私立小学校研究所

39年の私立小学校教員として、どのように生きてきたのかエッセーとして綴ることにしました…

私立小学校研究所

39年の私立小学校教員として、どのように生きてきたのかエッセーとして綴ることにしました。教育や研究、周辺のできごとや生い立ちなど当時を振り返ったり最近の出来事から当時を思い出したりして、時期はバラバラですが思いつくままに綴っていきます。manabinomirailab.com

最近の記事

No.183 2024年7月 「あのエッセーその後」(3)我が家のドジョウは10年一緒

 2014年8月の最初の日に我が家に来た3匹のドジョウ、1匹は命がなくなりましたが2匹は元気に過ごしています。  前回のエッセーに書きました霧積温泉から帰ってきた日、2024年7月31日丁度10年我が家で過ごしていることになりました。帰ってきてごはんを2日あげてなかったので、灯りをつけ顔を水槽に近づけますと水面に出てきて泳ぎ存在をアピールしていました。ここ数年、ご飯は1日一回なので朝起きて私が水槽に顔を近づけると水面に出てきてしっかりと泳ぎアピールを毎日しています。「早くごは

    • No.182 2024年7月 霧積温泉「金湯館」から軽井沢駅まで約3万歩の思いがけない歩行

       2日目の朝、外にある温度計を見ると20度でした。涼しさを満喫していました。とにかく1日中涼しいです。霧積は軽井沢以前の避暑地となっていました。  2日目は「金湯館」近くの林道をのんびり歩くことにしました。昨日車で運んで頂いた道を下ったり、戻ってきて「金湯館」の先の道に行ったりしました。  山の上から「金湯館」を眺めると、「ポツンと一軒温泉宿」がよく分かります。 生憎雨が結構降ってきたので「金湯館」の玄関わきの屋根の付いた場所で、頼んでいたおにぎりのお弁当を食べました。

      • No.181 2024年7月 ポツンと一軒温泉宿 霧積温泉「金湯館」に宿泊する 

         テレビ朝日の番組に「ポツンと一軒家」がありますが、今回訪ねた宿は「ポツンと一軒温泉宿」でした。ここ数年軽井沢に行くと、長野県と群馬県境にある熊野皇大神社と見晴台のお蕎麦屋さんに行きます。そこから歩いて霧積温泉まで行けるということを知りました。今回、霧積温泉に宿泊しチャンスがあればこちらから熊野皇大神社までハイキングしてみようと考えました。宿のパンフレットにもハイキングコースとして書かれていましたので。ところが………。もう1つ宿泊の動機がありました。私は推理小説が愛読書でした

        • No.180 2024年7月 ヒミツキチ森学園を再訪する

           2024年7月にオルタナティブスクール(もう1つの学校)の葉山にある「ヒミツキチ森学園」を再訪しました。  初めての訪問のようすは、エッセー138「2022年11月~ オルタナティブスクール(もう1つの学校)に関心をもって」にありますので参照して下さい。 今回は「ヒミツキチ森学園のステッカー」をつくり販売するプロジェクトの過程がわかる発表会の様子を視察させて頂きました。同じ7月に訪問した軽井沢風越学園の「テーマプロジェクト」のミニ版を見ているような感じでした。私のような外部

        No.183 2024年7月 「あのエッセーその後」(3)我が家のドジョウは10年一緒

          No.179 2024年7月6日 川崎市制100年 平間中学校8期生 古希同窓会

           昨年のプチ同窓会の話題については、エッセーNo.73「2023年7月1日中学校プチ同窓会でなつかしの幼稚園・小学校のお宝写真に出会う」で書いていますのでご覧いただければと思います。  私たち中学校の仲間とは、2007年7月7日(0と7だけの数字で、21世紀には2077年7月7日までありません)に初めての同窓会で再会しました。その後、二人のリーダーが世話役になり、冬に16回、夏に5回大きな集まりを開催し、地元の平間周辺では70回以上の集まりを企画してくれました。もちろん、二人

