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Dear My Own.

仕事中、ウォーキング中、最近ひとりの時間によく聴く。このあたり。


トラックといい、リリックといい、松たか子といい、ほぼパーフェクトに僕の胸を打つ。いやどう考えても切ないんだけど、何かしら今や過去や未来に重ね合わせて、自分に酔ってしまうヤツ。
少し前の自分をしっかりと肯定し、愛しつつも「先に進むね、ありがとう」と言わんばかりの前向きな気持ちを感じさせる、すごく強い気持ちを伝えてくれる。


とにかくPUNPEEがかっこいい。いやかっこつけている。声から仕草から合いの手から何から何までかっこつけてる。だからかっこいい。
喧嘩だ草だ金だ地位だ権力だ金だ、じゃない、半径10mぐらいが楽しいんだよ、って等身大がこんなにかっこいい。とにかくかっこいい(言いすぎ)。




昔から、東京って場所は、地方から出てきた孤独なひとりひとりが、100ある自分のうちの1~2ぐらいの接点でコミュニティを作って、全部が分かりあえないし、分かってもらおうとはしないけど、ある一瞬ここに集うことの心地よさを共有しあうコミュニティだと感じている。

いや、ステレオタイプなのも分かってる。

割と自分も全部を分かってもらおうとはしないし、他人に対してもそこまで踏み込むこともしない、むしろ誰にも分かってもらえなくてもいいから、今このひとりの時間を邪魔せずに楽しませてくれ。って感情が多い方なので、それが良しとされるコミュニティにすごく憧れがあるし、かっこいいと感じている。




いわゆる「ド田舎」ではないにせよ「田舎」に属す地域に身をおいていると、人との距離感に違和感を感じたり、「個人」「家族」「地域」の単位の定義に違和感を感じたりすることがある。

どの考え方も否定するつもりもないし、どれもひとそれぞれで正解だとは思うんだけど、「べき論」の「多数決」にストレスを感じることも多いのもまた事実。

人の感情や他人との距離感という、愛してあげられるのは自分だけのものは、ちゃんと自分で認めて愛してあげないとな。


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