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『劇場版 荒野に希望の灯をともす』監督・谷津賢二さんインタビュー《後半》

「日本から来た偉い先生が指導をして用水路ができました、とは誰も思っていない。」

「人と自然の和解 ――― 私は自然にも人格があると思ってます。」

「一隅を照らす ――― 少ない人でも、たくさんの人じゃなくても、しっかり中村先生のことを伝えるということを考えたらいいと思うんです。」

(この記事中に登場する谷津賢二さんの言葉)


2022年、20年以上に渡り撮影した映像素材から医師 中村哲の生き方をたどるドキュメンタリーの完全版、劇場版『荒野に希望の灯をともす』が公開され、多くの反響を呼びました。公開から1年が過ぎても中村哲医師の生き様に共感する声は止まず、全国各地で自主上映会が開催されています。今回は、多くの人々の心に希望の灯をともした映画『荒野に希望の灯をともす』の監督・谷津賢二さんに20年以上に渡る取材から見えてきた中村哲医師の真の姿やアフガニスタンの様子をお伺いしました。長年、中村哲医師の活動を記録されてきた谷津さんから語られる「等身大の中村哲」のお話から、自らの生活を見つめ直す機会になれば幸いです。

※このインタビューは2022年4月に行ったものです。

前半の記事はこちら⇩


アフガニスタンの治安と水の関係性

―――今まで谷津さんがアフガニスタンで取材された中で、アフガニスタンと現地の人々の様子を教えてください。

谷津さん  2019年に取材をしたときは、4月から5月だったんですが。結局、中村先生がその年の12月に、あのような形で凶弾に倒れてしまったので、安全な国ではないですね。やっぱり治安は悪いです。しかし、中村先生が用水路を引いて水を通して潤した地域は実は治安が良かった。それはどういうことかというと、国連とかも実証的に表明していて、治安が悪い場所と水が届かない場所は地図上でもハッキリ一致してたんです。食べられないから武器を手に取り傭兵ようへいという、お金で雇われる兵隊になってしまう。みなさんのお父さん、お母さんがそうだと思うんですが、子供たちが食べられないというのは、見過ごすことができないですね。なんとかしてご飯を食べさせたいと思って、本当に追い詰められている時は、人のものを奪うということも起きるし、悪いことも起きる。悪循環がずっと続くと、暴力団みたいなのも出てきてしまって、どんどん治安が悪化する。だけど、用水路の水が潤している場所は、お百姓さんは農業ができて、商人は商売ができて、普通の生活に戻ることが出来ている。カブールなどは治安が悪いが、中村先生が用水路の水で潤している地域に入った途端に、実感として、もうここまで来たから僕は安全だ、普通に取材ができるという感覚があるほど、治安状況が違うんですよ。アフガンの人たちが一番望んでいるのは「誰でもいいから平和安全な国にして欲しい」ということ。とにかく誰でもいいから、この戦乱状態を治めてくれる人が良いと思っていて、そういう意味に置いてタリバンは評価されているんですよ。だから、最初の質問に答えるとしたら、アフガニスタンは大国がよってたかって干渉するから、40年以上ずっと戦争状態にあった。さらに追い打ちかけるように干ばつが深刻化した。ずっと落ち着かない国だったんですが、中村先生が活動していた地域は奇跡的な治安の良さと人々の穏やかな生活に戻っている。中村先生がおっしゃってたのは「自分ができることはアフガニスタンのほんの一角です。ただ、これを真似をして、いろんな人たちが、用水路を自分たちの力でやって欲しい」と。そうすると少しずつアフガニスタンの治安が「水の力」によって戻って、家族が一緒に暮らせて、戦闘が無くなると思います。その途上にあった時に先生は凶弾に倒れてしまいました。ただ、誤解してほしくないのは、アフガニスタンの人々は、全然こわい人たちじゃなくて、本当に心優しい人が多いんです。外から見たら怖い国と思うかもしれないけど、中に入ればね、そこにはお父さんお母さんがいて、子どもがいて、おじいちゃん、おばあちゃんがいて、ごはんをみんなで食べて、笑顔があって、そういう世界があるんです。だから決して特殊な場所ではない。互いが助け合うという社会が残っているんです。

ガンベリ砂漠(提供:日本電波ニュース社)
水が来たことにより緑が生い茂るガンベリ砂漠(提供:日本電波ニュース社)

現地活動 ”アフガニスタンの人々が主体”

