません。テスト勉強でも、出題範囲を網羅したノートをつくって復習し、10年前の過去問に至るまで入手できるすべての過去問を解いて試験に備えていました。何事もきちんとやらなければ気がすまない、という几帳面で真面目な性格だったこともあるんですが、このときわたしを捉えていたのはもっぱら「恐怖」でした。テストで落第点をとったらどうしよう、追試験の対象になったらどうしよう、単位がとれなかったらどうしよう。怖い怖い怖い怖い怖い。

うつ病と強迫性障害になって主治医から言われたのは、「手を抜く練習をしましょう」ということでした。初めて言われたときは、「手を抜くなんて邪道だ。手を抜くなんて怠惰でやる気のない学生がやることだ」と思いました。でも、今までのようにすべてを完璧にやろうとすればいくら時間があっても足りないし、自分を追い詰めて抑うつ状態を悪化させてしまうと言われたんです。「大学の課題はできるだけ手を抜いて、6割できればよしとしましょう」と。実際にやってみると、これが意外と難しい。手を抜くのが難しいなんてバカじゃないのか、と思いますよね。わたしもそう思います。手が抜けないなんてバカじゃないのか。でも、今までずーっと完璧を維持してきた人間にとっては、どこでどの程度力を抜けばいいのかというさじ加減がわからないんです。力を抜きすぎて、かえって標準以下になっているんじゃないかという怖さがあります。そして何より、完璧じゃないレポートを出したりしたら評価が下がるんじゃないか、という恐怖もつきまといます。冒頭のレポートがまさにそうです。まだ手を加える余地がある(と思われる)のに、そんな中途半端な状態で提出したらどうなるの!(悲鳴)。

主治医のねらいはたぶんそこにあるんだと思います。手抜きレポートを提出してみて、実際には恐れていたような事態(単位を落とす)が起きないことを実感すること。手を抜いても、完璧じゃなくても最悪の事態には至らないことを知ること。幸いなことに、わたしには手抜きを実行するための強力な後ろ盾があります。先日、大学のクラス顧問から近況を尋ねるメールがきました。わたしが精神疾患になって大学を休学し、途中で休学を延長してから復学するまで、ずっと見守ってくれている先生です。メールの返信に「医師から手を抜くように言われました」と打ち明けたところ、先生は「手抜きの学習、大賛成です」と言ってくださいました。大学の先生が「手抜き賛成」なんて言ってくれるとはつゆほども思っていなかったので、ちょっとしたショックでした。そして「完璧を目指すことは素晴らしいことですが、疲れちゃいますからね」としたうえで、「具体的な手抜きレベルは同級生が教えてくれますよ」とも。今やわたしの手抜きプロジェクトには、大学の先生からのお墨付きが与えられています。

だったら、胸を張って手を抜こう! といきたいところですが、長年積み重ねてきた習慣を変えることは簡単ではありません。わたしの場合、長年の完璧主義が身にしみているので、今さら「手を抜け」と言われてもすぐには手を抜けません。でもまあ、手を抜いても大丈夫という成功体験を少しずつ積み上げることで、完璧主義は少しずつからだから抜けていくのかなと思います。こればっかりは、気長にやってみないとわかりません。

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