【映画の中の詩】『悪魔が夜来る』(1942)
「戦争に立ち向かえる唯一の映画、それは恋愛映画だ」(ジャック・プレヴェール)
マルセル・カルネ監督『悪魔が夜来る』(1942)。ジャック・プレヴェール脚本。原題『Les Visiteurs du Soir』
ナチス・ドイツ占領下で制作された。
強権によって愛する娘を我が物にしようとする悪魔に対して純粋な愛を貫こうとする抵抗を描いたこの映画の意図するところは明らかですが、カルネとプレヴェールは時代を中世に設定したおとぎ話の体裁を取ることで、ナチス・ドイツから、その真意を悟られるのを避けようとしています。
プレヴェール:詩、ジョセフ・コスマ:作曲の歌。「Demons et merveilles」(詩集『パロール』収録時は「Sables mouvants(流砂)」と改題)
映画公開時にはユダヤ系のコスマの名は伏せられています。
歌いだしの「Demons et merveilles」とくにDemonsをどう訳されているか、比較してみると「悪魔」派と「魔性」派に分かれていました。
「悪魔」派は、
「悪魔と不可思議」(北川冬彦)
「悪魔と驚異」(福島達夫)
でも、あなたの眼の中にあるそれがわたしを溺れさせる、というのですから「悪魔」では怖い。「悪魔」派の訳者は映画の印象を引きずってしまっているのでは。
でもこの詩は映画のために書かれたわけではなく既製の詩にコスマが曲をつけたものを映画に使用したそうで、女性の妖しさの表現とすれば、
「魔性 驚異(デモンゼメルヴェイユ)」(高畑勲)
「魔性と驚異」(柏倉康夫)
「魔性と神秘」(平田文也)
のように「魔性」の方がしっくりきます。私は平田文也訳でプレヴェールを知ったことでもあり平田訳を好みます。
〈参考リンク〉
「うごく砂」(『パロール』抄 : ジャック・プレヴェール詩集 北川冬彦訳)
https://dl.ndl.go.jp/pid/12578385/1/84
「動く砂」(『プレヴェール詩抄』) 福島達夫 訳)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1694927/1/8
『悪魔祓いの芸術論 : 日本の詩・フランスの詩 (現代芸術論叢書 ; 第1)』 飯島耕一 著 https://dl.ndl.go.jp/pid/1336731/1/83
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