見出し画像

No.39 1981年~ 「天職」としての聖心女子学院初等科の教師

 今回のテーマは「天職」についてです。私は聖心を定年退職後も研究活動をしながら教育コンサルタントの仕事を続けています。聖心での教師の仕事を断絶するのではなく継続して新たな仕事に取り組んでいます。現在は聖心での39年の仕事+3年目の仕事という意識です。現在の研究と仕事は体力が続く限り行いますが、その基盤はもちろん聖心という学校で教師を39年間続けてこられたことにあります(それで、No.39の今回執筆するテーマに選びました)。
 ここで、「天職」について考えてみたいと思います。実は、私は39年間での聖心での教師生活の間自分が「天職」についているという意識をもったことがなかったように思います。教育も研究も39年間懸命に追究してきて、楽しくやりがいがあり世の中の役に立っているという意識があったので、特に「天職」について考える余地がなかったのです。定年後、余裕ができ聖心での教師生活を振り返ることができるようになりました。
定年後のメンターについてNo.19でご紹介しましたがその中の一人、精神科医の樺沢紫苑氏が著書『精神科医が教えるストレスフリー超大全』(2020年、ダイヤモンド社発行)の中で「自分の『天職』を見つける方法」について執筆されています。その中で「天職とは、天から授かったと思うほど自分に合った職業です。自分の『ビジョン』や『生き方』にマッチした『その仕事をするために生まれてきた』『天から与えられた』と思えるような職業が天職です」「『自分はこの仕事をするために生まれてきた』と思える仕事に出会えると、仕事が『生きがい』となり、仕事が楽しくてしょうがなくなります。人生を楽しく生きるために、『天職を見つける』ことは、重要な要素となるのです。」とあります。そして次のような3段階で仕事を捉えています。
 ライス(rice)ワーク 衣食住を満たすために生きていくための働き。楽しい・楽しくないと文句を言っていられない。
 ライク(like)ワーク 仕事をすることが楽しい働き。適職に当たる。
 ライフ(life)ワーク 自分が本当にやりたいことを実現して得られる満足感・充実感を満たす働き。天職がこれに当たる。
 そして、天職の見つけ方として、「価値」「強み」「貢献」を挙げています。この3つが揃っていることが天職の条件になるのではと考えられます。
 価値 自分にとって楽しいか。
 強み その活動で能力を発揮できる。
 貢献 世の中の役に立つ。
 「天職」を明確化する手順は、「価値」→「強み」→「貢献」の順に行うとしています。
 私のライフワークは、聖心の教師として39年間子どもたちを教えることであって、特に私立小学校教育、NIE(Newspaper in Education)、社会科教育(自由研究・国際理解教育・環境教育・メディアリテラシー・五感教育・主権者教育・SDGsなど)を研究し実践し続けてきました。
 その研究は、「人」「メディア」「体験」との出会いを意識してきました。内部・外部での研究会、国内外フィールドワーク、国内外での授業参観、本・雑誌・新聞・テレビ・ネットなどのメディアなどを通して多くのことを学んできて実践につなげてきました。
 もちろん、学ぶことだけでなく家族、友人、研究会仲間などとも遊ぶことを通して楽しさを実感できて人間性の幅ができ仕事のエネルギーにもなっていました。「学び続ける」「働き続ける」「遊び続ける」が私のモットーでした。そして、このモットーは今も続けています。
 樺沢紫苑氏が提唱する3つの天職の指標「価値」「強み」「貢献」は満たすことができたと思っています。そして、「価値」→「強み」→「貢献」の手順もその通り実行していたようです。「自分にとって楽しく、その活動で能力を発揮でき、 世の中の役に立っている」という意識は現役の時には気が付かずにあったようです。
 
 内村鑑三(キリスト教思想家)氏の次のような言葉が前掲の『精神科医が教えるストレスフリー超大全』掲載されていました。
「人生にとって一番の幸福とは何か?それは自分の天職を知ってこれを実行に移すことである。」
 私は内村鑑三氏のことは十分理解できていませんが、長野県軽井沢星野にある「内村鑑三記念堂」を訪問したことがあります。内村鑑三氏に関する資料も展示されており素敵な記念堂です(記念堂内は撮影ができません。外観だけですが)。キリスト教プロテスタントの精神を継承する無教会主義を提唱しています。

 私は「小学校の教師が天職」ではなく、「聖心女子学院初等科の教師が天職」であったと考えています。国公立の学校ではなく私立としての聖心女子学院初等科の教師として自分でも考えられないくらいの体験をさせていただいたと感謝しているのです。
 1980年、大学の先生の推薦で当時の聖心女子学院校長シスター田中玲子氏、初等科主事(副校長)シスター柳下郁子氏に面接をして頂きました。その後すぐに内定を頂き、1981年4月から2020年3月までの39年間勤務させていただきました。

 私が39年間どのような授業や研究をしてきたかについては、以下のリンクや本エッセーを参照して頂けましたら幸いです。
 私立小学校 私の実践・研究史
 私のNIE実践史

 このような実践・研究を行うことができたのも、全て聖心女子学院という学校の環境の恩恵と捉えています。
〇大勢のシスター・神父様から学ばせて頂きました。
〇キリスト教カトリックの信仰や他の宗教についても学ばせて頂きました。
〇家族的な雰囲気で実践・研究をさせて頂きました。
〇児童・保護者が素晴らしく常に協力して頂きました。
〇多くの先輩・同僚・後輩の先生方や校務の方々にたくさんのことを助けて頂きました。
〇自由な発想で授業や行事などの教育実践を遂行させて頂きました。
〇国内や海外での授業参観・研究会・フィールドワークなど多くの機会を許可して頂きました。
〇初等科での公開授業・国内外の訪問者の授業見学・出版・ネットでの原稿・メディアからの取材など多くのことを許可して頂きました。
〇学院の運営・研究・入試・編入試験・出版など重要な役割に就かせて頂きました。
〇週5日制(1974年から施行。日本の学校で最も早い時期と考えられる)、夏休み、冬休み、春休みが長期にわたり研究・授業準備を十分にさせて頂きました。
〇卒業生とも学院の教室で大勢にお会いする機会をつくって頂きました。
〇1年間の外部での研究期間(上智大学加藤幸次氏のもとで研究するとともに国内の学校訪問・フィールドワークを実施)・半年間特定の平日の午後外部での研究期間(東京大学大学院水越伸氏のもとで研究)を認めて頂きました。
〇聖心女子学院が加入している日本私立小学校連合会では、研究発表・公開授業を通して多くの先生方から学ばせて頂きました。
〇日本NIE学会の2005年設立時からの理事就任とともに、研究発表・研究プロジェクト・初等科での公開授業などをさせて頂きました。
〇退職年齢が65歳(私立小学校では60歳、62歳、63歳、65歳とあるようですが、65歳はそれほど多くはありません)で給与・賞与・退職金が恵まれており、家族の生活のため・研究・多くの方々とのコミュニケーションなどに使わせて頂きました。
 
 私は1954年7月4日に品川区にある関東逓信病院(現NTT東日本関東病院)で生まれました。その後、小学生になっても病気や手術で入院することがありよく通院していました。その病院のすぐ近くに当時の皇太子妃殿下(現在の上皇后陛下)美智子様のご実家がありました。病院の帰りに何回か母親が「ここが美智子様のご実家よ」と連れて行ってくれた記憶があります。美智子様は聖心女子学院をご卒業されています。そんな私が聖心女子学院の教師になったことを母親はとても喜んでいました。私はとても驚きました。
  
 私の天職は「聖心女子学院初等科の教師」として働くことでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?