          No.179 2024年7月6日 川崎市制100年 平間中学校8期生 古希同窓会

          No.178 2024年7月1日 川崎市制100周年の日に川崎市役所とカワスイ(川崎水族館)に行く

           2024年7月1日に川崎市制100周年を迎えました。私は7月4日で70歳になりましたので、市制30周年の時に生れたことになります。現在は東京都大田区に住んでいますが、ベランダから小学校6年間通っていました川崎市立古市場小学校が見えます。平間中学の同学年の方たちとたくさんの交流もありますので、川崎市にはとても愛着があります。  7月1日には新しくなった川崎市役所と新しくできたカワスイ(川崎水族館)を訪ねてみました。    川崎市役所本庁舎は2023年6月に竣工(工事が完了して

          No.178 2024年7月1日 川崎市制100周年の日に川崎市役所とカワスイ(川崎水族館)に行く

          No.177 2024年5月 磐梯熱海温泉と会津若松のフィールドワーク 思い出の鶴ヶ城などを訪ねる

           以前から気になっていた温泉地名がありました。それは「磐梯熱海温泉」です。箱根温泉のように広い範囲での温泉地に行くことが最も多かったですが、単独の温泉地名で最も多く行ったのは「熱海温泉」です。30数回行っています。その熱海と同じ名前が付いている「磐梯熱海温泉」に今回初めて行くことができました。東北新幹線で東京から郡山、そこから磐越西線で磐梯熱海駅まで行きました。  今年の6月にも熱海に行きましたので、駅と駅から見た街の景色を撮影しました。2つの「熱海」を比べてみます。  「

          No.177 2024年5月 磐梯熱海温泉と会津若松のフィールドワーク 思い出の鶴ヶ城などを訪ねる

          No.176 2024年4月 諏訪湖フィールドワーク 原田泰治美術館・高島城などを訪ねる

           2024年4月に長野県の諏訪湖をフィールドワークしました。新宿から特急「あずさ」で上諏訪まで行き、早速諏訪湖に行きました。私にとって初めて行く所でした。  湖畔の桜は4月15日でしたが丁度満開でした。このあたりは春が遅いのでしょう。  間欠泉センターでは湯が出ていました。  諏訪湖周辺は、映画「怪物」(2023年)のロケ地になっていたようで、写真パネルが何枚か提示されていました。「いま、会いにいきます」「八日目の蝉」「永遠の0」「Fukushima50」「テルマエ・ロマ

          No.176 2024年4月 諏訪湖フィールドワーク 原田泰治美術館・高島城などを訪ねる

          No.175 2024年7月 軽井沢風越学園を訪ねる

           2024年7月、ぜひ一度訪ねてみたいと考えていた私立「軽井沢風越学園」に訪問することができました。この学校に関わっていらっしゃる、国際大学グローバル・コミュニケーション・センター研究員の豊福晋平先生のご紹介で行くことができました。当日、先生とは軽井沢駅の改札口で待ち合わせ、タクシーで一緒に行くことができました。豊福先生とは洗足学園小学校の研究会でお会いすることからつながりができました。  軽井沢風越公園の近く、自宅や別荘が立ち並ぶ自然環境がとても良い中に学校はありました。

          No.175 2024年7月 軽井沢風越学園を訪ねる

          No.174 2024年7月 大学院でのゼミ、中野光著『大正自由教育の研究』(1968年)から2008年以降の著作に出会って

           立教大学大学院の教育学専攻では多くの著名な先生方に指導して頂きました。前期課程の2年生の時、中野光先生が就任されました。当時、先生は毎日出版文化賞を受賞された『大正自由教育の研究』(1968年)の著者として有名でした。ですからゼミでは「大正自由教育」について学んだことを覚えています。  先生にはゼミだけではなく修士論文についてもお世話になりました。前回指導教授の濱田陽太郎先生の古希での出版について書かせて頂きましたが、その最後で私の修士論文について言及しています。私の研究テ

          No.174 2024年7月 大学院でのゼミ、中野光著『大正自由教育の研究』(1968年)から2008年以降の著作に出会って

          No.173 2024年7月 大学院指導教授、濱田陽太郎氏古希の出版『私の履歴書~立教での日々~』(1995年)に出会って

           前回のエッセーNo.172で私が古希に出版した『ある私立小学校教師 実践・研究の足跡―聖心女子学院初等科39年とその前後―』について書きました。その中で私が立教大学大学院で教育学を学んだ時の指導教授、濱田陽太郎先生のことを述べさせて頂きました。  その後、先生が執筆された本を調べていましたら、『私の履歴書~立教での日々~』(東洋館出版、1995年)に出会いました。  「あとがき」によれば先生の古希に合わせて上梓(出版すること)されたとのことでした。先生ほど立派な本を私は出版

