私立小学校研究所

39年の私立小学校教員として、どのように生きてきたのかエッセーとして綴ることにしました…

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39年の私立小学校教員として、どのように生きてきたのかエッセーとして綴ることにしました。教育や研究、周辺のできごとや生い立ちなど当時を振り返ったり最近の出来事から当時を思い出したりして、時期はバラバラですが思いつくままに綴っていきます。manabinomirailab.com

最近の記事

No.172 2024年7月4日 古希を迎えた日に『ある私立小学校教師 実践・研究の足跡―聖心女子学院初等科39年とその前後―』出版

 2024年7月4日に古希を迎えました。唐の時代(618年~907年)の詩人杜甫(とほ)の詩の一節に「人生七十古来稀(じんせいしちじゅうこらいまれなり)とあり「人生を70歳まで生きるのは非常に稀(まれ)なこと」という意味です。「稀」が常用漢字ではないために現在では「古希」と書くのが一般的だそうです。古希は現代では満年齢で70歳を迎える年が一般的のようです。  人生100年時代、70歳では若造ですよね。現在私が通っているフィットネスクラブのプールで出会うお友だちは、90歳・89

    • No.171 2024年3月 西伊豆のフィールドワークで出会った3つのいいこと

       2024年3月に静岡県西伊豆松崎をフィールドワークしました。このフィールドワークで3つのいいことに出会いました。今回はそのような話題を提供します。  松崎町は広い地域ではありませんが、じっくり歩いてみるとなかなか面白い場所でした。  3つのいいことの1つ目は、3日目晴天の日に「伊豆 松崎 であい村 蔵ら」を訪ねたことでした。「まゆこ」という和菓子が有名なのでお店に入ったら、代表の青森千枝美さんが笑顔で対応して下さいました。笑顔が素敵な方でご自分から88歳ですと話して下さい

      • No.170 1999年~2009年 毎日新聞『月刊Newsがわかる』編集委員をして 

        最近の『月刊ニュースがわかる』の表紙です。  この創刊号は1999年4月でした。この1年前ぐらいに毎日新聞編集委員の方に声をかけられどのようなコンセプトにしたらいいかの相談がありました。もう一人知り合いの公立小学校の先生も一緒でした。二人は小学生から親しむことができる時事問題を楽しく学べるような月刊誌を念頭にどのような内容にしたらいいかを具体的にいくつか提示したと思います。そして、毎日新聞社で数回会合を持ち創刊号が発行されました。当時は小学生向きと中学生向きの2つに分かれて

        • No.169 2024年4月 私の人生を大きく変えた小学生と出会った場所を訪ねる

           私は大学3年生の後期にある子どもと出会いました。その子どもと出会えなければ私の人生は大きく変わっていたと思います。きっと小学校の先生への道を考えなかったかもしれません。  母親が福祉に関心があり、共働き(当時の言い方になるかもしれません)の方の乳児を日中保育していたこともありました。その関係で川崎市の福祉事務所からある子どもの遊び相手として週に1度のボランティアを依頼されました。その子どもが住んでいたのが私の自宅から徒歩30分の小高い丘の加瀬山周辺の家でした。私の役割は週に

        No.172 2024年7月4日 古希を迎えた日に『ある私立小学校教師 実践・研究の足跡―聖心女子学院初等科39年とその前後―』出版

          No.168 2019年4月1日~2020年3月31日聖心女子学院教師ラスト1年日記

           私は子どもの頃から日記を書いたことがありませんでした。何回か書こうと思って始めるのですが、三日坊主どころか二日ももちません。教師になって書籍を出版することはよく行ってきたのですが、日記だけは一度も書いたことがありせん。教師最後の年になり意を決して清水の舞台から飛び降りる気持ちで366日(2019年度は閏年でした)毎日書き続けることを決意しました。とにかく教師最終年度ですので、あらゆるところに最後の○〇○という表現が見られました。A3版で99ページの量になりました。  人生で

