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推しがいるということ

わたしにとって「推しがいること」とはどういうことなのか。


幼いころからたくさんの習い事(ピアノ、そろばん、英会話…)をさせてもらっていた。親からのかすかな期待を感じつつも、昔から飽きっぽく、コツコツと努力することができないわたしは、結局どれも長続きせず辞めてしまった。目標もなく何となくやっていたので、負けて悔しいとか、うまくできなくて泣いてしまうこととか、そういう向上心がないので挫折することもなく、突出してできるものは何一つ得ないまま終わってしまった。今でも、飽きると分かっていても色々と手を出してみては、やっぱり飽きてしまう(こう書いていると情けなくなってくる…)。

今はバンタンという大好きな人たちに出会って、追いかけきれないほどの公式からの供給に飲み込まれそうになりながらも、沼の住民の一人として日々それを楽しんでいる。言葉も通じないし、本人に認知されることもないのに、一方通行な想いを寄せ、祈るような気持ちで彼らのしあわせを願っている。そして、彼らが見せる表情や発するメッセージに慰められたり癒されたり、推しの存在は比喩誇張なく、今のわたしの生きる糧になっている。

でもいつかそれも飽きてしまうのかもしれない。今はこんなにたくさんの愛情を向けていても、そんな愛する推しはいつか「昔の推し」になり、「推し」と聞くと真っ先に思い浮かぶのはまた別の誰かになっているかもしれない。永遠なんて存在しないのに、わたしはなぜこうも推しているのか。

そういえば、バンタンを好きになる前は何に心揺さぶられ、何を楽しみにして生きていたのだろう。

***

バンタンの沼に落ちる前、つまりは新ウイルスが侵攻してくる前、わたしは宝塚を観劇することが大好きだった。

かれこれ十数年に亘り細々と見続けていて、バンタンに現を抜かすようになってからも大好きな気持ちは途切れることはなかったけれど、この2年間、公演が再開してからも劇場へ足を運ぶことはほとんどなくなってしまっていた。
あの煌びやかな舞台を見ていると、誘われるままに夢のような世界へ導かれ、そこは現実を這いつくばって生きていたわたしにとって唯一の避難場所だった。ご贔屓の男役さん(ヅカ界隈では「推し」ではなく「ご贔屓」と呼ぶ)のお芝居、お歌、ダンスに心躍らせ、理想をはるかに超えてくる男性像にときめき、「清く・正しく・美しく」の権化を見ては背筋がすっと伸びるような気持ちになった。
約1か月半のサイクルで公演が入れ替わるため、チケット争奪戦に苦戦しつつも毎月の公演を糧に生きて(働いて)いた。

ところで、宝塚では千穐楽の日(宝塚大劇場と東京宝塚大劇場、それぞれの劇場で行われる)、ステージが終わったあと、その公演を最後に退団される生徒さんが最後のご挨拶をするというセレモニーが行われる。
ステージが終わって緞帳が下りると、間もなく組長さんが舞台袖から現れる。緞帳の向こう側でセレモニーの準備が行われている間、組長さんは退団者から寄せられたメッセージを優しく丁寧に読み上げ、その退団者へ思いを馳せながら二言三言コメントする。メッセージの紹介が終わり、セレモニーの準備が整ったあと、緞帳が再び上がると大階段が出現する。組長さんは一人ずつ(大抵退団者は複数人いる)退団者をあだ名や愛称で呼び、名前を呼ばれた生徒さんは「はいっ」と大きな声でキリリと返事をしてから、深緑色の袴姿でゆっくりと、一段一段踏みしめるようにして大階段を降りてくる。大階段を降り終えた後、舞台中央まで歩を進める途中、組と同期からそれぞれお花が手渡され、それを大事そうに抱えながら深々と一礼をしてご挨拶をするのが通例だ。
組長さんの退団者を見守る優しい眼差しや、柔らかなお声で愛に満ち満ちたコメントを聞くだけでわたしの涙腺は緩み、ご挨拶を聞いてはげちょげちょに泣くまでがセットになっている。

ご挨拶では、これまでに印象に残っているエピソードを交えながら、どういう思いでお役と向き合い、お芝居に没入し、歌い、踊ってきたのかを語り、観客、ファン、トップスター、組子、同期、劇団関係者、家族…全方位に向けて感謝を述べる。
熾烈な競争を勝ち抜いて入学した音楽学校時代を経て、入団してからも付きまとう成績と厳しいお稽古、寝る間も惜しんで励むレッスン...
ご挨拶を通して、彼女たちが日々どれだけの努力を重ね、人知れず抱えていた葛藤や苦悩を知る。それでも、彼女たちは濁り一つない眼差しでまっすぐと前を見据え、一寸の躊躇もなく「しあわせでした」と言い切り、清々しいほどの笑顔で翌日からはじまる第二の人生に向けて新たな一歩を踏み出そうとしている。そんな姿を見て、わたしはいつも自分自身にこう問いかける。

