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母の日に想うこと

先日とある駅前で、熊本地震の募金活動を子供たちがしていたので、少し募金してきた。どうしても素通りできなかったのだ。それは、募金活動の子供たちが、ボーイスカウトだったから。

私は幼少期に、ガールスカウトに所属していた。小学校中学年くらいから、割と大人20歳くらいになるまで。でも、高校生くらいからは恥ずかしさとか、もっと他に夢中になることもあったから、籍だけおいていてあまり活動はしなかったけれど。

それもあって、ボーイスカウトとか、ガールスカウトの制服で活動している子供たちを見ると、がんばってね、ってついつい声をかけて応援したくなってしまう。私が小学生の頃は、ガールスカウトは真っ青な水兵さんみたいな恰好で、ベレー帽みたいなのをかぶっていた。週末によく駅前に立って募金活動をした。それは、アフリカの子供たちへの寄付だったり、恵まれない子供たちへの寄付が多かった記憶。とっても目立つ制服だったから、クラスの好きな子とかに見られたら次の日ちゃかされそうだから、見つかりたくないし、人前に立つのは恥ずかしいっていつも感じていた。でも、だからといって、「やらない」という選択にはならなかった。恥ずかしくても、恵まれない子たちのことを考えると、隠れながら控え目ながらも活動には参加していた。アフリカの子たちのポスターとかを見てしまうと、何か自分がしなくては、っていう気持ちが子供ながらにずっと思っていた。

募金をしてくれた方に、手作りのキーホルダー(というか刺繍糸で作ったチャーム)を渡していた。牛乳瓶の蓋と折り紙と刺繍糸で、女の子のマスコット人形みたいなのチャームを、募金活動の日に向けて、いくつもいくつも作っていた。私は工作が好きだったから、とても楽しかった記憶がある。そしてそのマスコットをもらってもらえると、とても嬉しかった記憶がある。実際は「募金の数だけ配られる」だけれど、「配った分だけ募金が入っている」という感覚が楽しかったんだと思う。牛乳瓶の蓋のチャームを作ると、アフリカの子にワクチンが届く、というなんとも言えない使命感を子供ながらに感じていたような記憶がある。

ガールスカウトでは、ナイチンゲールやマザーテレサのような精神を教えてもらった。毎回10個の掟を暗記して唱えていたし、日常から奉仕の心を持つように、と教わった気がする。私は医者でもヘルパーにもなっていないから、具体的に、実質的に、今の私に関わっているかはわからないけれど、今の「私」という人格の中には、十分備わったと思う。

そんなガールスカウトを習わせてくれたのは母だ。たぶん、兄と弟の男兄弟に囲まれていたから、女性的なものを身に着けさせたかったんだろうと思う。でも、そんなのと反対に、ボーイスカウトと合同で、火おこししたり、キャンプをしたり、けっこうサバイバル的なものをたくさん学んだ。このサバイバル精神が今の私には、十分すぎるほど備わって、女性的というよりも男っぽい性格に成長してしまった。それから、男兄弟の私に、「姉」的な存在、「妹」的な存在ができたのもガールスカウトのおかげである。大人になってからも姉妹のような関係は続いているし、この出会いは本当にこの習い事をしていたからにつきない。私の「妹」的な存在の子は、一人っ子だったから、私と本当の兄弟姉妹になりたかったみたいだし。

私は年頃から、バックパッカーで世界を旅してまわった。(今でもするけど)そしてキャンプも大好き。ちょっとした虫ではこわがらないし、自然と対峙することを身に着けた。自分であれこれ学んだわけではなく、なんとなく大人になって自分に備わっていた力。それから、私は未だに大の恥ずかしがり屋だけれど、幼少期もひどく恥ずかしがり屋だった。それでも人に興味を持ったり、「人」を好きになったり、社交的になったのは、スカウト活動があったからだと思う。

ガールスカウトには、毎年 海外のスカウトが異文化交流で来ていた。すっごく背が高かったり、肌の色が全然違うことにビックリしたり、外国人のお姉さんと触れあえる1日などの機会があった。私が異文化に興味を持つ人間で、異文化にすぐに馴染むようになったのも、こういう経験があったからだと思う。

とにかく、先日、駅前でスカウト達を見て、今の自分があるのは幼少期の習い事のおかげだったなぁとつくづく感じたのである。私の母は、あまり「勉強しなさい」と言ってこなかったと思う。あまり言われた記憶がないから。私にたくさんの習い事をさせてくれた。いろいろな体験に連れていってくれて、どれをやりたいか聞いてくれ、習わせてくれた。習字の習い事は私を筆まめにしてくれているし、絵画の習い事は私をアート好きにしてくれた。フルートを習ったおかげで、音符は読めるし、音楽の素晴らしさや、楽しみ方を知っている。剣道(あまり続かなかったけれど)は、もしかしたら日本文化を好きになるきっかけを作ってくれた習い事だったのかもしれない。

こんなに素敵な習い事をさせてくれていた母に、とっても感謝している。母はとってもセンスのある育て方をしてくれた気がする。私の母って最高だなー!って思った。これからもずっとずっと感謝して母を愛していきたい。これが母の日に想うこと。

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