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ショートショート ぶらんケット|ピーター・モリソン

5分で読める、フェチズムショートショートです。
※フェチズムに耐性及び理解のない方は、読むことをお勧めしません。


 ぶらんケット


 以前、ぶらんケットという商品が結構売れた。

 今でもオークションや転売サイトで探せば手に入れられる。

 つかい方は簡単で、椅子に腰掛け、ぶらんケットを膝にかける、ただそれだけ。

 少し待てば、布で覆われた両足がプールと呼ばれている仮想空間につながる。どういうことかというと、椅子に座りながら、目に見えないプールに足を浸すことが出来る。

 ただ、ぶらんと……。

 仮想空間と言ってもあなどれない。織り込まれた特殊な繊維が電極となって、神経に干渉する。心地よい水温と水圧、それらはふくらはぎを刺激して、足湯のようにむくみを解消する。さらに足を動かせば、軽い有酸素運動になって、集中力が上がるという触れ込みだった。

 発売当初よりかなり安くなったけれど、高校生の僕にはそれなりの値段だった。持っていたポイントを還元したり、物を売ったりしてお金をつくり、何とか手に入れた。

 商品が届くと、部屋に籠もり、包装を剥がした。早速ぶらんケットを膝の上に載せる。焦る気持ちを抑えながら、生地の端にある小さなパネルを操作し、起動した。

 すると、すっと床の感触が消えた。

 僕は目を見張った。

 水だ。足が水に包まれた。冷たくも熱くもない、ちょうどいい温度……。力が抜け、開放感に包まれていく。水面に浮かぶアヒルのように、すいすいと足を動かす。

 これいい。

 気を良くした僕は、早速、受験勉強に取りかかった。

 つかい心地は文句なかった。自分の中で評価が上がるにつれ、ぶらんケットのことをもっと知りたくなった。勉強の合間に、ユーザーレビューに目を通していると、ふと、とある記事に目が止まった。

 それは重大なバグの報告だった。詳しく読んでいくと、こうある。

 仮想空間の混線事例。簡単に言うと、隔離されているユーザー固有のプールが結合されてしまうというもの。その際には様々な動作不良を同時に起こすという。

 実際にバグを体験したユーザーのレポートを見ていく。

 まず水温が変動するみたいだ。次に両足に麻痺が起こる。さらには足の感覚情報が混線して、他人の足の存在を感じてしまうようだった。

 真偽はわからない。否定するコメントもある。軽く首を傾げたものの、まあ大丈夫だろうと、たかくくった。

 僕はプールの上を漂いながら、孤独な勉強を続けることにした。




「久しぶりに、会わない?」

 カフェで待っていた先輩はすっかり大人っぽくなっていた。

 キラキラと綺麗だけれども、どこか浮ついた感じを受けた。高校生のときのイメージはもうどこにもない。私もこんな風になるのだろうか、それはそれで悩ましいと、他人事のように思った。

「受験勉強、がんばってる?」

 先輩は去年、私の志望校に合格していた。

「これ、部屋に置いておけなくなって。……よかったらつかって。はかどるよ」

 紙袋の中を覗き込むと、折り畳まれたぶらんケットが入っていた。その存在は知っていたが、特に何の感情も湧いてこなかった。

「ありがとうございます」

 そのあと、何一つ共感できない先輩の話を延々と聞かされ、やっと解放された。

 部屋に戻ると、ベッドに転がり、ため息をついた。勉強しなきゃ、天井を眺めながらつぶやいてみる。心がざわざわとして、そんな気分にはなかなかなれない。

 ……だけど。

 顔を両手でぱちんと叩き、無理矢理机に向かわせる。

 やろう。

 とはいえ、やっぱり調子が出ない。時計をちらりとちらりと何度も見てしまう。少し冷え込んできて、身体が強張ってきた。足先を擦り合わせる。

 部屋の隅に置いた紙袋が、実はずっと気になっていた。……つかってみる? そう思ったら、もう立ち上がっていた。ぶらんケットを膝にかけ、起動する。

 先輩からバグについては聞かされていた。混線すると言われても、どこかぴんとこない。しかし、突然他人のプールと繋がってしまうのは困る。どんな人がつかっているかわからないし、誰かの足に触れてしまったら、やっぱり気持ちが悪い。

「そんなこと、なかったけど……」

 先輩がそう言っているのなら、きっと大丈夫か。

 私はプールの上を漂いながら、孤独な勉強を続けることにした。



 それから、一ヶ月がたった。

 いつものようにぶらんケットをつかって勉強していると、小さな異変に気がついた。ペンを持つ手を止めて、足に意識を向ける。最初、気のせいかと思ったが、確かに、つま先に冷たい流れを感じる。

 なんだろう? 今までこんなことはなかった。

 少しの間じっとして様子をうかがっていたが、それ以上は何も起こらなかった。……単に、水温が変化しただけなのか。気を取り直し、再び勉強を始めようとすると、足先に何かが触れた。

 びくっとなり、僕は動きを止めた。

 向かい合わせの距離感で、今、誰かの足に触れている。……それがわかった。

 ……もしかして混線? ……バグ。

 ど、どうする?

