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【さらに続き】【最終】 その翼を折らないで

(前記事から続きます)

自分なりに乗り越えられたのは、「ラッキー」だったから

とにかく、わたしの2年半の社会人人生は、他者からの目線や言葉によって「女性であること」を様々な場面で意識させられ、
それに葛藤し、自分なりに乗り越える事に多くの労力を割いてきた
と考えています。
しかし、この経験は自分にとって貴重で、何らかの形で役に立つだろうとポジティブにも捉えられています。

ただし、そう思えるのは、わたしがある種恵まれていて
自分なりの結論として昇華できる色んな条件が揃っていたからです。

・上司が話を聞いて、できるだけの配慮と対応を考えてくれた事
・女性でも性別に関係なく可能性を発揮できると信じられるように、両親が育ててくれた事
・両親が、辛くても今は仕事を辞めない方がいいと促してくれた事
・話を聞いて、賛同したり親身になってくれる友人が大勢いた事
・職場の人たちがわたしの成長を応援してくれるようになった事
・女性でも立派な「仲間」だと職場の人が認めてくれるようになった事
・お客さんに良い人が多く、初めて接する女性営業のわたしとも良好な関係を築いてくれた事。むしろ可愛がってくれる人も多かった事
・1年下に男性の後輩が入ってきても、年次別に順当に扱ってもらえた事。「女性だから」男性の後輩より下の立場に扱われるなんてことは全くなく、先輩社員として公平に尊重してもらえた事
・職場の人が不用意な発言をしてしまっても、はっきりと「セクハラ」と指摘したらうろたえて止めてくれる事。苦手な人でも、本当に嫌なことは話し合う余地があるだろうと感じられる程度には、信頼関係が築けた事。
・恋人が自分を応援し、支えてくれた事
・自分の特技(語学)や経験に周囲が一目おいてくれ、評価してくれた事

これらの条件がなかったら、
わたしはとっくに心が折れて、会社が嫌になる形で退社していたかもしれません。
「ネガティブな理由では会社を辞めない」というポリシーを徹底できたのは、
わたしが恵まれていたからでもあります。
良いポイントを挙げてみると、本当に恵まれていますよね

では、もし同じような壁が、これらの条件が揃っていない人の前に立ちはだかった場合どうなるのでしょうか?
乗り越えられるかもしれないし、乗り越えられないかもしれない。会社を辞めたり、モチベーションを失ってしまうかもしれない。
そして条件が揃うかなんて、大半は運です。

こんなしょうもない事でせっかくの可能性を狭められたり、萎縮しなければいけなかったり、傷つけられたりするなんて大問題です。大きな損失です。

社会は、こんなしょうもない事で、頑張ろうとしてる人の足を引っ張っちゃいけない。

なぜか被害者側の「落ち度」を追求する「世間の声」

冒頭に述べたとおり伊藤詩織さんは、被害者として声を上げてから、
関係ない外野からの心無い言葉に苦しめられてきました。
その多くが、被害者(と推定される)詩織さんの落ち度を探るものでした。
わたしの周りでも、多少なりともそのような事はありました。
「その程度の事で」
「騒ぎすぎじゃないか」
「あなたが敏感すぎるのではないか」
このような趣旨のことを、もう少しぼかした表現で複数人に言われました。

わたしはその度に、真剣に考えて自分を責めました。
わたしが人より敏感すぎるのか。真面目に受け取りすぎるのか。
この程度の事に傷ついてしまうわたしがいけないのか。

何度も何度も考えましたが、
結論。
傷つくものはどうやったって傷つく。
傷つかない事は出来ない。望んで傷ついているわけじゃない。

傷つかないように努力したところで、
同じ条件で同じ場に立てば、どうしてもきっとまた傷つくでしょう。
あなたは傷つかないのかもしれないけど、わたしは傷つく。

そもそも、自分の身に起きた事を友人に話したところで、
「そんな事自分の周りじゃ絶対あり得ない」とドン引きする人と、
「まあね、でもそういう事あるよね」とよくある事のように受け流す人と反応は分かれるのでした。
それならば、「あり得ない」と一緒に怒って悲しんでくれる人が多数いる以上、
わたしと同じ事をされれば傷つくはずの人が一定数いるはずで、
自分が傷ついた事も自然で一般的な範囲内なんだと言い聞かせました。
そして、自分の後に女性の後輩がいつか配属されて続いていく事を考えれば、
今のままの環境では、そのうちの誰かを傷つけてしまうかもしれないと思いました。

確かに、どのような行為や言葉で傷つくのかには個人差があります。
だから、何が「ハラスメント」に該当するかという問いに具体的な基準や規定を求める事は難しい。
だから、自分だけの基準で考えずに、傷つく人がいるかもしれないと想像して歩み寄ろうとする姿勢が大切なんだと思います。
そして、自分の誤りに気付いたら相手の気持ちに配慮して、すぐに行動や言動を改める謙虚さ嫌な事をお互いに伝えやすい関係づくり。
でも、被害者の落ち度ばかり探して非難する言葉って、こういう事の真逆ですよね。

そして、辛い経験をした事がある人が、他人の嫌な経験と自分の経験を勝手に比べて、「(相手の経験なんて、自分に比べれば)大した事ない」って切って捨てがちな傾向もあると思います。
これは、わたしもやってしまわないように自戒しなければいけないと思います。
これをやった結果って、誰も得しないです。
みんなどんどん生きづらくなるだけ。
嫌な経験を耐えた事を自慢し合うのではなくて、他人の痛みを理解するための材料にしていかないと、誰も救われないです。やってしまいがちですけど。

これは決して女性だけの話ではない

性差別や性的ハラスメント、性犯罪を女性だけの問題だと思ってはいけないと思います。
おそらく、どんな性自認の人も、カテゴリーに押し込められる事で生きづらさを感じたことがあるのではないでしょうか。
例えば、わたしは女性として職場でやりづらさを感じたことが何度もありましたが、男性だからこそ感じている場面も絶対にあると思っています。
例えば、「男だから」酒をたくさん飲まされる。「男だから」人前で笑いを取る事を強要される。
「男なのに」育休なんて取るの?「男なのに」早く家帰るの?
今述べたような事は、女性でも強要される事がありますが、
男性により強く生じる傾向にあると思います。
それも不公平だし、性差別の一形態だと思うし、誰かをとても生きづらくしていると思うのです。

どうかその翼を折らないで

性別によってその人が持つ可能性を狭められたり、
自由を制限されたり、傷つけられたりすることがない社会になれば、

きっとみんな生きやすくなると思います。
意識しようとしまいと、不条理は社会にたくさんあるから。
みんな何かしらに違和感を覚えたことがあるはずで、
不満に直面したことがあるはずだから。

不必要に傷つけ合うのではなく、
自分の翼も他人の翼も折らずに共存していく生き方を、
私たちは実現していかなければならない。

(写真:2014年3月、ブラジル・クリチバ市 当時の自宅の窓から)

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百々子
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