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淀みにはまる

今わたしはどこにも進むことのできない場所にいる。

会社は辞めてしまった。大学も精神疾患にかかって1年休学してしまった。4月に復学を控えているものの、看護師になりたいという気持ちはすっかり萎えてしまった。かといって、他にやりたいこともない。後戻りもできなければ、前に進むこともおぼつかない。わたしが立っているのはそんな「淀み」だ。流れが阻害された場所。あらゆる活動が停滞している場所。

自分の人生が淀んでいると感じるのはこれが初めてだ。病気になるまでは常にやりたいこと(やるべきこと)があったし、目標に向かってぐんぐん前進しては新しいステージを切り開いてきた。精神疾患になって目標を失った今は、完全に淀みにはまり込んでしまった気がする。

淀みにはまるというのはすごく気持ちの悪いものだ。「ああ、わたしはこれからどうなるんだろう」という不安定で真っ暗な感情がどっとわきあがってくると同時に、冷静で客観的な思考が麻痺してしまう。そのうえ、夢や希望やモチベーションにあふれた人間にまわりを取り囲まれると、ほとんど絶望的ともいえる気持ちになる。実際、わたしの周囲はキラキラした人たちでいっぱいだ。看護師になりたいという夢を叶えるために勉強と実習に励む20代のクラスメイトや、出産してかわいい我が子を授かったことを「私事ですが」というさりげない前置きとともに写真付きで報告してくる30代のママたち。彼女たちが持っている夢や既婚・子持ちというステータスを所有していないどころか、おそらくこの先も所有する見込みのないわたしはこういった光景を見るにつけ、ますます隔絶された空間に閉じ込められているような気持ちになってしまう。

ひとつ前のnoteに生きているだけで十分だなんて書き込んだわりに、生きていることすら苦しくなっているのは情けないことだと思う。たぶん、歳をとって人生の最期を迎えたときにこの時期を振り返れば、「あの時は大変だった」の一言で済んでしまうんだろうなと思う。でも、「今まさにこの瞬間」を生きているわたしにとって、苦しいものは苦しいし、とても「大変」の一言では言い表せないくらい悩んで、悶えて、怯えている。

淀みにはまった時に人はどう生きたらいいんだろう、と思う。絶望の末に自分を傷つけたり、はたまた自らの命を絶ってしまうことなく、この瞬間をやり過ごすにはどうすればいいんだろう。

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