 つま先を気にしていると、急に足がこむら返りを起こした。混線の副反応なのか……。ふくらはぎからつま先にかけて痺れが走る。痛みに耐えかねて、足を前に差し出すと、相手の足と重なった。

 さすがに気まずさがこみ上げるが、どうすることも出来ない。

 ひどい痺れはしばらく続いたが、そのまま身を任せるしかなかった。……仕方ない、なるようになる、そう開き直った頃には痛みは徐々におさまりを見せ始めていた。それにつれて、足の裏にあるものをありありと感じられるようになった。

 その足は小さかった。

 線は細いが、子供のものじゃない。……おそらく女性の足だった。

 こんな状況で、彼女はどう思っているのだろう?



 それから、一ヶ月がたった。

 とても仲良くしていた友人とぎくしゃくした。私の何気ない一言が原因だった。受験のぴりぴりした雰囲気がそうさせたのかもしれない。もちろん、友人を傷つけるつもりは微塵もなかった。

 いつの間にか、私は一人になっていた。他人と話すのが億劫だった。また誰かを傷つけてしまうかもしれない、それなら一人の方がまだまし……。

 だけど、孤独になればなるほど、誰かと心を深く通わせたい、何かを共有したい、そういう欲求がやっぱり湧いてくる。

 また、ざわざわしてる。こんな気持ちのまま、勉強なんて続けられない。明日は試験。死にそうなくらい不安だった。

 どうしたらいい。

 わからなくなって、私はぶらんケットを膝にかけた。プールの水を感じながら、ただぼんやりとする。机の上に突っ伏して、小さい子供のように足をばたばたとさせた。

 このまま何もかも忘れてしまいたい、そう思ってみるけど、それもやっぱり本心じゃない。……とにかくやらなきゃ、そう思って問題集に手をかけようとしたとき、異変を感じ、足を止めた。

 温かい。ほんのわずかだけど、水温が上がったように感じられた。こんなことは今まで一度もなかった。

 まさか、これが混線……?

 と思った瞬間、私の両足はぐぐっと痺れ、ついには動かなくなった。

 すぐに、ぶらんケットの電源を落とそうとパネルを操作したが、ぜんぜん反応しない。生地を剥ぎ取ろうとしてみるが、それを掴んだだけで、足の痺れが激痛に変わった。

 どうすることも出来ない。

 慌てる私に追い打ちをかけるように、つま先に何かがあたった。

 びくっとなる。

 声も出ない。……やっぱり、混線してるんだ。

 どうしよう。パニックになりかけるが、実際に触られているわけじゃない、ここは仮想空間、そう何度も自分に言い聞かせた。

 落ち着け、落ち着いて。

 混線なら、きっと向こうもびっくりしているに違いない。

 ちょっとでも動かそうとすると、痺れはきつくなるが、それでも時間と共にましになってきている。このままこうしていれば、そのうちにおさまる、きっと……。

 少し落ち着きを取り戻しかけたとき、不意に足を重ねられた。

 ……でも、それは意図的なものではなくて、差し出したところにたまたま私の足があった、そんな印象を受けた。

 ごつごつとしていて大きい。

 男の人……?

 たどたどしい想像を巡らせているうちに、彼の足が動き出した。

 微妙に震えている。緊張しているのがわかった。

 え、これ、文字……?

 私の甲に、何か書いている。




 彼女の甲に文字を書いてみた。

 いろいろ考えてみたが、この状況で何を伝えるにはそれしかなかった。

〈はじめ まして〉

 はじめまして、って書かれた? また、書いた。同じ文字……。

 混線による足の痺れはだいぶ弱くなっていた。今ならぶらんケットを取り去ることも出来る。このやりとりにつき合うこともない。……けれど。

 私は彼の甲に返していた。

〈はじめ まして〉

 ……返ってきた

 親指越しに、彼の驚きが伝わってくる。その素直な反応に、私の緊張はほぐれていく。

 彼女の指の感触で放心しそうになる。けれど、話を続けないと。何を伝えよう……。そう考えあぐねていると、彼女の指がまた動き出した。

〈あした しけん〉

 私は無意識のうちに、そう書いていた。自分でも驚く。見ず知らずの人にこんなことを伝えても、どうなるものでもないのに……。指先が動く。

〈ふあん で……〉

〈ぼくも じゅけんだ〉

 嘘でしょ。同じ受験生?