          No.173 2024年7月 大学院指導教授、濱田陽太郎氏古希の出版『私の履歴書~立教での日々~』(1995年)に出会って

          No.172 2024年7月4日 古希を迎えた日に『ある私立小学校教師 実践・研究の足跡―聖心女子学院初等科39年とその前後―』出版

           2024年7月4日に古希を迎えました。唐の時代(618年~907年)の詩人杜甫(とほ)の詩の一節に「人生七十古来稀(じんせいしちじゅうこらいまれなり)とあり「人生を70歳まで生きるのは非常に稀(まれ)なこと」という意味です。「稀」が常用漢字ではないために現在では「古希」と書くのが一般的だそうです。古希は現代では満年齢で70歳を迎える年が一般的のようです。  人生100年時代、70歳では若造ですよね。現在私が通っているフィットネスクラブのプールで出会うお友だちは、90歳・89

          No.172 2024年7月4日 古希を迎えた日に『ある私立小学校教師 実践・研究の足跡―聖心女子学院初等科39年とその前後―』出版

          No.171 2024年3月 西伊豆のフィールドワークで出会った3つのいいこと

           2024年3月に静岡県西伊豆松崎をフィールドワークしました。このフィールドワークで3つのいいことに出会いました。今回はそのような話題を提供します。  松崎町は広い地域ではありませんが、じっくり歩いてみるとなかなか面白い場所でした。  3つのいいことの1つ目は、3日目晴天の日に「伊豆 松崎 であい村 蔵ら」を訪ねたことでした。「まゆこ」という和菓子が有名なのでお店に入ったら、代表の青森千枝美さんが笑顔で対応して下さいました。笑顔が素敵な方でご自分から88歳ですと話して下さい

          No.171 2024年3月 西伊豆のフィールドワークで出会った3つのいいこと

          No.170 1999年~2009年 毎日新聞『月刊Newsがわかる』編集委員をして 

          最近の『月刊ニュースがわかる』の表紙です。  この創刊号は1999年4月でした。この1年前ぐらいに毎日新聞編集委員の方に声をかけられどのようなコンセプトにしたらいいかの相談がありました。もう一人知り合いの公立小学校の先生も一緒でした。二人は小学生から親しむことができる時事問題を楽しく学べるような月刊誌を念頭にどのような内容にしたらいいかを具体的にいくつか提示したと思います。そして、毎日新聞社で数回会合を持ち創刊号が発行されました。当時は小学生向きと中学生向きの2つに分かれて

          No.170 1999年~2009年 毎日新聞『月刊Newsがわかる』編集委員をして 

          No.169 2024年4月 私の人生を大きく変えた小学生と出会った場所を訪ねる

           私は大学3年生の後期にある子どもと出会いました。その子どもと出会えなければ私の人生は大きく変わっていたと思います。きっと小学校の先生への道を考えなかったかもしれません。  母親が福祉に関心があり、共働き(当時の言い方になるかもしれません)の方の乳児を日中保育していたこともありました。その関係で川崎市の福祉事務所からある子どもの遊び相手として週に1度のボランティアを依頼されました。その子どもが住んでいたのが私の自宅から徒歩30分の小高い丘の加瀬山周辺の家でした。私の役割は週に

          No.169 2024年4月 私の人生を大きく変えた小学生と出会った場所を訪ねる

          No.168 2019年4月1日~2020年3月31日聖心女子学院教師ラスト1年日記

           私は子どもの頃から日記を書いたことがありませんでした。何回か書こうと思って始めるのですが、三日坊主どころか二日ももちません。教師になって書籍を出版することはよく行ってきたのですが、日記だけは一度も書いたことがありせん。教師最後の年になり意を決して清水の舞台から飛び降りる気持ちで366日(2019年度は閏年でした)毎日書き続けることを決意しました。とにかく教師最終年度ですので、あらゆるところに最後の○〇○という表現が見られました。A3版で99ページの量になりました。  人生で

          No.168 2019年4月1日~2020年3月31日聖心女子学院教師ラスト1年日記