          No.168 2019年4月1日~2020年3月31日聖心女子学院教師ラスト1年日記

          No.167 1924年~2024年 川崎市制100年で考えること

           2024年7月1日に川崎市は市制100年を迎えます。1954年7月に生まれた私は川崎市市制30年に誕生したことになります。生まれ育った川崎ですので愛着がとてもあります。この原稿を自宅のある大田区でノートパソコンを使って書いている時に、ふと目を窓に向けると川崎市の風景が目に留まります。毎月のように会っている中学時代の友だちとの会合は川崎市が圧倒的に多いです。  この川崎市も70年で大きく変化したことは当然です。私が朝ウォーキングしている大田区多摩川の土手から見える「新川崎」「

          No.167 1924年~2024年 川崎市制100年で考えること

          No.166 2019年4月 初等科教師最後の年に初めての教え子と集まった時のこと

           1981年4月私が聖心の3年生の担任になり初めての教え子に出会いました。その学年の子どもたちとは縁があり、当時も現在も異例な持ち上がりをすることになりました。81年が3年生担任、82年が4年生担任、83年が5年生1クラスの社会科担当(担任は4年生でした)、84年が6年生担任。このような持ち上がりは私の教師人生最初で最後のことでした。カトリックの私立女子小学校の聖心女子学院初等科という私の成育歴では全く想像することができなかった学校に就職し、教師として楽しく充実した39年を勤

          No.166 2019年4月 初等科教師最後の年に初めての教え子と集まった時のこと

          No.165 1987年~ 外国へのフィールドワーク みんなマーケット

           外国でのフィールドワークを行う時に一番訪問したのはマーケットです。そこは五感を最も働かせられる所です。食べることは人間の最も基本的、最も本質的な欲求を満たすことができる行為です。「食べていける」ということは「生きていける」と同じ意味に使われます。それぞれの国々のマーケットを訪ねるとそこに生きている人々の姿を見ることができます。それぞれのマーケットの違いと共に共通した姿を見つけることができます。  それぞれ訪ねた場所が随分古いので現代の姿とは異なっていると思います。しかし、そ

          No.165 1987年~ 外国へのフィールドワーク みんなマーケット

          No.164 1981年~ 担任の期間 ゲームで学級経営

           小学校の教員免許を取得している期間や教師になってすぐの時期に、リクレーションを推進するグループの研究会に参加していました。そこでは、いろいろなゲームの方法を教えて頂きました。そこでのゲームの習得は担任をしている期間学級経営の1つとしてとても役立ちました。1981年に教師になり3年生を担任し、そこで早速ゲームを通しての学級経営を試みました。  「ゲームのメニュー」を作成して子どもたちに配り、学級会(当時はこの名称でした)、学年の時間(月曜日午後30分ぐらい学年や学級で活動す

          No.164 1981年~ 担任の期間 ゲームで学級経営

          No.163 1993年 北京のフィールドワーク

           1993年の12月下旬、冬休みを利用して中国・北京のフィールドワークを行いました。日本と歴史的な繋がりが最も深い国を訪ねる初めての経験でした。今から約30年前の中国で現在のような経済成長が目覚ましい国の姿ではありませんでしたが、市民のエネルギーはとても強いことを感じました。当時韓国と同様に「近くて遠い国」と考えられていた中国のフィールドワークを通して異文化理解の重要性を認識しました。今回は北京の街の様子をご紹介し、その続編として後のエッセーで北京市内の2つの学校の様子をご紹

          No.163 1993年 北京のフィールドワーク

          No.162 1991年10月 『新聞のほん』出版

           エッセーNo.17で、日本新聞協会が進めるNIEの存在を知り、関わるような経緯について述べました。そして、エッセーNo.120で私の本格的なNIE起点の授業としての「新聞と友だちになろう」(1989年度5年生の授業)について記述しました。今回はメディアが発信する情報を評価し批判的に理解する能力と共にメディアを使いこなす技能を身につけるメディアリテラシーを意識した「新聞と友だちになろう」の授業を基に執筆した『新聞のほん』(リブリオ出版、1992年)についてご紹介致します。  