〈おなじ わたしも〉

 私の足は心の言葉を置き換えた。指先が彼の肌の上を滑っていく。目蓋をぐっと閉じて、口に出来ない想いをしたためた

〈……もう べんきょう したくない〉

〈わかる〉

 そう伝えると、彼女の方から足を重ねてきた。その形をさらに感じる。きっと繊細で綺麗な形をしている。心臓が高鳴るのを感じつつ、僕は想いを伝えた。

〈だけど あきらめないで〉

〈そう だね〉

 私もそう返す。ここまで続けてきたんだ。あと、もう少し。

 彼を応援したいけど、いい言葉が見当たらない。

〈じゅけん おわったら……〉

 そこまで書いて、私は指を止めた。

 次に書かれる文字を、僕はじっと待っていた。

 この人と会いたいの? 会って、どうしたいんだろう。受験生、ただそれしかわからないのに……。

 彼女の沈黙が心に染みた。心と心が繋がれたようなのに、何も伝えられない。切ない気持ちで胸がいっぱいになる。

〈がんばって〉

〈うん がんばって〉

 僕らは握手をするように、両足で互いの足を挟み込んだ。

 ずいぶんと長い間そうしていたが、やがてどちらかともなく距離を取り、最後の文字を送りあった。

〈ばいばい〉

〈ばいばい〉



 あれだけ不安だった気持ちが、すっと遠のいていた。

 そのせいか、試験も落ち着いて臨めたし、結果合格することも出来た。もしあの出会いがなかったら、きっと何も手につかず失敗していただろう。

 最近、そのことをよく考える。

 大学生活がスタートしたが、慣れないことばかりで、楽しむような余裕は私にはなかった。あこがれと幻滅が入り交じった毎日、それについていくことだけに、ただ必死だった。

 四月が終わる頃、複数のサークルが主催する新人歓迎会に誘われた。そういったにぎやかな雰囲気はちょっと苦手だったけれど、良くしてくれる先輩の誘いだったし、参加してみることにした。

 広い居酒屋の隅の席に腰掛けて、回ってきた自己紹介を何とかこなした。年齢的にもお酒は飲めなかったので、盛り上がっていく周囲のテンションについて行けず、少しずつ取り残されていった。

 ぬるくなったジュースを口にして、ため息をつく。

 一人、うつむいて、昨日買ったばかりのスカートの柄を見つめていた。




 トイレから帰ってくると、席を先輩に取られていた。

 話し込んでいる先輩に気づかれないように、自分のグラスだけを掴み、僕は空いているところを探した。

 辺りを見回しているうちに、ふと顔を上げた女の子と目が合った。その前がちょうど空いていたので近づいていく。

「席を取られちゃって。ここ、いいですか?」

「どうぞ」

 僕はぎこちなく、彼女とグラスを合わせた。

「……一年ですか?」

「一年です」

 同学年とわかると、すんなり打ち解けた。妙な連帯感を共有しつつ、大学やバイトの情報交換したあと、話題は高校時代の頃の話になった。

「かなり受験勉強をしたんだ。結構、成績がやばかったら」

「私も。ここに入りたかったから、がんばった」

「でも、なかなか集中出来なくて、変な器具に頼ったんだ」

「……変な器具?」

「知ってる? ……ぶらんケット」

 僕がそう言うと、彼女は目を見張った。

「私もつかってた。……先輩からもらって」

「え、そうなんだ。……あれって、バグがあるって知ってた? ときどき混線してさ……」

「知っている」

「実は混線したことが、一回あった」

「……嘘っ」

「嘘じゃないよ。……どうしたの?」

 彼女は急に顔を強張らせた。

「私も一度混線したことがあって。足があたったの。……受験生の男の子だった」

「……僕も。受験生の女の子で、明日、試験だって。それも同じだなって……」

 そこまで話すと、僕らはしばらく沈黙した。

「え、どうしよう?」

 彼女のつぶやきは、僕に向けられたものなのか、自分自身に向けられたものなのか、よくわからなかった。

 あの日の会話をもう一度思い出してみたが、他に手がかりになりそうなことは何もなかった。

「……こんな偶然ってあるのかな」

 思い詰めたように、彼女は僕に迫ってきた。

「確かめて、いい?」

「うん、僕も知りたい」

「やっぱり、脱いだ方がいいよね?」

 彼女は口に手を当て、小声で言った。

 少し離れたテーブルで、先輩たちが大声でふざけ始めた。

 そちらへ目が向いたのをいいことに、僕らはごそごそと靴下を脱いだ。もちろん、周りには気づかれないように。

「目を閉じよう。その方がいいと思う」

 ゆっくりと右足を前へ伸ばしていき、彼女のつま先に触れた瞬間、あの日の夜が甦った。

 プールの水が満ちてきて、僕らの心を包んでいった。不安だった気持ち、交わされた文字と文字。温まる気持ち。もうそれで、十分だった。

 彼女の親指が動き出す。

〈ごうかく おめでとう〉

 感謝の想いを噛みしめながら、僕も指を動かす。

〈おめでとう〉

 どちらからともなく足を重ねた。

 歓迎会の喧噪が遠のいていく。

 僕らはテーブルの下で、心を寄せ合った。

 瞳を閉じたまま、ただ密やかに。


〈了〉

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