「わたしは、今、胸を張ってしあわせだといえるか?」と。


***


数か月前、久しく連絡をとっていなかった友達から突然LINEがきた。たまたま誘われて宝塚を観に行ってみたら、その公演がたまたまわたしのご贔屓の退団公演(しかも千穐楽!)で、あの退団セレモニーを見て一気に心掴まれたという。思いがけず宝塚にハマったとき、以前より宝塚の布教活動をしていたわたしのことを思い出して連絡したとのことだった。うれしかった。

彼女はこれまで宝塚はおろかジャニーズとかバンドとかK-popとか、そういうのには一切ハマることなく過ごしてきた人で、彼女自身が自らの変化に戸惑いつつも、日々の生活に「推し」がいることを楽しんでいるようだった。たぎった気持ちを供養すべく、さっそく語り合う会を開くことになった(オンラインで5時間話しても足りず、後日2回目を開催した)。様々な媒体から拾い集めたという推しに纏わるエピソードを話してくれたのだけど、「前からファンだったよね!?!?」と疑いたくなるくらいに、短期間でものすごい量の情報を吸収していて驚いた。オタクの推しへの探求心、恐るべし。

彼女は、「これまで誰かが同じ公演を何度も観に行ったり、円盤を買ったり、とにかく『推し事』をする人の気持ちがまったく分からなかったけれど、ハマってみてようやく理解できるようになってきた」と言っていた。
そして、「なぜここまで好きになったのか分からない。〇〇(わたしの名前)はなぜ宝塚を好きになったのか?」と聞かれたので、あらためて好きの理由を考えてみた。

舞台が好き!宝塚の世界観が好き!ご贔屓さんがかっこいい、キレイ、美しい!楽しいな~!!という、純粋に楽しみたい気持ちがあるのは言わずもがな、バンタンのときもそうだけど、「好き」に明確な理由はない(詳しくは以下の記事に綴っています)。


たしかに、推しの一挙手一投足で泣いたり笑ったり、宝塚のあの夢心地な時間を過ごしている間は現実を忘れられるし、そういう意味では現実逃避をするためなのかもしれない。
でも、そう言うと、きっと誰かは呆れ顔でこう返すことでしょう。「現実をみなよ」と。

でもちょっと待ってほしい。
わたしが推すことは現実逃避ではなく、現実と向かい合うためだ。
次の公演までに風邪など引かず元気に過ごそう、次の公演に着ていく洋服を買いに行こう、そのためには朝がんばって起きて仕事に行こう、とか、些末なことかもしれないけれど、推しがいることでこうやって少しずつ現実を、わたしの人生を変えていくことができるのだ。
宝塚は、シビアな現実を見ないようにするための逃避先ではなく、自分自身を見つめるきっかけであり、推しに捧げる自分の時間や意思は、そのままわたしに向けられている。
現実と向かい合うことは、時にヒリヒリするくらいに痛くて、辛くて、決して甘くとろけるような気持ちだけではいられない。


「わたしは、今、胸を張ってしあわせだといえるか?」



退団者のご挨拶を聞く度にわたし自身に尋ねるこの問いも、現実と向かい合うことを忘れないためのスイッチになっている。

ちなみにこの問いの答えは「ノー」だ。その理由は分かっている。わたしはこれまでの人生で、彼女たちのように何かを成し遂げたことも、失敗して本気で悔しがるまで真剣に取り組んだこともしてこなかったから・・・

でも、いつまでも「ノー」のままではいられない。自分の中から「推し」がいなくなったとしても、わたしの人生は続くよどこまでも。自分の意志をもって人生を歩み、そしていつか訪れる「わたしの退団日」では大きな声でこの問いに「イエス」と答えられるように、自戒の念も込めて今日もわたしは問いかける。わたしが宝塚を好きでいて、わたしの中に推しがいることは、現実から目を背けず生きていくための一つの術なのだ。


***


好きの対象なんて、理由なんて、本当はなんだっていい。誰かを好きになる瞬間はいつだって特別で、その瞬間は奇跡的であって必然だ。
自分自身を受入れてまるっと愛してあげられるようになるために、わたしは見えない何かに奮闘している。わたしの大好きな人たちは、そんなわたしの闘いにそっと手を差し伸べてくれている。


だから、今日もわたしは大好きな人たちを推して生きている。自分自身を見つめるために。


(バンタンの話しでスタートして宝塚で着地。散文甚だしい・・・)








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