          No.162 1991年10月 『新聞のほん』出版

          No.161 2012年夏、2013年冬 湯檜曾温泉の露天風呂と野天風呂 

           2012年の夏前ごろ、テレビで湯檜曾温泉のあるホテルの紹介をしていました。そのホテルの離れの部屋に露天風呂が付いていて、そこから歩いてすぐのところに野天風呂があるというものでした。料金もそれほど高くなかったので夏休みの終わりごろ問い合わせたら離れの部屋の予約ができました。  水上温泉も近くですので、今回は温泉巡りを中心とした旅行を妻と計画しました。水上で過ごした後ホテルに入り、早速部屋に付いている露天風呂に入りました。外の屋根付きの場所にあり、私が普段通っているフィットネス

          No.161 2012年夏、2013年冬 湯檜曾温泉の露天風呂と野天風呂 

          No.160 2021年7月の誕生日前後は嬉しい出来事が

           2021年7月4日67歳の誕生日とその前後の6月と8月にはとても嬉しいことがありました。  誕生日には例年の事ですが、誕生日ケーキとビールと食事も用意されていました。 娘からは皮のブックカバーが贈られました。  その誕生日の前の6月には大学で看護学を学んでいた娘が就職試験で第一志望のNTT東日本関東病院から内定通知を頂いたのです。  2022年度の採用人数は減り、難しいと思っていたところからの内定通知。午前中速達を私が受け取りましたが、薄かったので無理かなと思っていたら

          No.160 2021年7月の誕生日前後は嬉しい出来事が

          No.159 2003年~2004年 執筆指導『新聞広告で見つけよう!』全5巻の出版 

           2003年の春頃だったと思いますが、くもん出版の方から子ども向きの「新聞広告の歴史」に関する書籍の執筆指導をしていただけないかという依頼がありました。まず、お会いしてどのような内容をどのように関わったらいいのかを説明頂き、意味があり面白そうな書籍だと認識しましたので、学院から許可を頂き勤務外の仕事として自宅で取り組むことになりました。  今回この仕事に関心を持ったのは、資料協力に羽島知之氏が関わっていらっしゃったことです。羽島氏は新聞資料の収集ではとても有名な方で知られてい

          No.159 2003年~2004年 執筆指導『新聞広告で見つけよう!』全5巻の出版 

          No.158 2019年7月 小学校修学旅行で行った日光のフィールドワーク 

           小学校の修学旅行は6年生の秋日光へ1泊2日で行きました。おそらくどの学校も決まったコースでいったのでしょう。私の記憶ですと、日光東照宮、華厳の滝、中禅寺湖、日光湯元で宿泊、戦場ヶ原というコースだったように思います。 2019年教師最後の年に、小学校のコースを辿る日光フィールドワークを3泊4日で行いました。今回はそんな取り組みです。  写真の足りないところはホームページで補わせて頂きました。   日光東照宮  この2枚の写真は私が写したものですが、日光東照宮のホームページ

          No.158 2019年7月 小学校修学旅行で行った日光のフィールドワーク 

          No.157 1996年11月 韓国の小学校教師の李貞均先生と出会う

           1996年11月、韓国言論研究院に招かれ、ソウルで開かれたMIE(メディア・イン・エデュケーション)研修で、「日本のメディア教育」というタイトルで話をさせていただきました。日曜日の午前中、韓国の熱心な先生方と3時間休みなく、コミュニケーションをとることができました。  翌日、ソウル近郊高陽(ゴヤン)の城底(ソンチョ)初等学校1年生の教室で、NIEの学習に触れることができました。担任の李貞均先生は、韓国のNIEを引っ張る存在でした。  子どもたちは、家庭で購読している新聞を持

          No.157 1996年11月 韓国の小学校教師の李貞均先生と出会う