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学校に殺されないために作戦を立てる

4月8日から新学期が始まります。

わたしは(3回目の)2年生。2018年に入学したので、本来であれば4年生のはずです。でも、そんなことはどうでもいいんです。大事なのは、わたしが自死せずにまだ生きているということだから。

新学期を迎えるにあたって、作戦を立てることにしました。題して、「大学に殺されない作戦」です。キャッチコピーとしては失格ですが、大衆のウケをねらうことが目的ではないので、あくまで愚直に作戦名をつけました。

実は4月早々に、大学のメンタルヘルス相談室に行ってきました。自殺念慮が強くて困っていることを精神科医の先生に相談するためです。ドクターは時間をかけてじっくり話を聞いたあとに、こう言いました。集中力の低下といったうつ病の中核症状は抗うつ薬を服用することで改善できるけれど、心理反応としての自殺念慮については別のアプローチが必要だ。どういうことかというと、今の君はあまりに多くの不安や恐怖に捉えられて身動きがとれなくなっている。そのせいで、いっそ死んで楽になりたい、ここから消えてしまいたいと思うようになっているんだ。自殺念慮を解決するためには、抱えている問題を一つひとつ丁寧に解きほぐして、交通整理をすることが必要なんだよ。

へえ、そうなんだ。善は急げと言うし、さっそくこのアドバイスをもとに不安の交通整理というか、問題の棚卸しをしてみようと思います。その上で内容を分析して、具体的な作戦を立てることにします。あの、改めて言うことでもないかもしれないけれど、この文章はわたしが自分の考えを整理するために書いてます。だから、興味ないなーって方は読み飛ばしてくださいね。

問題1

「休むな、怠けるな、勉強しろ」とプレッシャーをかけてくる教授がいる。彼女の要求に応えようと全力で努力してきたけれど、疲れてしまった。もうついていけないし、これ以上頑張れない。

[ 分析 ]
そもそも、なぜ教員が「勉強しろ」と口を酸っぱくして言うのか考えてみよう。学生が自発的に勉強に励んでいるのであれば、わざわざこんな言葉は口にしないはずだよね?  ということは、この学部の学生は(一部に真面目な学生がいるものの)「勉強しろ」と言われないと勉強できない人が多いことを示唆しているんじゃないのかな。つまり、「勉強しろ」という教員の言葉は「人に言われないと勉強できない不真面目な学生」に向けて発せられていると言えるよね。

[ 作戦 ]
自発的に勉強できるわたしにとって「勉強しろ」は不要な言葉。聞き流そう。

問題2

学生を指名して、みんなの面前で質問攻めにする「圧迫面接官タイプ」の准教授がいる。彼女の威圧的な態度に恐怖を感じる。

[ 分析 ]
この教員の言動を見ていると、「あぁ、彼女は圧迫している自分に酔っているんだろうな」と思わされることが多い。矢継ぎ早に質問をくり出して、相手を圧倒している自分は「やり手」で、そんな自分が大好き。あるいは、自信のなさを見かけのパワーでカバーしようとしているのかもしれない。たしか、臨床で働いたのは6年だと本人が言っていた。たったの6年。社会人学生の中には看護師として10年近く働いた経験を持つ人もいるから、そうした学生と比べて臨床経験の乏しい自分に引け目を感じているのかもしれない。いずれにしろ、圧迫面接式の教育は時代錯誤だし、学生を萎縮させて冷静に思考する余裕を与えないという点で、百害あって一利なし。

[ 作戦 ]
一呼吸おいてから、質問の意図を聞き返そう。そして、淡々と、慌てず、理路整然と自分の見解を述べよう。萎縮した姿を見せてはいけないし(そんなことしたら相手の思うツボ)、決して相手と同じ土俵に立ってはいけない。

問題3

「みなさんの先輩で学長表彰もされたAさんは、保健師として就職し、1年目から独自の企画を展開して活躍しています。あなたたちも先輩を見習って努力しなさい」と、優秀な先輩を引き合いに出してハッパをかけてくる教授がいる。うっとうしい。