―――アフガニスタンでの活動でどのような困難がありましたか。

谷津さん  中村先生がすごく慎重にやってたのは、人助けをするということは、一歩間違うと、やっぱり「上から目線」になってしまってしまう。そこにある種の「何かをしてあげた」と「何かをしてもらった」という主従関係が生まれるじゃないですか。そうすると、「してあげた人」が上で「してもらった人」が下というふうに、なんとなくそういう空気になってしまう。でも、中村先生は自分たちも「アフガニスタンから得るものが沢山あります」とおっしゃっていました。だから、アフガニスタンでは、日本から来た偉い先生が指導をして用水路ができました、とは誰も思っていないんです。そこが中村先生の優れたところだとおもいます。みんなが「主体」で用水路を掘って、一緒に手伝ったというように。すごく時間をかけて、いろんな苦労しながら、造っていったと思うんですね。アフガニスタンは保守的な国なので、突然やってきた外国人が何かをできるような世界じゃ無いんです。だから、中村先生は言葉を理解して、文化を理解して、人々の気持ちを理解する。中村先生言っていた「一つのところで、一つのことをしてください」というのは、あちこち動いたり、活動があれこれ変わると、信頼を得ることは難しいということなんだと思います。中村先生が苦労されたことは多分色々ありますが、アフガニスタンという保守的なところで、用水路を建設するという大事業はいろんな意味で空前絶後のことです。中村先生が時間かけて人々の信頼関係を作って、その壁を打ち破って初めて出来たことだと思います。苦労されたのは、人々の心をほぐして信頼関係を作っていくこと。ものすごく苦労しながら、ただ、最終的には、強い信頼関係を築き上げたということです。

アフガニスタンの現地スタッフと中村哲医師(提供:日本電波ニュース社)

何も持っていないからこそ明るい子どもたち

―――現地の子どもたちの様子を教えてください。

谷津さん  子どもたちは貧しいんですよ。当たり前だけど、お菓子もない。もちろんおもちゃもない。だけど、すごくシンプルな生活をしているので、自分達で自由に遊んでいます。制限がないというのは日本よりも、精神的には自由な子どもたちが多いと思うんですね。どういう事かと言うと、やっぱり日本の皆さんはさまざまな規則の中で育ちますよね、もちろん規則は大切ですが、時に窮屈に感じると思います。さらに多くの皆さんは、高校受験が終われば、次は大学受験…とさまざまなことに、ある意味追われて生きざるを得ないですよね。もちろん、そういうやり方も必要なんですが、アフガンの子どもたちはそういうことから自由なので。モノはない、貧しい、お腹も空いる。だけど、すごく精神的に自由なんだと思います。だから明るくて屈託がなくて。僕は世界80か国ぐらいで取材経験がありますが、その経験の中で、貧しい国の子どもたちが皆、暗いわけでは無いと実感しています。何かを持っている人間は、持っているものを手放したくないという気持ちが、切迫感を生み、気持ちが自由ではなくなるのではないでしょうか。「私、何もありません」「もう僕何ももっていません」という状況のほうが、何かいさぎよいと言うか、さっぱりしていると言うか、なんか明るいというかね。もちろん彼ら彼女たちもね、「お腹いっぱい食べたいな。」「何か本が欲しいなあ」とかあるんですけど。でもね、精神的にどっちが豊かかって難しいなと思うし、アフガニスタンでは、子どもらしい豊かな気持ちの子どもたちが多いような気がしています。

中村医師と現地の子どもたち 開通した用水路にて(提供:PMS(平和医療団・日本))

