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No.182 2024年7月 霧積温泉「金湯館」から軽井沢駅まで約3万歩の思いがけない歩行

 2日目の朝、外にある温度計を見ると20度でした。涼しさを満喫していました。とにかく1日中涼しいです。霧積は軽井沢以前の避暑地となっていました。


 2日目は「金湯館」近くの林道をのんびり歩くことにしました。昨日車で運んで頂いた道を下ったり、戻ってきて「金湯館」の先の道に行ったりしました。


 山の上から「金湯館」を眺めると、「ポツンと一軒温泉宿」がよく分かります。

生憎雨が結構降ってきたので「金湯館」の玄関わきの屋根の付いた場所で、頼んでいたおにぎりのお弁当を食べました。
 大きなおにぎりが2個入っていましたので、一人前の注文で丁度良かったです。このおにぎりの包みに書いてあった西城八十氏の詩をヒントに森村誠一氏は『人間の証明』の作品を書き上げたようです。
 お弁当の包みを3分割にして示します。


 西城八十氏の「帽子」の全文が掲載されています。明日、碓氷から霧積へ行くみちを反対に霧積から碓氷へ行くことになります。旅館から駐車場までの道「ホイホイ坂」は見てみたのですが、とても降りることはできないので、駐車場まで他のお客さんと一緒に乗せてもらうことにしました。

 いよいよ3日目、霧積から碓氷峠にある熊野皇大神社まで歩いて行くことになります。どこで麦わら帽子を落としたのか想像しながら行こうと出発しました。

 最初はきつい上りがあるのは理解していました。太い枝を折って杖の代わりにして歩きました。その上りも段々道幅が狭くなり気が付けば片側はかなり高い崖になっています。その道が結構長く続くのです。全く登山には素人の二人ですが、おそらく落ちれば怪我ではすまない事態は呑み込めました。今引き返そうと思ってもこの道を下っていくことはもうできないと観念し慎重に歩を進めていきました。あるところではどう進んでいいのか分からず躊躇していると、妻が「ここから行けるのでは」と道を探してきました。1時間以上かかったでしょうか。少し広い所に出ましたが、ここから下ることも苦労しました。


やっと、遊歩道に出ました。ここまでは写真を撮る余裕など全くありませんでした。遊歩道の曲がり角に古いカーブミラーがありましたので、これからは落ち着いて歩けるとホッとしました。道は広いですが片側には渓谷のようなところが見られます。やっと写真が撮れるようになりました。
 「どこで麦わら帽子を落としたのだろう。私たちが落ちなくて良かった。」と思っていました。

 熊野皇大神社に付きました。その近くから軽井沢方面へ赤バスが出ているので、時刻表を見たら30分前に最終が出ていたので、遊歩道ではなく峠道を下っていくことにしました。こちらからの旧軽井沢銀座の入り口になる「つるや旅館」の隣の飲食店で生ビールと水を飲み、軽井沢方面に向かって歩きました。いつもは混んでいて入れないお蕎麦の「川上庵」もほとんど待たずに入れました。その後もゆっくり歩き軽井沢駅に着いたのは17時過ぎでした。およそ7時間の道中でした。帰りの新幹線でもしっかりビールを飲んでいました。
 帰宅後、妻が次の言葉を探してきました。「いざというときに勇気を出せる人が人間として一番尊い。勇気こそ人間の真髄である。」この言葉に私は救われました。


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