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公園愛護会のはじまり。急速に整備された小さな公園の管理が限界になって生まれた、住民参加の公園づくり。

先週書いた、公園の養子縁組「アダプト・プログラム」は、深刻なゴミ問題から端を発した環境美化制度でした。公園愛護会はなぜできた?きっかけや制度のできた背景、なりたちについて調べてみました。

土地区画整理によって生まれた大量の小さな公園

急速に住宅などの整備が進んだ、戦後の復興期。そして、その後の高度経済成長期。土地区画整理によって、たくさんの住宅が生まれると同時に、たくさんの小さな公園が生まれました。

それは、大規模な住宅開発をする際に一定の割合(開発面積の3%や6%)以上の面積を公園にしなければならないという法律や、様々な都市計画の中での出来事だったことと思います。

日本ではじめに公園愛護会制度が発足したのは昭和36年(1961年)。人類で初めて宇宙に行ったガガーリンが「地球は青かった」という名台詞を生み、日本ではNHKの朝ドラが始まった年。

横浜市では当時、戦災復興による土地区画整理によって年間20〜30の児童公園が開園されたそう。しかし、これに対応する人員もない、予算も少ない、管理業務はパンパン。破損も多く、住民からは相次ぐ苦情。もういろいろなことが限界に達してしまったようです。

市が地域住民の力を必要として、公園愛護会を結成

そんな中、市内ですでに活動をしていた道路愛護会を参考に、公園愛護会を結成を立案(道の愛護会のが古いのか!)。

地域に密着した児童公園。基本的な整備改修は市で行うとしても、日常の清掃・除草 ・小破修繕は地域住民に行なってもらおうと、市の公園課と区役所市民課が協力して住民に呼びかけたのが、始まりだそうです。(当時は小さな修繕まで住民がやっていたって町のおじさんのDIYレベル高し!)

同じ年に公園愛護会制度をスタートさせている京都市でも、昭和36年当時、土地区画整理によってつくられた公園の管理に問題が生まれ、地域の住民に協力を要請して公園愛護会結成に至ったんだとか。

参考:都市公園の管理体制についての研究 ー特に、公園愛護会の発症と現状の調査分析ー 金子忠一・内山正雄 1983

公園をつくるときに、愛護会もつくる

このように60年も前に始まった公園愛護会制度。制度化される前からも、住民が公園の管理をしたという事例は、全国のあちこちであったようです。(小・中学生が学校区の複数の公園をみる大分の当番制少年管理人という興味深い例も!)

その後、全国的に広がった公園愛護会という制度。その成り立ちからも、町内会が主な活動基盤になっていて、今も多くは町内会が担っているけれど、その町内会という仕組み自体も高齢化と担い手不足でギリギリになってきている現代。当番組んで、義務感で回していくというのは、辛く苦しい労働に他ならないし、つまらない。好きな人が集まって、工夫しながら楽しくやっていく、というスタイルが、これからのカギになってくるんじゃないかと思う。自分の暮らすまちに、自分から関わる面白さ。

そして、横浜市の話を聞いてみると、新しく公園をつくるとき、愛護会づくりも同時に始まっているんだとか。公園を整備する前から、住民説明会や様々なワークショップ開催を通して、地域の人たちとの繋がりは始まっていて、公園をつくりながら、それを一緒に守り育てていく地域の人=愛護会の呼びかけも行なっているそう。つくる時から関わったら、それは絶対面白い。

地域の公園を愛して一緒に守っている人たちが日本中にたくさんいて、今日もあちこちで活動しているって、すごくいいことだなあと思うのでした。

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