人と自然が和解する

―――20年間取材されてきた中で、次の世代に伝えていきたいような中村医師の印象に残っている言葉を教えていただきたいです。

谷津さん  中村先生からは「良心、真心、信頼」といった人が根源的に持つ大切なことを教わってきました。たくさんの言葉が心に残っていますが、中村先生が亡くなる前の10年ほど「人と自然が和解する」という言葉をよく話し、書き遺してもいました。僕はその言葉を何度も耳にし、目にしてきましたが、実は少し違和感を持っていました。「和解」という言葉が、腑に落ちなかったのです。「人が自然を守る」「人と自然が共存する」ということは、よく耳にすると思いますが「人と自然が和解する」という言葉は何を意味するのか、実は分かっていませんでした。そんな中2019年4月の中村先生が存命中最後アフガン取材のときに、先生とご飯を一緒に食べながら「『人と自然の和解』という言葉はどういう意味なんでしょうか」と何気なく尋ねたらですね、先生がこういうふうにおっしゃった。「私は自然にも人格があると思ってます。だから和解という言葉を使いました。」その時、僕は良い意味で少なからぬショックを受けたんです。「自然に人格がある」と考える発想は僕になくて。中村先生の「私は自然にも人格があると思っています」というのは、どういうことかというと、自然に「人格がなくて物言わぬものだ」と考えると、人間は資源を限りなく奪い取るんです。木をどんどん切ってしまうとか。あらゆるところの堰を堰止めてダムにしてしまうとか。自然に対して、極端なことをしてしまう。しかし、中村先生のように自然にも人格があると思えば、そこには対話が成立し、自然を養生もするということなんだと思います。だから、「自然と人間が共存」ではなく、自然と和解をして、話し合いのような、お互いがお互いを尊重しあうような関係になれると中村先生は思ったのでしょう。これは、ある意味で中村先生が野に立ち、行動をし続けながら到達した思索の頂点の一つだと思います。中村先生は、河の流れに対して直角にせきをつくるダムのような近代的な工法ではなく、日本の伝統的な斜め堰を採用した。斜め堰は江戸時代の工法で福岡の朝倉にある山田堰を参考にしています。

それは、水を必要な分だけいただき、残りの水は川の本流に戻すという、自然から奪いすぎない、というものなんです。中村先生はそこに込められた日本人の自然感を丸ごと理解したんだと思うんですね。20年の取材の中で先生が辿り着いた「人と自然が和解する」という言葉。みなさんがこれから生きていく地球がどういう地球になるかという分かれ目で、その考え方がすごく必要なんだろうなと思うんですね。だから「人と自然の和解」という言葉。僕がすごく好きで、これはもっと、もっと考え続けていきたいなと思っている言葉です。

現場に出て、スタッフと共に土のうを運ぶ中村哲医師(提供:日本電波ニュース社)

中村医師の座右の銘「一隅を照らす」

―――私たちがこれから活動して行く中でなにかアドバイスがあれば教えていただきたいです。

谷津さん  中村先生は「一隅いちぐうを照らす」という言葉を座右の銘としていました。天台宗の最澄の言葉で中村先生が好んだ言葉です。大げさなことを考えなくても、自分のできる範囲で、置かれた場所で、自分ができることをする。それぞれが頑張れば社会が少しずつ変わっていく、と中村先生がおしゃっていて。ペシャライトの皆さんが中村先生のことを広めたいという気持ちは良く分かります。でも、みんなが中村先生のことに関心を持ってくれることは、簡単なことではないと思います。だから、中村先生のことを伝え続けることが少しずつ進めばいいと思うんですよ。皆さんの友だち10人に知ってもらったら、その人がまた次に10人伝えて、その友だちがまた10人に伝えて、多分それが先生が望んでいた一隅を照らすということだと思うんです。だから少ない人でも、たくさんの人じゃなくても、しっかり中村先生のことを伝えることを大切に考えたらいいと思うんです。みんなにいっぺんに伝えるということでなく、この人だったら興味持ってくれるだろうという人に対話をするということでもいいんじゃないですか。「燎原りょうげんの火」という言葉が有る様に、じわじわ少しずつ広がっていくと思うんですね。そのことを担っているのがペシャライトのみなさんということを自覚して、友だちひとりに伝わったらそれでもいいんじゃないですかね。

―――ありがとうございます。
谷津さん  本当にペシャライトの皆さんの活動は頼もしいですね。みんな頑張ってくださいね。そんなに未来は暗くないですよ。みんなで、こういう社会で生きたいんだっていうことがあればね。そういう社会になって行くんです。中村先生が、「捨て身の楽天性」とおっしゃっていました。ただの楽天性じゃダメで、捨て身の覚悟で頑張って、暗い顔をしていても明るい顔をしていても、状況が同じなら、明るく生きていこうということ。大変な時こそ楽天的に生きるべきだと。だから暗い顔をしないで中村先生を見習い、前を向いて明るく生きて欲しいと思います。辛いなあっていう時も楽天的でいた方が、だいたいいいことが起きる。頑張って下さいね。ありがとうございました。

完成した取水堰を背にした谷津賢二さん(提供:日本電波ニュース社)

最後までお読みいただきありがとうございます。

谷津さん、貴重なお話ありがとうございました!

もっと知りたい!と思った方はこちらのサイトを参考にしてみてください👀

(聞き手:ペシャライト)




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