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重力にしたがって下りつづける私たちへ

上から下へ。
それが地上の法則だ。

木からはなれたりんごが落ち、飛んでいた鳥は落ち、
繋いでいたその手が落ち、自分の心も落ち。

りんごは落ちたら、拾い集める。
どこで見たのかも忘れてしまった、
紙袋からりんごがこぼれ出すシーンを思い出す。
りんごの持ち主が急いで拾い集め、周りの人も拾い出す。

そしてその人は袋に入れたりんごを家に持ち帰る。

そのように、持っていたものを離したら落ちるのだ。
つかれたら腕が下がって落ちることもあるけど、
そのたび、拾えばいいのだ。

春、花が咲くのとは相反するように、
自分の心が落ちていくことを感じる。

花が落ち、葉が落ちるよりも早いのか遅いのか。
わからないけどとにかく春はどうがんばっても心が落ちる。

落ちていくのって残念なことだと思ってしまう自分がいるけれど、
そりゃ、なにもしなければ落ちるんじゃないんだろうか。
見えるものすべてが重力に従うがごとく。

落ちた自分の心をそのままにしておくなら、
転がって地面をどこまでもいくかもしれない。
重すぎて重すぎてすこし持ち上げにくいなら、
せめてあたたかくて柔らかいところまで転がしていけばいい。

自分一人では間に合わなくて、
ころげ落ちてもう今にも車道にとび出しそうなら、
知らぬ人の手、知る人の手を借りてもいい。

自分もまた、
その人の心を拾うお手伝いをするときがくるだろうから。
もし助けてもらうのが苦手なら、
そのいつかくる未来を予約しておいて、ツケにしておくのだ。

その手を借りる相手が神さまなら、
一番早くに一番高いところまで軽々と持ち上げてくれる。
すごく高いところにいて、人の一番近いところにいるから。

上がり続けるには、たのしく歩きだすには、
重力に逆らう工夫が必要なときがある。

逆境に向き合う人は、見ていて生命力がある。
下から上に、向かい風に向かい、
押し流される流れに逆らいあがらう人が
すごくかっこよく感じるときがありませんか。

自分の目玉から見た視界は苦くて色のない世界だとしても、
天へ、希望へ向かう姿は他のだれかにとって、
だれも知らない小さな島から
宇宙へ飛び立つロケットのように、たくましく美しい。


どのようにすれば「ころころ変わる考え」をちゃんと治められるだろうか。服を床に置いたら踏まれる。<考え>もそうだ。
服を「ハンガー」に掛けておくように、
脳と考えを「全能なる神様と聖霊様と御子」に、
「主」に掛けておいて、生活しなさい。

鄭明析牧師の御言葉より