[ 分析 ]
「息子が東〇大学に合格した」「娘が財〇省に勤める人と結婚した」と、子どもの成功をあたかも自分のことのように自慢してくる親戚のおばさんと同じパターンだね、これは。他人の成果を自分の成果にすり替えるタイプと言えばいいのかな。残念ながら、この教員にとって優秀な学生というのは「こんなにできる人材を育てた」という自己満足を高めるためのコマでしかない。その証拠に、彼/彼女が優秀でいる間は周囲に自慢してまわるけれど、病気(特に精神疾患)や離職によって「キズモノ」になったとたん、二度と話題にしなくなる。「うちの子、結婚したの」と言う親は多いけれど、「うちの子、離婚したの」なんて言いふらす親はいないように。

[ 作戦 ]
相手にしなくていい。「あぁ、自慢したいんだな。そこまでして自尊心を満たしたいのか」と思って聞き流せばいい。

問題4

「本学部は国立大学唯一の看護学部です。科学研究費補助金の採択率も全国平均を大きく上回っています」と、この学部がいかに特別なのかをことあるごとに説いてくる教授がいる。プライドが高くエリート意識むき出しの彼女に、わたしは息苦しさを感じる。

[ 分析 ] 
あのね、この大学が看護系大学の草分け的な存在であることはわたしも十分理解していますよ。でも、なぜそれがエリート意識につながるのか、いまいち理解できません。世間一般の感覚からしたら、「国立大学唯一の看護学部」ってそんなにすごいことでもないと思うんだよね。なぜそこまで「国立大学唯一」に固執するんだろう。これはあくまで推測だけど、おそらくライバル視している大学(聖○加国際大学とかね)があって、あそこには負けたくないっていう競争心があるのかもしれない。あるいは、看護系大学や専門学校の教員を多数輩出しているから、自分たちが日本の看護学研究をリードしているっていう自負があるのかもしれない。

[ 作戦 ]
「国立大学唯一のなんたらかんたら」っていう発言は、身内にしか通じないジョークみたいなもの。意味不明だし、そもそも大した意味もないので軽くあしらっておけばいい。「あぁ、また言ってるよ。せいぜい頑張ってね」と傍観すればいい。

問題5

授業中に大声で怒鳴る准教授がいる。彼の怒声がわたしには大きなストレスになっている。彼の姿を目にするたびに恐怖を感じる。

[ 分析 ]
自分の思い通りにならずにキレる子どもと同レベル。人格的に優れ、指導力があり、理性を備えた大人はそんなことしません。

[ 作戦 ]
耳栓。

大事なのは自分の立ち位置を理解すること

さて、ここまで5つの問題について整理してきました。書き出してみて初めて、「わたしはくだらない問題で悩んでいたんだなぁ」ということに気づかされました。なんか、今さらという感じもするけれど。相談室の先生にも言われたことだけど、もうちょっと肩の力を抜いてラフに生きたほうがいいのかもしれません。

ということで、新学期からこれら5つの作戦にのっとって行動してみようと思います。あと、最後にひとつだけ。大事なことを思いついたので、メモしておきます。

それは、自分の立ち位置を理解することが大切、ということ。この大学の教員は、未来の看護管理者や研究者や教育者を養成するという方針に基づいて、学生にバシバシ気合を入れてきます。でも、ちょっと待って。わたしは将来、研究者や教育者になりたいんだっけ? 答えは「ノー」。学者や教授だなんて、たいそうな者になるつもりはありません。わたしは自分の特性を活かして、目の前の対象者に看護を提供し、彼/彼女が自分らしい人生を送ることを少しでも後押しできたら、それで満足です。自分ができることを、できる範囲でやれれば十分です。ミツバチが蜜を運ぶように。イネが稲穂をつけるように。やるべきことを、やれる範囲でなせばいい。

そう考えると、必然的にやるべきことが見えてきます。わたしのやるべきことは3つだけ。卒業に必要な単位を取ること、医療機関から内定をもらうこと、そして国家試験に合格することです。

というわけで、今年度は肩の力を抜いて、やるべきことに集中しようと思います。威圧的な教員の言葉を真に受けて、必要以上に頑張ることはやめます。大学の方針に適合できないと思い悩むことはやめます。自分に必要のない言葉は聞き流します。そうして、軽やかに生きてみようと思います。

うまくいくといいんだけど。

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