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読書記録「不登校は文化の森の入口」。受け入れられた実感と体調の変化。

ガレットです。このnoteのID(URL)のスペルミスが発覚してちょっとショックです笑。笑いの種にしていこうと思います。小さなガレットって優しさとか丸さとか甘さとか包み込むところとか、いいなって思ってつけたんです。そば粉のガレットもあるし、焼き菓子のガレットもありますよね。丸く焼いたものの総称だと思っているのですが合っていますか?間違ったフランス語、putit_galette、これからもよろしくお願いします笑。

本題です。

不登校は文化の森の入口/渡辺位著 2006.11.15発行 東京シューレ出版

本書は元児童精神科医である渡辺位氏による1999年~2005年の講演録を編集・構成されたものです。5講演分が収録されています。

全く古く感じません。不登校を切り口に、教育って何だろう、社会って何だろう、生きるって何だろうと考えさせられる一冊です。不登校に関わっている特に大人の皆さんには是非とも読んでいただきたいですし、不登校に限らず、”自分はこうあらねばならない”と自分の首を絞めている方にも一助となる本だと思います。

渡辺氏がおっしゃっているポイントは4つかと思います。

・物事は理屈通りにはいかない

学校教育は皆同じ尺度と枠組みの中に子どもを押し込み、到達目標に近づけ、評価する。国にとって都合のいい人間作りの場になってしまっている。ゴールを先に作ってその通りにしようとしても決まった通りにならなくて当然。

・大人から子どもへの一方向的な関係性

社会、親、家庭が学校化してしまっている。学校に行くのが当たり前、子どもは学校で育つ、学校に行かないと世間体が悪いなど常識や建前、理屈を子どもの状況を無視して押し付けている。子どもと大人とでは不登校の認識にズレがある。

・行動の裏にある自責の念

不登校などに悩む子どもは自責の念がとても強い。死にたい、消えたいなど存在価値を感じられなくなっている。そこに大人からの否定も加わるので余計本人は苦しくなり、+αの症状・行動も出てくる。

・個の在りようを無視してはいけない

子どもはそれぞれ主体性を持った”ナマモノ”である。ひとり一人に合った保存方法、つまり生き方、環境があって当然である。学校に行かないことを大人が問題視するから問題となる。

本書を読んでいかに自分の中に”枠に当てはめようとする思い込み”があるか思い知らされました。今の自分に対してもそうですし、”不登校とはこういうものである”なんていう固定概念があることにも気づかされました。今気が付けたことがとてもラッキーだと思います。支援の道に進むとき、自分の思い込みの不登校の枠から外れた子には真剣に向き合うことができなかったでしょう。「学校へ行くもの」という枠にはめられ不登校に苦しんだ経験があるにも関わらず、勝手に作り上げた枠に当てはめる側になるところだったのです。

常識や世間体の”こうあるべき”という枠から解放して何事も捉える視点を持ちたいと思いました。私は物事を良し悪しで考えがちな癖があります。良いでも悪いでもない捉え方も自分なりに受け止められるようになってきたと思っていましたが、まだまだのようです。

そして本書は私のもう一つの面からも助けになりました。前回触れた”疲れ”がとれたのです。

疲れと言っていたのは動きにくさのことです。何かしようと思っても思うように体が動かない、腰がものすごく重い。数か月ぶりに作業所へも行きたくないなあという気持ちが出てきていました。(幸い行けていましたが。)ところが本書を読み始めてからすっと動けるように戻ったのです。それは本書が不登校という多くの人がどうにか治そうとする事象に対して、苦しんでいる本人への受容で溢れているからだと思います。不登校をただ見つめる、認める。不登校の対応に関して、ハウツーはないと本書では断言されています。親子ならただひたすら親子すればいいとも説いています。私自身の相談に乗ってもらったわけではないけれど、そういったメッセージの一つ一つが不登校で駄目だと苦しんだ過去と、今”~しなければならない”という呪縛から解放してくれたのだと思います。

更に、本書は”主体性をもって生きる”という大きなテーマも私に与えてくれました。これについてはとことん考え抜いていこうと思います。

また自信がなくなりそうなとき、自責で動けなくなっているときに読み返したい一冊です。

長くなりましたが、読んでいただきありがとうございます(*'ω'*)

それでは、また書きに来ます!

#不登校 #元不登校 #ひきこもり #元ひきこもり #障害者

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