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私が文章を書く理由/思考と感情の記録

文章は時として、「そこに何が書いてあるのか」ということよりも、「誰が書いているのか」ということの方が重要なのではないか、と感じることがあります。

私は、「頭の中を覗いてみたい」と感じる人に時々出会います。
そんな人が書く文章を読む際には、そこに「どんなことが書いてあるのか」よりも、「誰が書いた文章であるか」に興味を抱いているのではないかと、なんとなく思ったりもするのです。 
魅力的な文章が人を引き込むこともあれば、魅力的な人物像が文章へと人を引き込むこともあるのだなと。

人は皆、心や頭に、さまざまな思いや考えを抱きながら日々を生きています。私も、生きています。

私は言葉や文章に触れることが好きだし、書くことも好きだと思います。
ですが、沢山の人に面白いと思ってもらえる文章が書ける自信はありませんし、書きたいとも思っていません。それなのにどうして、わざわざ人目に触れる場所に自分の文章を残そうと思ったのか、自分でも不思議です。

これまでは、誰にも公開していない場所に自分の感じたことや考えたことを記録していました。
短くまとまりそうで、なんとなく誰かに見てほしくなったことは時々twitterに投稿しました。心のどこかで、誰かに自分をわかってほしい・共感してほしいのかもしれません。

言葉は、文章は、人の心をできるだけ近い"形"で記録しておくための最良手段であると私は思います。

私は、自分の思考や感情が時の流れのなかで次々と失われていってしまうことが怖いです。失われたことすら忘れてしまうのも、とても怖いです。
だから、記録しておきたいのだと思います。

思考や感情は秒単位で更新されていくものであると思うし、たとえ失われても、新たな思考と感情は次々に生まれます。それでも私は、一瞬でも自分の中に居た誰かを、失いたくはありません。

人生は途切れることのないレールであると、時々考えます。私は、私という名の列車に乗って、どこまでもどこまでも走り続けます。
今どこを走っているのか、これからどこに向かうのか、それも勿論大切ですが、
今までにどこを走り、どのような人と出会い、どのように感じ、考えてきたのかということは、もっと大切なのではないかと思います。

人の記憶はとても曖昧です。
それは、良くもあり、悪くもあることだと思います。 

人は嫌なことを忘れる力を持っています。
ですが、忘れたくないことも忘れてしまう可能性も、持っています。

私の中にある全ての思考や感情を言葉として記録しておくことは難しいかもしれません。日々誕生し、変容し、消滅していくからです。

なので私は、できる限り多くの思いを、考えを、文章という形で残しておきたいと思います。

形のないものに無理矢理形を与えて、私の中に繋ぎとめておきたいです。
形のないものを、失うのが怖いのだと思います。

これが、今のところの私が文章を書く理由です。

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